初めまして、 生前師は、良く〝役にたつ事をしなさい〟とお話しをしていました。 『豐さ』 素晴らしい〝詩〟をありがとうございました。 詩によって、「種子」唯識の説明が非常に理解し、助かりました。 毎日の更新大変でしょうが、張先生のファンの方は、 とても、楽しみに拝読していると思いますので、頑張ってください。
南華さま コメントありがとうございます。 各地に散らばる張先生の関係者に、そして、張先生を最後まで支えた南華さまのようなお弟子さんたちに、かくも、まだご挨拶できていない、自分を恥ずかしく思います。 大分の南華のように、人の心も忘れて、のうのうと暮らす輩がいるのに対して、このように慈しみのあるコメントをしてくださる南華関係者がいることに勇気付けられます。ありがとうございます。 南華や東派として張先生に係わった我々としては、明澄透派も、捨て置く問題ではないため、第十四代明澄透派継承式は、厳かではありますが、張先生の関係者各位を招待し、台湾で執り行う手はずでございます。 また、師兄もそのように希望しておりますので。 我々は、表と裏で言えば、裏。陽の当たらない日陰の存在で、自分の修練生活には、寧ろそれがちょうど良いと常日頃考えてきました。別段に世間に主張することも無く、一人の修練家として世の中で己の全うすべきことを為せば良いと考えておりましたが、運命はそのような選択肢を我々に許してくれないようです。 心が強い想いを発し、胎動を始めたら、我々は、もう止まれないのです。全ては、師の言いつけどおりに。それは、師亡き後に出た指令、もしくは、セットされて残されたプログラムなのですが、我々は、正しい道に導かれていると今では、確信しております。 強い想いは、心から胎動を始め、まるで引き寄せるかのように、自ら歩み寄る時、眼前に答えは広がり、それがまるで足元に転がってでもいたかのように、たどり着いてしまう。そんな、上乗の乗り物である南華は、人類未踏の沢山の回答を有しています。 それはあたかも、「引き寄せの法則」が顕在意識で行なっても、何ら効果が得られないように、潜在意識のレベルまで、我々はどのように心を統合するかを描き出す東アジアにおける古代人の精神科学の積み重ねは、必ず、世に問う機会が現れるでしょう。 それまで、互いに功を絶やさず、当時のギリシャを生きるための知恵や、権力者をいましめるためにつくられた「イソップ童話」に出てくる猪が常に牙を磨いていたように、しておきたいものですね。 そして、ぼくのブログも、そういった意味において、「イソップ童話」なのかもしれません。 権力者たちを戒め、弱き者たちに生きるための智恵を説く。これは、我々の常なるテーマなのかもしれません。 こんなぼくの詩に対して嬉しいコメントを頂き、ありがとうございます。 早速ですが、ぼくが大学時代に書いた詩を投稿させていただきます。張先生を始め、我々も、また旅人であるということを描いた詩でございます。
コメント:『豐さ』
初めまして、
生前師は、良く〝役にたつ事をしなさい〟とお話しをしていました。
『豐さ』 素晴らしい〝詩〟をありがとうございました。
詩によって、「種子」唯識の説明が非常に理解し、助かりました。
毎日の更新大変でしょうが、張先生のファンの方は、
とても、楽しみに拝読していると思いますので、頑張ってください。
南華さま
コメントありがとうございます。
各地に散らばる張先生の関係者に、そして、張先生を最後まで支えた南華さまのようなお弟子さんたちに、かくも、まだご挨拶できていない、自分を恥ずかしく思います。
大分の南華のように、人の心も忘れて、のうのうと暮らす輩がいるのに対して、このように慈しみのあるコメントをしてくださる南華関係者がいることに勇気付けられます。ありがとうございます。
南華や東派として張先生に係わった我々としては、明澄透派も、捨て置く問題ではないため、第十四代明澄透派継承式は、厳かではありますが、張先生の関係者各位を招待し、台湾で執り行う手はずでございます。
また、師兄もそのように希望しておりますので。
我々は、表と裏で言えば、裏。陽の当たらない日陰の存在で、自分の修練生活には、寧ろそれがちょうど良いと常日頃考えてきました。別段に世間に主張することも無く、一人の修練家として世の中で己の全うすべきことを為せば良いと考えておりましたが、運命はそのような選択肢を我々に許してくれないようです。
心が強い想いを発し、胎動を始めたら、我々は、もう止まれないのです。全ては、師の言いつけどおりに。それは、師亡き後に出た指令、もしくは、セットされて残されたプログラムなのですが、我々は、正しい道に導かれていると今では、確信しております。
強い想いは、心から胎動を始め、まるで引き寄せるかのように、自ら歩み寄る時、眼前に答えは広がり、それがまるで足元に転がってでもいたかのように、たどり着いてしまう。そんな、上乗の乗り物である南華は、人類未踏の沢山の回答を有しています。
それはあたかも、「引き寄せの法則」が顕在意識で行なっても、何ら効果が得られないように、潜在意識のレベルまで、我々はどのように心を統合するかを描き出す東アジアにおける古代人の精神科学の積み重ねは、必ず、世に問う機会が現れるでしょう。
それまで、互いに功を絶やさず、当時のギリシャを生きるための知恵や、権力者をいましめるためにつくられた「イソップ童話」に出てくる猪が常に牙を磨いていたように、しておきたいものですね。
そして、ぼくのブログも、そういった意味において、「イソップ童話」なのかもしれません。
権力者たちを戒め、弱き者たちに生きるための智恵を説く。これは、我々の常なるテーマなのかもしれません。
こんなぼくの詩に対して嬉しいコメントを頂き、ありがとうございます。
早速ですが、ぼくが大学時代に書いた詩を投稿させていただきます。張先生を始め、我々も、また旅人であるということを描いた詩でございます。