イスカンダルさ~ん 今日は、行けなくなってしまい申し訳ございません。(*_ _)人ゴメンナサイ また、次回のブッキングありがとうございます。\( ・_・) 楽しみです。ちなみに、阿藤さんはセルカンさんと船井メディア時代に会ったことがあるとのことです。 さて、左手に刀のご質問ですが、日本では古来から、右手を左手で握り、目上に挨拶をする習慣があり、それは、今でも武道、サービス業に受け継がれています。 その意味は、右手というのは、利き腕であり、攻撃を意味し、右手を隠すということは、相手に対して、攻撃する意図はないという意味です。 つまり、剣を鞘に収めた状態ということですね。 この力士が左手で刀を振るうのは、攻撃して殺す意図はないという意味にも取れるのではないでしょうか。つまり、縛める意味での左手の刀と解してみては、いかがでしょうか。 追伸 実際のところ、意図ははっきりわからないですが。(゚o゚;)
ダニエルさま くわしく書いていただきありがとうございました。 この時間まで飲んでいたのに、全然文章からアルコールのにおいがしません。 ぼくがダニエルさんだったら、『明日にしよ』と思って今頃グーグー寝ていると思います。(;^^A ぱっと見どうしても違和感があったのです。なぜ左なんだろうと・・・。 子供には見せられないほどショッキングな絵なのに、その部分だけ違って見えました。 右手ならザックリいけるところが、あまり力の入らない左手で(オーリングしてますがそれも特定の個人にあてたメッセージなのかと^^) 冥獣のような姿をしているが、中身本質はすばらしい人間だというのを見抜いていて、司るのは右脳なのになぜ冷静な計算をしているのかと。見れば見るほどモヤモヤしてしまい・・・ ほぼ予想に近い内容のお返事がいただけてうれしい気分です。 ただ、追伸を鵜呑みにすると無意識にダニエルさんがチョイスしているようなので、やっぱりダニエルさんは凄い方です! これで、おかげさまでぐっすり眠れます。 ありがとうございます。
イスカンダルさ~ん た、確かに、この名刺、18禁かもしれません。(๑→‿ฺ←๑) いや~、結構飲んだんですけれど、アルコールを体外に排出する術に長けている今日この頃です。 ( ゜ 3゜) いずれは、子供達に夢を見せるものを作りたいダニエルです。 今は、ご存知だと思いますが、「切り開く」開拓時代です。 一人一人が立ち上がり、この「腐った時代」を切り開かなくてはいけないと痛感し始めている日々です。周りにいる一人一人の士気は高いです。 そして、来るべき開墾時代には、皆に率先垂範できるぼくの名刺を自分で作りたいですね。 相手の手の平に指で、「山道帰一・裸の王様」と書いてあげるだけでも良いことかもしれません。(→ܫ←) それだけに名刺も「裸の王様」で実際には必要がないのです。(笑) あの名刺にある化け物とそれを退治しようとする力士、それは善と悪の葛藤。そして、どちらに寄ることなく保たれる平衡。偏ることが危険であるという象徴。 その絵は、一つの魂の劇ですね。 古代ローマの時代には丘の斜面から独立建築物として街中に進出し、コロシアムの様な巨大な円形劇場が建設されましたが、このコロシアムで行なわれた奴隷の剣闘士たちの殺し合いに見られる「生と死」は、古代のソフィスト(哲学者)たちは、そこに魂の影絵を見出しました。 ちなみに、フィロソフィアとはフィロス「愛する」とソフィア「知恵」の合成語で「知を愛すること」を意味します。 ソクラテスは人間にとってもっとも大切なことについての「知」の探求であり、「無知」と「思いこみ(ドクサ)」に対する戦いであると考えました。 そして、「限界概念」の突破とは、古代ギリシアで、知を目指す人々(ソフィスト)が出会った「思いこみ(ドクサ)に対する戦い」と同じ意味です。 「限界概念」の突破とは、ソクラテスの哲学そのものでもあるわけです。哲学の世界では、行き詰ったら、常にソクラテスにもどれという格言がありますが、今まさに、「ドクサ(思い込み)」を捨てるための作業、無知を自覚すること「汝自身を知れ」という言葉が問われている時代のように感じます。 この名刺を見たりした人の中には、「ドクサ(思い込み)」から発展し、自分の正義感で、何を勘違いしたか、「間違っている」という考えを持つ人間もいましたが、そういう人間は、全く哲学ができないんですね。 原因は、「ドクサ(思い込み)」を捨てるための作業、自身の偽善に満たされただけの自分の正義という名前の、「ドクサ(思い込み)」と向かい合い戦うことができないからです。 まさに、ここにこの力士と化け物の戦いの葛藤があるのです。つまり、この絵こそは、思い込みという概念と正しい知を求めて戦う人間の魂の葛藤の影絵の構図があるのです。そして、それこそは阿藤さんが求めた「限界概念」を突破するということをうたい文句にした名刺の構図化された姿なのです。 つまり、無知を自覚すること「汝自身を知れ」が、できないと人間性の発達は未発達となります。 学生時代から続けた「無知の知」を日々よく想い、反芻を繰り返すダニエルです。 そして、最後は(σ・∀・)σ「裸の王様」で終わるという、今日の落としどころです。というか、最近、いつもの落としどころが、裸の王様のような気が・・・。(。◕ฺˇε ˇ◕ฺ。)
コメント:デザイナーになるぞⅠ
デザイナーのダニエルさま
左手に刀なのは、何かの意味があるのでしょうか?
イスカンダルさ~ん
今日は、行けなくなってしまい申し訳ございません。(*_ _)人ゴメンナサイ
また、次回のブッキングありがとうございます。\( ・_・)
楽しみです。ちなみに、阿藤さんはセルカンさんと船井メディア時代に会ったことがあるとのことです。
さて、左手に刀のご質問ですが、日本では古来から、右手を左手で握り、目上に挨拶をする習慣があり、それは、今でも武道、サービス業に受け継がれています。
その意味は、右手というのは、利き腕であり、攻撃を意味し、右手を隠すということは、相手に対して、攻撃する意図はないという意味です。
つまり、剣を鞘に収めた状態ということですね。
この力士が左手で刀を振るうのは、攻撃して殺す意図はないという意味にも取れるのではないでしょうか。つまり、縛める意味での左手の刀と解してみては、いかがでしょうか。
追伸
実際のところ、意図ははっきりわからないですが。(゚o゚;)
ダニエルさま
くわしく書いていただきありがとうございました。
この時間まで飲んでいたのに、全然文章からアルコールのにおいがしません。
ぼくがダニエルさんだったら、『明日にしよ』と思って今頃グーグー寝ていると思います。(;^^A
ぱっと見どうしても違和感があったのです。なぜ左なんだろうと・・・。
子供には見せられないほどショッキングな絵なのに、その部分だけ違って見えました。
右手ならザックリいけるところが、あまり力の入らない左手で(オーリングしてますがそれも特定の個人にあてたメッセージなのかと^^)
冥獣のような姿をしているが、中身本質はすばらしい人間だというのを見抜いていて、司るのは右脳なのになぜ冷静な計算をしているのかと。見れば見るほどモヤモヤしてしまい・・・
ほぼ予想に近い内容のお返事がいただけてうれしい気分です。
ただ、追伸を鵜呑みにすると無意識にダニエルさんがチョイスしているようなので、やっぱりダニエルさんは凄い方です!
これで、おかげさまでぐっすり眠れます。
ありがとうございます。
イスカンダルさ~ん
た、確かに、この名刺、18禁かもしれません。(๑→‿ฺ←๑)
いや~、結構飲んだんですけれど、アルコールを体外に排出する術に長けている今日この頃です。
( ゜ 3゜)
いずれは、子供達に夢を見せるものを作りたいダニエルです。
今は、ご存知だと思いますが、「切り開く」開拓時代です。
一人一人が立ち上がり、この「腐った時代」を切り開かなくてはいけないと痛感し始めている日々です。周りにいる一人一人の士気は高いです。
そして、来るべき開墾時代には、皆に率先垂範できるぼくの名刺を自分で作りたいですね。
相手の手の平に指で、「山道帰一・裸の王様」と書いてあげるだけでも良いことかもしれません。(→ܫ←)
それだけに名刺も「裸の王様」で実際には必要がないのです。(笑)
あの名刺にある化け物とそれを退治しようとする力士、それは善と悪の葛藤。そして、どちらに寄ることなく保たれる平衡。偏ることが危険であるという象徴。
その絵は、一つの魂の劇ですね。
古代ローマの時代には丘の斜面から独立建築物として街中に進出し、コロシアムの様な巨大な円形劇場が建設されましたが、このコロシアムで行なわれた奴隷の剣闘士たちの殺し合いに見られる「生と死」は、古代のソフィスト(哲学者)たちは、そこに魂の影絵を見出しました。
ちなみに、フィロソフィアとはフィロス「愛する」とソフィア「知恵」の合成語で「知を愛すること」を意味します。
ソクラテスは人間にとってもっとも大切なことについての「知」の探求であり、「無知」と「思いこみ(ドクサ)」に対する戦いであると考えました。
そして、「限界概念」の突破とは、古代ギリシアで、知を目指す人々(ソフィスト)が出会った「思いこみ(ドクサ)に対する戦い」と同じ意味です。
「限界概念」の突破とは、ソクラテスの哲学そのものでもあるわけです。哲学の世界では、行き詰ったら、常にソクラテスにもどれという格言がありますが、今まさに、「ドクサ(思い込み)」を捨てるための作業、無知を自覚すること「汝自身を知れ」という言葉が問われている時代のように感じます。
この名刺を見たりした人の中には、「ドクサ(思い込み)」から発展し、自分の正義感で、何を勘違いしたか、「間違っている」という考えを持つ人間もいましたが、そういう人間は、全く哲学ができないんですね。
原因は、「ドクサ(思い込み)」を捨てるための作業、自身の偽善に満たされただけの自分の正義という名前の、「ドクサ(思い込み)」と向かい合い戦うことができないからです。
まさに、ここにこの力士と化け物の戦いの葛藤があるのです。つまり、この絵こそは、思い込みという概念と正しい知を求めて戦う人間の魂の葛藤の影絵の構図があるのです。そして、それこそは阿藤さんが求めた「限界概念」を突破するということをうたい文句にした名刺の構図化された姿なのです。
つまり、無知を自覚すること「汝自身を知れ」が、できないと人間性の発達は未発達となります。
学生時代から続けた「無知の知」を日々よく想い、反芻を繰り返すダニエルです。
そして、最後は(σ・∀・)σ「裸の王様」で終わるという、今日の落としどころです。というか、最近、いつもの落としどころが、裸の王様のような気が・・・。(。◕ฺˇε ˇ◕ฺ。)