南無阿弥陀仏!
ついに、ぼくらのお仲間も攻撃対象に(笑)。
自分のブログ内に関して、過激な発言とそれにまつわる全責任をとるのは、ぼくの仕事であって、皆が色々な影響を受けてくれるのは、ありがたいが、注意したほうが良いだろう。攻撃対象になるものが、ダイレクトに、ぼく自身には、ならない場合もあるのだろうから。
それは、戦いの必定で、弱い部分から叩かれる。
つまり、皆がぼくの周りで、発言に注意しなければ、今後、ますます叩かれる可能性がある。
もし、そういった誹謗中傷を恐れるのならば、発言には注意したほうが良い。
発言するほうも、発言するほうで、自分なりの考えを持っているのだから、その考えがどう間違っているか、教え諭してあげなくてはいけない。
それが、発言をするものの責務だ。
その対話を成り立たせる責任がないならば、発言にも注意すべきだ。それは、ぼく自身を含む、全ての人に言えることではないだろうか。
ちなみに、相互リンクしている人と仕事の上で繋がりがある人たちのブログ以外読まないんですよ、ぼくは。それをことさら、ぼくに、「誰かのブログで、こう書かれている。」と、報告されても、どうでも良いことなんだよね。識が穢れますぞ。( ゜ 3゜)
今後は、各自自分たちで責任を持ちましょうね。ぼくは、ヤクザの元締めでもなんでもないんですから(笑)。今回は、自分で言った責任は、ぼく自身が持ちましょう。
ダニエル:「日光東照宮に、龍穴なし。」。
じゃあ、責任を持って、最後まで言いましょうか。それが、ぼくの責任のあり方だしね。
<日光東照宮に、龍穴なしの理由>
一、巒頭の上から。
日光東照宮には、「束気」がなく、龍の首に当たる部分が無い。つまり、「気再走去」、まだ龍が動いており、穴を結んでいない。それは、巒頭に精通した、このブログである戦士といわれる台湾屈指の風水師が、日光東照宮まで、足を運び、何故か、日光鬼怒川温泉で一泊して(笑)、また、日光東照宮に戻ってきた、何度も歩き回り、十分に巒頭(形ある実態)を調査した結論でもある。他にも、地理風水の上で、大きな問題がいくつもあったが、省略する。
ある戦士:「ここに、龍穴があるはずないだろ!ここは観光の名勝遺跡と呼ぶのだ。」
二、名勝遺跡を龍穴に置き換えるのは不可能。また、家康は神ではない。
家康公の相談役であり、政治顧問の天海僧正は、『日光が日本国中で最もすばらしい“聖地”』として自分のお墓を日光に建てて欲しいと、遺言を残し、家康自身も、『自分が死んで、一周忌が過ぎたら、日光山に小さな堂を建てて、自分を神としてまつりなさい。自分は、関八州(関東地方)の平和の守り神となろう。』と言い、遺言は実行された国家運営に支障をきたすほどの大きなお堂を建てるために。
そして、1616年(元和2年)駿府で75歳の生涯を閉じ、“神”としてまつられた家康は、関八州のみならず日本全土の平和の守り神となったとされるが、現代において天皇さえ人間宣言したこのご時勢にあっては、家康が神だといっても誰も信じないし、知らないだろう。
皆、日光東照宮が、名勝遺跡だということを知っている。
三、北極星を要の位置だと決めるのは、自由だが、北極星は、龍穴の位置を示すのと関係が無い。
日光は江戸のほぼ真北。北天は、宇宙の中心であり、不動の北極星を中心に星々が、規則正しく運行するとされ、これがこの世の規則であり、江戸から見れば、その要の位置に日光がある。”とされるが、北極星は2008年現在、自転軸から 1度あまり離れており、直径約2度の小さな円を描いている。。
また、北極星は春分点歳差のために、北極星は何千年か毎に別の星に移り変わる。紀元前2000年代にはりゅう座のα星(トゥバン)が北極星に当たる位置にあり、エジプトのピラミッドに北向きに作られた空洞は、当初この星に向かっていた。
ちなみに、この北極星を持ち出して、日光東照宮に龍穴があるというのは、ピラミッドにも龍穴があると言っているのと同じ、ロジックである。そこには、四象、地理五訣(龍・穴・砂・水・向)をはじめとする巒頭の様々な理論がまったく成立しない。「お~い、ここ砂漠だよ」と言ったところでしょうか。
余談だが、北極星は全天で51番目に明るい星で、最も明るい星はおおいぬ座のシリウスである(地球から見た明るさで、太陽・月・太陽系の惑星は除く)。
日光東照宮という、江戸と北極星を結ぶ中心軸にまつられることによって、家康は日本の平和の守り神になろうとしたというが、以上の理由から北極星の位置にあわせた単なる迷信と宗教に過ぎない。
何度も言うが、北極星は春分点歳差のために、北極星は何千年か毎に別の星に移り変わる。1万3千年後にはこと座のベガが北極星になる。
当時これらの天体観測が理解されていなかった。勝手に北極星を不動の星と勘違いした挙句、「北辰信仰」と化していたのだ。それは、風水ではなく、宗教だった。
四、日光東照宮は、風水師が施工したわけではない。ただの易卦のお遊びだったの!?
元禄元年から元禄3年(1690)頃にかけて行われた、日光東照宮の改修工事は、一番大掛かりで、その工事にだずさわった江志は江戸の中西正則に、中西流の数学を学び、東禅寺の天霊禅師に付いて易学も学んだとされ、その内容は、「五行十干の理、卦殳彖象の義」とされる。
ちなみに、江志知辰は、元禄3年(1690)頃に、易の大家である渋川(保井)春海の弟子となったされる。
易は儒学の「四書五経」の一つであり、これらの日本において、易の大家とされ人々が、北極星を崇める、「北辰信仰」というロジックに基づいて、日光東照宮が、これらの易の大家とされた人々のロジックと共に構築されて行くわけですが、明らかに、そこには、日本の五術の捉え方と同じ間違いが反映されています。
易の大家だから、風水師と決めつけてしまう、易=風水という何も風水を理解していない、一般人の通説レベルで、勝手な解釈が拡大反映されただけである。陽明門は、ただ真南を向いて建っているだけ。ヽ(`△´)/
数少ない台湾の著名な風水師であり、研究家であった故・孔日昌氏は言っておりました。
孔日昌:「現代の風水は、易卦の遊びをただ繰り返しているだけである。
後天卦を先天数に配合し、
先天卦を後天数に配合しているだけの遊びを。」
これは、易卦だけによって、風水全体を判断しようとする、何処の国も共通して陥ってしまう、風水の罠。「理氣だけ風水」、絵に描いた餅への痛烈な批判だった。
総合的に一言いわせてもらえば、巒頭(形あり、実態のあるもの)の上から「龍穴」と呼ばれるものが、日光東照宮に、本当に無いのです。けったいに、「五行十干の理、卦殳彖象の義」などを巒頭に持ち込まれても、困るんですな。 (。→ˇ艸←)
もちろん、母体となる原義に関係あるに決まっているが、どこをどういって、理氣の上でしか成立しないロジックを目の前に差し迫った土地や風景の上に置くのか、意味不明のことをする人が多すぎる。実際の地勢、形勢を読み解きなさい。
山道からの今日の一言:「現実を見なさい!答えはそこにあります。」
理解してくださいね。(・´з`・)
おっと、オレこのまま、『間違いだらけの日本風水』という本書いたら、結構面白そうかも。
同時に、『間違いだらけの日本奇門遁甲』も、面白いかも。方位術として、行動し移動する上での立向盤で、「日盤がもっとも使える」と言っている人がいるようですが、現代で、24時間かけて、移動する人がいますか?
使用可能なのは、時盤のみです。日盤を使うということは、24時間かけて目的地に移動するということで、現代で、その様な長時間を要する移動など、まずありえません。
多分、立向盤一つ一つの使い方が、日本では、間違いだらけで、ただの迷信と成り下がっています。ヽ(`△´)/
こういったことを一つ一つ指摘し、教え諭してくれた張明澄先生と偉大な教えに、ただ感謝!
間違いは、恥ずかしいことでは無く、固執して、恥を垂れ流す学習力と意欲の無いことが恥ずかしいことです。
人間は、神ではないのですから。家康が神でないように。
我々、か弱き人間の間違いの何処に恥ずかしいと思うことがあるというのでしょうか。自分の狭い世界に固執せずに、もっと大きな世界を見つめてください。私も、また間違えることもあるでしょう。その時、こういった指摘をしてくれる人がいるならば、それは私の幸せです。..+'(◕ฺ∀◕ฺ)..+*
私は、日光東照宮に龍穴が無かったと、「龍穴」という風水文化の定義に基づいて、自分のマスターと共に、執拗な現地調査し、「龍穴」を探す専門家として論じているのであって、龍穴が無いからといって、誰かの文句を言ってはいませんぞ。その辺りを、ただの誹謗中傷と勘違いしないでね。ヽ(`△´)/
このブログは、モグラ叩きではないということをわかって欲しくて書きました。また、人としてしてはならないのは、人様の先生の悪口です。それは、論理とは関係が無い。
お仲間にも言い諭しておいたので、ケンカ痛み分けで、双方とも、誹謗中傷の部分を消すと良いアルヨ。(✪ฺܫ✪ฺ)
ちなみに、このブログは誹謗中傷していませんぞ。ぼくが見た風水世界観を淡々と書いているのです。(σ・∀・)σ タイトルにもちゃんと「山道帰一の風水世界観」と書かれており、ここを見に来る人は、山道の「世界観」や「個人的に思ふ」ことを覘きに来てくれているという前提なので。(。◕ฺˇε ˇ◕ฺ。)



