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『完全定本 風水大全』盧恆立(レイモンド・ロー)著・訳者あとがき
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日本読者に宛てた序文の中で、盧恆立(レイモンド・ロー)先生が「引き寄せの法則」を感じたと述べているように、私もまたこの法則を強く感じました。私と盧恆立先生は、随分前から、繋がっていたような、そんな不思議な感覚であったのかもしれません。 私が、盧恆立先生の評判を聞いたのは、今から十数年前で、他ならぬ私の家族からでした。そして、私の家族は、風水を含めた五術の世界に関して深く研究、研鑽を積み重ねてきた伝統的な家系の人たちであり、他人を褒めると言うことは、まず無いので、その時、聞いたことが片時も頭の中から離れることが無かったのだと思います。強く印象に残ったのは、風水や四柱推命に関する知識や技術の評価だけではなく、盧恆立先生の人柄に対する評価が大きかったのをよく憶えています。 私は長らく海外にいて、帰国後、日本の風水の現場を知るうちに、とても不安な気分を感じました。それは、見聞を広めるべく、風水の本場を回り感じたものと明らかに異質だったからです。私を不安にした最たるものは、「風水は、人の命に係わるもの」だという認識が、日本ではされていないことでした。逆に、この様な言い方をすれば、人々は口をそろえて、「私の知っている風水は、そんなに怖いものじゃありません。そういう風に考える風水は、おかしいです」といった内容の返答に遭うことが多かったのです。もちろん、「風水は、人の命に関わるもの」だということを強調し、風水をおどろおどろしいものにし、脅しや脅迫の手段にしようとして、言っているのではないのです。 風水は、人間生活に根付き、環境に調和させ、自分を取り巻く全てのものから、良いエネルギーを導き出し、人間生命を実りあるものにすることがきるという点と同じなのです。裏を返せば、風水は、人間にとって、致命的な生命の危険を起こしかねない状況をも引き起こす可能性があるという事実なのです。しかし、多くの人が言うように、世間に通俗的に溢れ、ささやかれる「私の知っている風水」とは、何なのでしょうか? それは結局のところ、社会がマスコミやメディアを通じて作り出したイリュージョンに過ぎないように私には、思えてなりません。しかし、その様な通俗的観念としての風水が、日本社会に蔓延している以上、多数決では、「私の知っている風水」は、勝ち目が無いのでしょう。それは、あたかも多数決で、ソクラテスが、死刑にされたのと同じで、世の通俗的観念は、真実を覆い隠すほど強いのではないでしょうか。もちろん、現在の日本社会に溢れた「風水」なる観念をプロデュースしたマスコミやメディアよりも多く、自分の人生における時間を費やし、風水をいくら研鑽したと自負しても、その様な社会全体を覆う観念の前では、象に踏みつけられる蟻と同じだといつも考えていました。この様な世の中で、風水や、五術というものは、自分には社会的に係わり合いが無く、それは自分の趣味の領域を出ないと決め込んでいたのでした。 そんな折、風水を通じて知り合った幾人かの仲間から世界で活躍する著名な風水師の話題になり、その中に、自分の記憶に引っ掛かっていた懐かしい名前を聞きました。十数年前に一度聞いて以来、忘れることのなかった盧恆立(レイモンド・ロー)、その人でした。数年間活動しては、名前が消えて行く、展開の速い芸能界にも似た日本の占術界にあって、未だ色褪せることの無い名声を盧恆立が轟かせていた事は、正直驚きでした。 それ以来、盧恆立(レイモンド・ロー)の本を買いあさり、自分なりの検証を加えた結果、今の日本の風水世界を変えるパワーを感じました。例えば、盧恆立は、「開運」という、捉えどころが無く、漠然としていて、迷信じみた言葉を一切使いません。開運とは、運が開けることですが、自分自身の運を知らない人間が、どうして自分が開運されたとか、誰かを開運したと思い込むことが出来るのでしょうか?つまり、その様な開運とは、単なる思い込みの域を出ないということです。そのため、盧恆立は、四柱推命によって、個人の運を見て風水の判断をすることを怠りませんし、開運という言葉を使わずに、どうすれば良いのか、また、その結果どうなるのかということに主眼を置き、対策を持って「改善(cure)」と言います。この様な考え方と科学的態度に基づく、世界のレイモンド・ロー風水体系は、今の日本に明らかに必要な風水と判断したのです。 本書でも述べられているように、盧恆立は、「読者は懐疑的でなくてはならず、論理的思考を使って有用な情報を取り出し、非論理的な部分は捨てなくてはいけません。」と言います。この言葉一つとってみても、私には有用な情報でした。その結果、私は本だけでは、満足できずに風水仲間たちと一緒に香港に行き、盧恆立先生の教えを自分で体感した結果、強い印象と、目に見えない不思議なご縁のようなものを感じました。そして、私は自分が顧問を務める会社を通じて、盧恆立先生の風水体系を日本に伝播するお手伝いをしたいと申し出ました。盧恆立先生からは、すぐに許可が下り、日本における全ての請負契約書までいただけたのは、不思議なご縁というしかないものでした。というのも、盧恆立先生は、十数年前の私の家族との会合を覚えていたのですから。 呼ぶ者と呼ばれる者が、見事に繋がりあい、互いに忘れることがなかったという目に見えない繋がりから来ていたのではと、考えさせられます。それは、盧恆立先生の言う「引き寄せの法則」なのかもしれません。 盧恆立先生は、「風水は、人の命に係わるもの」だということを理解し、教授している数少ない本物のマスターです。盧恆立先生ご自身が、本書でおっしゃっているように、五人の風水マスターにつき、風水を研究、研鑽してきました。そして、その背景には脈々と連なる伝統があります。本書では述べられることが無かったですが、盧恆立先生の風水の特徴である「山水飛星」などにみられる風水は、以下のような継承図によって伝えられてきたものです。 <盧恆立の風水系譜図> ![]() 私も、盧恆立先生の様に、今まで幾人かの風水マスターのもとで勉強しましたが、自信を持って、盧恆立先生を優れた風水マスターの一人として、日本社会に紹介したいです。 日本の風水の最前線の現場を見ていて、気づかされたのは、巒頭(らんとう)を理解している風水実践家が極端に少ないという事実でした。日本の風水は、理気と呼ばれる「時間によるエネルギー運行の循環による作用」しか見ないのが大半で、それは絵に描いた餅状態だと感じたものでした。また、民間に巒頭を体系的に勉強するための本も出版されていなかったのも事実です。 巒頭とは、「目に見える形のある風景」が、人に及ぼす影響を配慮するという意味があります。 つまり、本書『完全定本 風水大全』に説かれている巒頭、「目に見える形のある風景」を人が風水を通じて考え始めたときに、人は自然を大切にし、環境を重んじ、再び景観を愛せるようになるのではないでしょうか。その「意識の触発」が、この本が皆にもたらす最大の効果だと信じています。 多くの人が、巒頭を勉強して、「日本の大地は美しい!」 と、叫べるような意識の芽生えが、湧き上がることに期待しています。 本書を通じて、風水の初学者は風水というものが、より専門的なものに思えるかもしれませんが、どうか自分で風水の敷居を上げないでください。風水は、気の世界です。美しい景色に感動する心がある人間全てが、風水でいう巒頭の影響を受けているのです。そして、その感動は、決して気のせいなんかではなく、「目に見える形のある風景」から受けた、確かな気の影響であり、自分で感じられる確かなものだという実感を持ってください。その実感から、我々の眼は外に向けて開かれ、気の世界である風水を感じ、学び始めるのですから。 そして、「風水は人の命に係わるもの」であるため、医者が患者を扱うのと同じ気持ちで、世の風水師たちは、慎重に風水に取り組むべきだと思います。その医療技術に該当する風水技術の向上のために、本書を世に送り出すお手伝いが出来たことは、私にとって、とても光栄なことでした。 長くなりましたが、『完全定本 風水大全』翻訳の草稿を作るため、短時間で粘り強く翻訳をしてくれた島内大乾氏と、細かい説明を求める質問に、いつも迅速に対応してくださった盧恆立先生、常に本書が世に出るように応援して、ご協力してくださった福田英嗣氏、白川篤史氏、風水探偵団を主宰する斉藤均氏に、厚くお礼申し上げます。 最後に、この本に一番深く係わってくださり、内容に強く賛同し、本書出版のきっかけを作ってくだった占術研究家、林秀靜氏と、出版に携わったことの無い私にご指導してくださり、本書を編集してくださった編集者の初鹿野剛氏に深く感謝申し上げます。 皆様のご協力なくしては、本書『完全定本 風水大全』が、日本で出版されることは無かったでしょう。この場をお借りして、重ね重ね、お礼申し上げます。 本書が、日本の風水に春を告げる梅のような役割を担ってくれればと願ってやみません。 2008年3月10日
山道帰一 |

