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水の精霊はすべてを受け入れる本質なのでしょうか。
肉体を持ち私たちのほとんどを占めている水。異質なものではなくすべてが混然一体となった姿なのでしょうか。ダニエル書での、烏龍茶についても水の味に戻ったと。海から私たちが生まれたように、水の精霊はどこででも私たちが語りかけさえすれば答えてくれるのでしょうね。

風さ~ん

中国には古くから、陰陽五行とはまた別に天人感応説という思想がございます。これは、君主の政治の良し悪しという「人」の要素が、風雨の順不順や虫害の有無といった「天」の現象に反映するという考え方ですね。漢代に董仲舒(BC176~104)
ら春秋公羊家によって主張され、『春秋』などの歴史書に記載された災異事件を当時の君主の失政や悪徳に対して天が譴責したものだと解釈しました。

そして、『地理風水大全』でも詳しく述べられていますが、天と地は合わせ鏡のように、風水では捉えます。

ここに、天地人の三才の思想が現れるわけです。三才を繋ぐものは、媒介にあると私は考えています。

天人感応に顕著なように災害が起きて人が内省をしたように、人は危機的な側面を持たないと、独立して生きて行こうとします。繋がるためのチャンネルは無限にあるのに。

こういう内容を書いてよいかはわからないですが、例えば、奇門遁甲を追求すると最後は「法遁甲」に行き着きます。それは、地理風水の探求の答えの形が「儀式」のように、我々がどうやって自然と一体となるかという技法が最も高度な答えのカタチなのです。

この辺りに五術の横の繋がりがあります。

また、術数家でこのような帰結を認識している人は、非常に少ないです。ちなみに、掛川師兄はこの部分に悟りを持っていました。叩き上げの仙道家でもわからないことなのですが、術数も極めればここに答えを見出すのです。

そして、必ずこの部分は重秘となり、我々はこの部分を公開できません。公開できませんが、この部分は仙道、禅、密教、ヨーガ、などの修練体系を持ったありとあらゆる伝統宗教が、必ずたどり着く一つの答えのカタチだと考えています。

余談ですが、もし仮に人々が風水を学び「理気」を解釈するのに際して、哲学を欠くのならば、それは「理気」という二文字の上からも既に違うことになります。

日本では、多くの人々が哲学を理解していません。そのため、風水も「開運風水」です。しかし、もし人が本当に風水を理解したいと望むのならば、哲学なくして理解することなど、到底不可能であり、哲学を欠けば風水はただ易卦と八卦で遊ぶ「開運風水」になってしまいます。ただ遊ぶだけで、易卦と八卦の関係さえわからないでしょう。

そして、その人の持つ哲学である認識様式から、ある程度その人が風水を学んだら、「どの程度まで深く探求できる」かが見えてきます。

その人の持つ思考様式そのものが、自然に迫る方法そのものでもあるわけです。

これが探求者たちにとって、面白い部分ですよね。

ちなみに、『地理風水大全』は、哲学を主体としているので、多くの人が苦戦するでしょう。風水本としてのリアルな入門書ですが。

まあ、風さんは、全く問題なく読みこなせると思います。

ダニエル様

哲学、、ですね。大きな課題をありがとうございます。

哲学がどこから来てどこへ行くのか、全く学のない私はただ学ぶことしかできませんが、そこに人が感じるもの、哲学のどこに人は惹かれていくのか、それをしっかりと読んで行きたいと思います。

容量をオーバー覚悟で頑張ります^^;