『風水住宅図鑑』出るぞ~1

1 久々に自著の紹介をさせて頂きます。

 最近は翻訳や監訳作業に勤しむことが多かったのですが、ちゃんと自分の作品も作りこんでおりました。

 タイトルはズバリ、『陽宅図鑑』です!

 えっ、横の写真とタイトル違うって!(;◔ิд◔ิ) !!!

 自分の思うままのタイトル付けられた、そりゃあいいよなー。(´Д⊂グスン

 ということで、改めまして『風水住宅図鑑』にいよいよ発刊されます。

3 発売までまで時間があるので、ブログで四回くらいに分けて、この本の見所や、執筆ウラ話でも書き綴っていこうと思います。

 まず、本書のメインテーマは「住んではいけない場所・間取りを知る」ことをテーマにしています。

 執筆には実に一年半位を擁しました。

 その間、一番苦しかったのは、この本に専念するために、風水山道通信講座 の執筆をストップしたことでした。 

 大量の時間を投入する。これは楽な作業なようでいて、実に苦しい作業です。

 というのも人は時間を失えば、その分の日常生活から経済活動まで、全てにその影響は波及するのですから。

 実際、この本に関わった全ての人達の時間がどれほどこの本に注ぎ込まれたは後々語るとして、私の場合は通信講座を一年半ストップさせても、支援してくれた風水山道受講生たちがいなければ、仕上がらなかったと言っても過言ではないでしょう。

 

6 もちろん、その遅延に呆れ果ててやめてしまった人、文句を声を大にして叫びたい人、実にいろいろな人がいると思います。

 ぼくも自分の都合を一方的に受講生に押し付けることもしたくなければ、結局、この風水に限らず、教育全般に言えることだが、先生と生徒の心の距離とつながりだけが、その先にあるものを決めているのは間違いないことだと思う。つまり、先生と生徒の心のつながりが無くなった時に、袂を分かつのもいいし、歩みを止めるのもそれで仕方ないことだと思う。

 いつだって、自由に、Home Free(悠々自適)だとおもう。

 実際、僕はそうやって多くの人と出会い、そして袂を分かってきたし、それがきっと人生だよね。といつも思う。

 こんな悠々自適な僕についてきてきくれた受講生に、この本をいの一番捧げたい!

 そして、遅延を出している生徒には僕から一冊無料でプレゼントしたい!

 「ありがとう!」と、言い添えて。

 一方的な私のTIME(時間)の欠乏から、遅延を押し付けられ、それに頑張って耐えた生徒たちのために、今度はぼくがその恩を返す番だと思う。そうやって、互いに理解し合えることこそ、一方的ではない、心の双方向のつながりなんだと思う。

 そう、この本では、「コレをコレだけしたから、コレがもらえる」という資本主義の賃金に変換された価値観とは異なる価値が詰め込められている。

 というのも、この本の制作に関わった人間たち、とりわけ、デザイナーの二人のした作業は、全く賃金と見合わない膨大な時間を投入した作業だった。この二人の生徒でもあるデザイナーは、この本に関わったために自分たちの仕事が数ヶ月できないくらいの仕事量に及んだ。二人は多大なTIMEを消失させ、この本の作りこみに共に取り組んでくれた。 

 7そこには、やはり生半可な気持ちではいられない強烈な目的意志みたいなものがなければできない。というのも、こんな狭い市場の特殊な専門分野、しかも専門書の執筆作業がお金になるわけない。ただ、ただ、タダで働く労働者のごとく、時間を失うだけであるのは言うまでもない。

 こんなにも苦しい作業である、研究から実践、大量の時間を投入して、その内容を執筆し世に問うという作業。

 その気持は風水山道フォーラムのノーカット版の記事で色々と語ってきた。

 そう、ぼくたちにはその強烈な意志を貫き通す目的みたいなものがあるのだろう。

 鍾進添老師がそこを読み取ってくれたのが、嬉しかった。

 

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 そして、受講生たちの中にも、その一番大事な点、そう僕達を支え続けた情熱の源に気づいてくれる人たちがいたのが嬉しかった。

 メールを頂き、ありがとうごさました!

 

73635_908725_2 最近、『TIME/タイム』という映画を見ましたが、この映画の現実をアプリオリ(経験なし)に理解させるのに成功しています。時間が通貨となり、人々は自分の時間で日常品から贅沢品まで支払うこととなった近未来の内容ですが、これはある意味、ごくありふれた日常の現象なのではと思えてしまいます。

 この映画では、通貨である時間が切れたら人は死に、そして時間を人に渡すことによって人を救うこともできる。

 

 カント(Immanuel Kant)によれば時間と空間は、あらゆる経験的認識に先立って認識されている概念であるため、アプリオリ(a priori)であるとしている。

 そう、時間と空間を風水もあらゆる経験的認識に先立って認識しようと試みているとするならば、アプリオリな立場である。しかしアプリオな空間と時間で風水を曖昧なものとして終わらせるのではなく、風水の背景にあるものをこの本では追求した。

 それがこの本の最大の特徴です。

 つづく。

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