運命とは何か?

 今日は、会社の皆と打ち合わせ。久々に、皆と会う。打ち合わせも終わり、一杯飲みに行く。阿藤さんや山内さんも一緒に。

 最近のバカ話もよそに、いつの間にか、シリアスな話題にスライドして行き、いつも、阿藤さんと二人で話しこむことも多い(笑)。ぼくは、阿藤さんの表現世界観が好きだ。

 この時点で、いつも、阿藤さんと二人きりになって語ってることも多いが、今日は、頑張って何人かが、聞き耳を立てる。

 「運命学とは何か?」、話題はかなりディープな方に走って行き、今日は、その題目を如何に鮮やかに、説明するかを考えた。「そうだ、今日は、ソクラテスの産婆術で行って見よう!」と、題目にあわせたアイディアが止まらない。酔っ払い!?

 産婆術とは、相手の持つ考え方に疑問を投げかける問答法である。

  ダニエル:「"運命"を定義付けるにあたって、仮に"生まれてから死ぬまで"としようか?」

  イソ&ノナ:「はあ。良いですよ。」

  ダニエル:「有るキリスト教徒が、死んだ後は、"天国に行きます"と、
         死後を定義したとしようか?」

  イソ&ノナ:「はあ。良いですよ。」

  ダニエル:「ということは、定義された"運命"である"生まれてから死ぬまで"を
         越えて続いて行く、死後の世界がこの意見や信仰によって成立すると、
         仮定するのならば、"運命"とされる定義が現れ、"運命(出生から死まで)"、
         の定義が成り立たなくなるよね?」

  イソ&ノナ:「はあ。」

  ダニエル:「とすれば、はじめに定義をもうけた"運命(出生から死まで)"という
         定義と、個における意見や信仰によって、"死後"という"運命"を
         超えた世界の両方が、成り立つために、ここで、
         "運命(出生から死まで)"を時間の延長と、捉えるのでは、
         "死後"と"運命"が、同じ時間軸の上で、整合性が取れない。」

  イソ&ノナ:「そうですね。」

  ダニエル:「そこで、"運命"とは何かを改めて、時間概念以外から、再定義してみよう!
         そのためには、個によって概念化された内容の違う"死後"から定義してみた
         い。個によって定義の異なる世界観でもある"死後"をわかりやすく、
         "人の想像する世界観"と、定義してみてはどうだろうか?」

  イソ&ノナ:「まあ、"死後"に確証があるわけではないので、"死後"とは、"人の想像する
         世界観"と、定義しても問題はないでしょう。」


  ダニエル:「Good job! "運命"は今、新たに時間軸によらない定義で成り立ったよ。」

  イソ&ノナ:「どほぢぃて?」

  ダニエル:「要は、時間軸の概念上、"運命"とは、出生から死までとするため、
         "死後"とは、時間軸上において、繋がりを持てなかったが、
         時間軸という概念上での繋がりで考えるのではなく、
         "死後"を再仮定し、"人の想像する世界観"と置き換えた時に、
         再び、時間軸の上から、"運命"と"死後(=人の想像する世界観)"を
         繋ぎ合わせると、"運命"とは、"死後"の仮定である"人の想像する世界観"
         と、同義になり、時間軸の上から整合性を見せるのである。」

  イソ&ノナ:「時間軸の上で、"運命(=出生から死まで)"と、その後の"死後"が、
         延長上にあると仮定しているということ?」

  ダニエル:「そう。仮定ではなく、生きているうち、つまり、運命の輪内で、
         人は、死後という運命の外を想像する。言い換えるならば、
         "運命"と"死後"にかかる因果関係の橋が成立する。
         その上で、時間軸の上に双方を並べ、因果関係が成立するという
         前提である定義を用いて、"死後"とは、個によって異なる
         "人の想像する世界観"と、仮定する。そうすると、時間軸の上から、
         "運命"と"死後"を捉えなおし、繋ぎ直すことが可能だ。つまり、"運命"とは、
         "人の想像する世界観"と同義ということになる。」

  イソ&ノナ:「つまり、"運命"とは、"人の想像する世界観"と同義ということなの?」

  ダニエル:「ビンゴ!産婆術終了!」

 
 「運命とは、想像する力によってもたらされる」と、結論を置いたのは、私だけではない。

 生有る起点から、運命の及ばない死後に想いを馳せる。運命の輪の中から生まれて来る運命の輪の外への波紋。「死後とは何か?」、「運命とは何か?」を考えた哲学者たちの思考痕跡。

 こういった思考プロセスは、私なりの哲学探究と人生の経験に負う。「運命とは何か?」を考えるに際して、スタートからオカルト書を読み耽るのではなく、人類の発展を担ってきた代表すべき頭脳たちが考えた哲学、思惟を学ぶことが大切です。(。◕ฺˇε ˇ◕ฺ。)

 私は、「運命とは何か?」という命題に対して、

 「運命とは創造する力によって、導かれ形づくられて行く。」。

 という回答を思惟の旅と五術の研鑽を通して導き出すことができた。

 つまり、「神は運命を定めるが、人は運命を変える。『ダンテ神曲』」に見られる概念も、人が想像することを止められない生き物で、それは、「人が想像したものが運命となる」ことを言わんとしている様に思える。そして、五術は人の想像を正しく導いてこそ、真である。

 興味ある人は、覗いてみてください。哲学者たちが行き着いた「運命とは何か?」という命題に対する答えを。どんな、命理学の本よりも、勉強になった、ぼくのお勧め書を紹介します。

 この組み合わせで読むと良いよ。ちょっと難しいよ。( ゜ 3゜)

   『創造的進化 』 アンリ・ベルクソン
   『完全なる人間―魂のめざすもの』 アブラハム・H. マスロー (著)
   『エクリ 1~3』 ジャック・ラカン 
   『千のプラトー―資本主義と分裂症』 ジル ドゥルーズ (著), フェリックス ガタリ (著)
   『仮想化しきれない残余 』 スラヴォイ ジジェク
   『厄介なる主体1―政治的存在論の空虚な中心 』 スラヴォイ・ジジェク
   『信じるということ』 スラヴォイ ジジェク
   『操り人形と小人―キリスト教の倒錯的な核』 スラヴォイ ジジェク

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