ゴッドハンド

 最近、何かの雑誌で、優秀な医者が日本国内から流出して、海外で、ゴッドハンドと呼ばれる名医として活躍するケースが話題になっていました。日本に残された医者はヤブ医者ばかりとも多少、誇大広告も打たれていましたが、ある意味、アメリカのメジャーで活躍する日本人選手と日本国内の野球選手のレベルの違いを思えば、本当かもしれないと思ったりもしました。 

 人の命に係わる医学の世界もそのような住み分けが行われてきた昨今、ダニエルの人生の経験と学習してきた事実として述べる「風水は人の命に係わる」ものであるということを考えれば、風水師も医師と同じ状況に立たされているのかもしれない。

 その雑誌に載っていたゴッドハンドのコメントによると、日本の医療現場への不満が淡々と書かれていました。まず、実力社会である外科は人気がないのに加え、日本だと、論文をしこたま書かなくてはいけないので、外科手術の実力は向上しないし、論文を書かなければ出世も出来ないおかしなシステムで、医師であることを現場で続けられない構造になっている。

 そう、人によっては、「手術で助かる人がいるのならば、何としても助けてあげたい」と、強い信念を持って医師になった人たちもたくさんいただろう。しかし、この社会に根付く、因習というか、おかしなシステムが、まともな外科医を育てない。

 そんな日本の医術の現場に絶望した志ある優秀な医師たちが日本を捨てて離れ、海外でメスを振るう。そして、実力あるものは、ゴッドハンドと評価もされるし、社会的な立場も確立できる。

 ゴッドハンドと呼ばれるようになった多くの優秀な日本人医師は、海外という未知の戦場に、己の身を置き、戦い続けた結果である。日本国内に残っていたら、一生くだらない論文を書かされて、外科技術は向上せずに、手術の現場でメスを持たせれば即医療ミスレベルの役立たずの医者になっていただろうに。

 「ある戦士との対話」でも、書きましたが、戦場とは、「己の信念を曲げず、真実を追究する」ことに他ならない。つまり、己の信念を曲げず、真実を追究する者達の生活は、即ち戦場なのです。

 日本の戦場に身を浸しているうちに、自分もぬるま湯に浸かっている気分がしてくるのが、とても哀しいことです。そのため、最近では、早く国外の激しい戦場に、また出撃しようかと真剣に悩んだりもします。日本の戦場がぬるま湯過ぎて、そこに埋没して行く自分を想像するのが一番怖いのです。アメリカにでも行こうかななどと考えることもしばしば。

  しかし、現状として、幾つかの約束と責任、任務が、ぼくを捕まえて放さなない。まあ、必殺仕事人のダニエルとしては、公約した仕事はきっちり成し遂げますよ。

 問題は、その後ですな。一人の戦士として、思う存分激しい戦場を駆け巡りたいと血が滾ります。自分の実力や主張を誰かまうことなく、ただ、叫ぶ、叫んで叫んで、、自分自身が張り裂けちゃうくらい激しい戦場に生きたい。そこには、当然沢山の猛者がいて、対等に自分の持っている全ての力を集めて、競い合う。漢(オトコ)だったら、そんな戦場に夢を馳せてしまうものです。

 日本は、学界も専門家の世界も、ただ権謀術数の足の引っ張り合いと、醜い小人達が肩を並べしのぎを削りあうだけの腹黒い世界。そんなの虚しいよ。実に、日本の戦場は・・・つまらない。昔から、島国、日本ではアウトサイダーは生きていけない。例えば、ヨーロッパなどでは、ドイツで異端とされたら、フランスに行けばよいし、すぐに国境を越えて、自分の思想に合致した、もしくは、アウトサイダーを受け入れてくれる場所を見つけることが出来ますが、日本では、島国気質のため不可能ですね。

 戦士とは、アウトサイダーそのものです。それが異端なのか、先端なのか、それは、戦士の生き方一つで決まるのでしょう。ただ、日本では、アウトサイダーと呼ばれる戦士は、皆、異端で終わってゆくケースばかりです。

 そういったことを考えると、この国を出て、ゴッドハンドと呼ばれる優秀な医師として活躍する近年話題の多くの日本人医師たちのように、早い段階で、この島国でやれるべきことをやって、後は、自分のために、生きるために、海外に出て行こうと思う今日この頃でした。

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