リチャード・J.スミス氏の「通書の世界」が日本語に翻訳されてちょうど10年になります。 すでに20年以上運勢学を学んでいた当時「開運暦」と「通書なる暦」が異なる存在と知り、以降、「日」が持ち合わせる「バランスと個性」に興味を持つようになりました。 日本では「擇日」も「風水」同様、なかなか学ぶことが難しい分野でございます。 >学者と実践家では目指すところが異なる、 これは、経済学でも同じですね。 ただ、日本の風土と文化の中で開発されてきたものもございます。 ダニエル様には、日本独自に検案されてきたものは「似非」とご判断いただいてしまいそうなことでも、実験を繰り返すと中には結果が出るものもあるやに感じています。 そこのところは、ひとつひとつ、地道に検証してはいかがでしょうか?
いろはさん お久しぶりです。 >リチャード・J.スミス氏の「通書の世界」が日本語に翻訳されてちょうど10年になります。 もう、絶版にした方が良いのかもしれません。 かつて道教の分野で中国でフィールドワークを行なっていたアンリマスペロの研究は、10年くらいでは色褪せませんでしたし、マルチン・ルターがドイツ語訳した聖書は、歴史的価値だけではなく、未だにその翻訳の水準が絶賛されている。 >日本では「擇日」も「風水」同様、なかなか学ぶことが難しい分野でございます。 やはり、海外の研究をするならば、海外に行って語学から入り、少なくとも、海外の大学機関で学ぶのが基本だと思います。「擇日」に関する研究論文を書く前に、擇日館に入門して、勉強するのが筋ですよね。 かつて、私が台湾に留学していた時には、沢山の学者の卵さんたちが、日本語教師や飲食店で働きながら、大学や大学院で勉強していたものです。全部、自分で学費と生活費をまかなっていました。 >ただ、日本の風土と文化の中で開発されてきたものもございます。 仏教が日本に伝来する前は、日本の風土と文化の何処を探しても、日本には仏教がなかったのは周知の事実だと思います。 風水も、しかりで、風水という学術体系は日本にはなかったのです。そのため、中国、台湾、香港からの研究を大いに参照すべきですが、まったくと言って良いほど、貴重な文献が翻訳されていないし、学者にそれらの古典籍がどこまで読めるかも不明なのが風水後進国日本です。 また、それらの古典籍だけ読んで風水を理解するのには、無理がある分野が風水です。必ず、フィールドワークを必要とします。 >日本独自に検案されてきたものは「似非」とご判断いただいてしまいそうなことでも、実験を繰り返すと中には結果が出るものもあるやに感じています。 人間は実験動物ではないので、人間の生命に係わりのある風水を用いて、実験することをお勧めしません。日本の医療がドイツからの臨床経験に基づく資料やドイツで医学を学んで帰国した留学生を通じて、発展したように、既に多くの経験と臨床に富む智恵や知識をストックした風水体系は数多く存在します。 例えば、明澄透派その顕著な例の一つでしょう。それらを正しく世に広めるために、今、執筆活動に専念しております。 日本独自に検案されてきたものを風水と決め付けるよりも、既に価値のある風水を正しく世に伝えることこそ肝要で、日本独自に検案されてきたものは、民俗学や歴史学に委ねたい次第です。と言いますのも、それらは風水ではないのですから。 また、どのような定義を持って風水と唱えるかも異見が分かれるところです。というのも、やれ「環境に対する配慮」だなんだといえば、青森県のマタギさえも風水師ということになります。 そのため、わかりやすく喩えるならば、日本独自に検案されてきたものに対して、「似非」だなどと言いませんが、仏教が日本に伝来する前に、仏教が日本にあったという必要もないということです。 風水もまさしく、その通りです。 色々書いて世に問いますので、気長に半年間くらい待ってくださるとありがたいです。 いつも言いますが、風水は大別すると二種類です。 ①伝統文化の系譜・・・文化的薫陶に富むもの。正しい系譜を持ち、理論の背景にある歴史と結びついた思想の変遷や、風水を成り立たせる哲学を持つ。何よりも、長い歴史に裏打ちされた経験と検証データを持つ。 ②個人史観・・・色々ツマミ食いで、勝手に個人によって捏造された歴史も哲学も何も持たない風水。ただし、巧みに装うので一般の人には判別が難しい。 中国や台湾、香港にも沢山の「似非」と呼ぶ風水師たちが存在します。比率に分けると9対1位で、①風水師よりも、②山師の方が多いのが実情です。 更に、性質が悪いことに、中国からわざわざ日本に来て、色々な歴史的な風水師の家名や、疑似科学にも似た理論で、風水を語っていますが、その根幹にあるものが、ただの金儲けなので、わかりやすすぎて笑いが止まりません。そこには、美的なものがなく、醜悪で、加えて何ら哲学がありません。 中国人で風水師というから、風水師だと思ってしまうのは、まさしく、裸の王様が高価な服を着ていると思い込んでしまうのと同じです。 もっと、判別が難しい「似非」風水は、世の中で信頼されるべき地位にいる学者さんたちが、研究発表とか言いながら、適当なことを世に広めることです。 そう考えると、日本の文化から風水的なものを検証する作業は、それらの「似非」風水よりは、随分まっとうな研究かもしれませんが、どうやらそれは、私の仕事ではないようです。私は正しい風水文化を正しい形で世に伝える努力をいたします。 ご理解いただけるとありがたいです。 追伸 いろはさんは、どこかの大学機関の人間ですか? もし、擇日とか研究しているのでしたら、良い擇日館紹介しましょうか? ぼくの台湾の先生なので、間違いないですよ(笑)。
コメント:堪輿と擇日法
ダニエル様
先ほどはコメントありがとうございます。
お返事を記事にしてアップしましたので、もう一度ご訪問下さいませ。
アワビは既に旬を過ぎて、切らしておりますが、蛸焼きなど用意してお待ちしております。
リチャード・J.スミス氏の「通書の世界」が日本語に翻訳されてちょうど10年になります。
すでに20年以上運勢学を学んでいた当時「開運暦」と「通書なる暦」が異なる存在と知り、以降、「日」が持ち合わせる「バランスと個性」に興味を持つようになりました。
日本では「擇日」も「風水」同様、なかなか学ぶことが難しい分野でございます。
>学者と実践家では目指すところが異なる、
これは、経済学でも同じですね。
ただ、日本の風土と文化の中で開発されてきたものもございます。
ダニエル様には、日本独自に検案されてきたものは「似非」とご判断いただいてしまいそうなことでも、実験を繰り返すと中には結果が出るものもあるやに感じています。
そこのところは、ひとつひとつ、地道に検証してはいかがでしょうか?
いろはさん
お久しぶりです。
>リチャード・J.スミス氏の「通書の世界」が日本語に翻訳されてちょうど10年になります。
もう、絶版にした方が良いのかもしれません。
かつて道教の分野で中国でフィールドワークを行なっていたアンリマスペロの研究は、10年くらいでは色褪せませんでしたし、マルチン・ルターがドイツ語訳した聖書は、歴史的価値だけではなく、未だにその翻訳の水準が絶賛されている。
>日本では「擇日」も「風水」同様、なかなか学ぶことが難しい分野でございます。
やはり、海外の研究をするならば、海外に行って語学から入り、少なくとも、海外の大学機関で学ぶのが基本だと思います。「擇日」に関する研究論文を書く前に、擇日館に入門して、勉強するのが筋ですよね。
かつて、私が台湾に留学していた時には、沢山の学者の卵さんたちが、日本語教師や飲食店で働きながら、大学や大学院で勉強していたものです。全部、自分で学費と生活費をまかなっていました。
>ただ、日本の風土と文化の中で開発されてきたものもございます。
仏教が日本に伝来する前は、日本の風土と文化の何処を探しても、日本には仏教がなかったのは周知の事実だと思います。
風水も、しかりで、風水という学術体系は日本にはなかったのです。そのため、中国、台湾、香港からの研究を大いに参照すべきですが、まったくと言って良いほど、貴重な文献が翻訳されていないし、学者にそれらの古典籍がどこまで読めるかも不明なのが風水後進国日本です。
また、それらの古典籍だけ読んで風水を理解するのには、無理がある分野が風水です。必ず、フィールドワークを必要とします。
>日本独自に検案されてきたものは「似非」とご判断いただいてしまいそうなことでも、実験を繰り返すと中には結果が出るものもあるやに感じています。
人間は実験動物ではないので、人間の生命に係わりのある風水を用いて、実験することをお勧めしません。日本の医療がドイツからの臨床経験に基づく資料やドイツで医学を学んで帰国した留学生を通じて、発展したように、既に多くの経験と臨床に富む智恵や知識をストックした風水体系は数多く存在します。
例えば、明澄透派その顕著な例の一つでしょう。それらを正しく世に広めるために、今、執筆活動に専念しております。
日本独自に検案されてきたものを風水と決め付けるよりも、既に価値のある風水を正しく世に伝えることこそ肝要で、日本独自に検案されてきたものは、民俗学や歴史学に委ねたい次第です。と言いますのも、それらは風水ではないのですから。
また、どのような定義を持って風水と唱えるかも異見が分かれるところです。というのも、やれ「環境に対する配慮」だなんだといえば、青森県のマタギさえも風水師ということになります。
そのため、わかりやすく喩えるならば、日本独自に検案されてきたものに対して、「似非」だなどと言いませんが、仏教が日本に伝来する前に、仏教が日本にあったという必要もないということです。
風水もまさしく、その通りです。
色々書いて世に問いますので、気長に半年間くらい待ってくださるとありがたいです。
いつも言いますが、風水は大別すると二種類です。
①伝統文化の系譜・・・文化的薫陶に富むもの。正しい系譜を持ち、理論の背景にある歴史と結びついた思想の変遷や、風水を成り立たせる哲学を持つ。何よりも、長い歴史に裏打ちされた経験と検証データを持つ。
②個人史観・・・色々ツマミ食いで、勝手に個人によって捏造された歴史も哲学も何も持たない風水。ただし、巧みに装うので一般の人には判別が難しい。
中国や台湾、香港にも沢山の「似非」と呼ぶ風水師たちが存在します。比率に分けると9対1位で、①風水師よりも、②山師の方が多いのが実情です。
更に、性質が悪いことに、中国からわざわざ日本に来て、色々な歴史的な風水師の家名や、疑似科学にも似た理論で、風水を語っていますが、その根幹にあるものが、ただの金儲けなので、わかりやすすぎて笑いが止まりません。そこには、美的なものがなく、醜悪で、加えて何ら哲学がありません。
中国人で風水師というから、風水師だと思ってしまうのは、まさしく、裸の王様が高価な服を着ていると思い込んでしまうのと同じです。
もっと、判別が難しい「似非」風水は、世の中で信頼されるべき地位にいる学者さんたちが、研究発表とか言いながら、適当なことを世に広めることです。
そう考えると、日本の文化から風水的なものを検証する作業は、それらの「似非」風水よりは、随分まっとうな研究かもしれませんが、どうやらそれは、私の仕事ではないようです。私は正しい風水文化を正しい形で世に伝える努力をいたします。
ご理解いただけるとありがたいです。
追伸
いろはさんは、どこかの大学機関の人間ですか?
もし、擇日とか研究しているのでしたら、良い擇日館紹介しましょうか?
ぼくの台湾の先生なので、間違いないですよ(笑)。