台湾でもお引き回しお出かけで、ご多忙ですね。 そして、日本での講義のクラスがどんどん増えそうな気配を感じるのは、私の勘違いでしょうか? 実は、あるパーティで日本でも重鎮の中に入りつつある人から「擇日」の必要性を思いっきり否定されるなか、論破してしてしまい、他の重鎮候補が驚かれていらっしゃいました。 まだまだ、「擇日」が誤解されたままになっています。 私もまだまだ卵でひよこになれるか候補程度ですが、 擇日のクラスが開催されることを今から楽しみにしています。 たくさんのお引き回し・・・ご人徳ですね。 無事のお帰りをお待ちしています。
いろはさ~ん 台湾から、コニャャャチワ。 > 日本でも重鎮の中に入りつつある人から >「擇日」の必要性を思いっきり否定されるなか、 その人は、「重鎮」ではなく、「フルチン」なのでしょう(笑)。 また、日本に五林の重鎮って「えっ誰!?」とっい観が・・・。 ぼくが日本における五林の中で、重鎮と呼ぶに値する人は、現存するなかでは、明澄透派の最高顧問の掛川師兄一人だけですし。 そもそも、日本には五林なんて明澄透派以外あるのかな!? どうなんでしょう? 日本で、「命・卜・相・山・医」全部ある流派が、明澄透派以外にありますか? 私は、よく分からないということで。(。◕ฺˇε ˇ◕ฺ。)
「地理風水大全」の中で擇日の必要性を説いておられましたが 「地理風水大全」では軽く説明するのみにされていましたので これから学ぼうとしている方(僕も含めてだけど)の為に 機会かあったら是非に本を書いていただけたらな~っ などとリクエストしてみたりします☆
「擇日」について 文: 山道帰一 「擇日」は中華の文化であり、中華圏の人々に影響力の強い縁起観を形成しています。その意味からも、私は「擇日」を文化と規定しているのですが、日本ではまだ根付いていないのも一つの事実です。 というよりも、「擇日」と「吉日」とは概念自体が異なり、擇日が通書や天文暦を用いるのに対して、吉日とは開運暦であり、その理論と成り立ちも、実に様々です。 「擇日」は、洪潮和の著作『剋擇講義』からはじまります。洪潮和は、清朝の泉州で生まれた人士で、擇日通書と擇日教材による編集をした開祖でも有ります。この『剋擇講義』から「擇日」という言葉が派生したわけです。理論や天体に関する観測は、もちろんそれ以前から行われていますが、ことさら、「擇日」という言葉とその概念は、ここから始まったのです。 堪輿と擇日法 また、ここに大きな分岐点があり、「擇日」と「吉日」が、通書及び「天文暦」と「開運暦」を分かつことになります。 ここに、時間を起点として、風水を考察する上で、天体観測など時代ごとの最先端の成果である天文学、物理学、数学などを導入した「学術としての風水」と庶民の縁起観を干支や易卦に象意を置き換え、時間を符合させてきた「開運風水」との決定的な分岐が起きたわけです。 それは、現代にも繋がっていますね。 「伝統風水」と「開運風水」という題目を変えて、せめぎあっているものではないでしょうか。 また、「伝統風水」が、ただの化石かと言いますと、それは、間違いで、最先端の成果である天文学、物理学、数学などを導入した「学術としての風水」の系譜にあるものという定義を私は置いています。 そのため、私は常々「伝統文化としての風水」と「創作された新しい技術としての風水」を「伝統風水」と「開運風水」という見方で分けています。 つまり時間に対する考察の仕方がこれらの違いを生んでいるのです。 ☆伝統風水・・・伝統文化としての風水 天体観測など時代ごとの最先端の成果である天文学、物理学、数学などを導入してきた。 時間の考察: 天文暦を用いて、天と人の相関関係を天体との係わりから、時間を基準とした「擇日」となった。いわば、占星術として用いられた。 ☆開運風水・・・創作された新しい技術としての風水 庶民の縁起観を干支や易卦に象意を置き換え、時間に概念を持たせ符合させてきた。 時間の考察: 吉日としての縁起観を重視することから、「開運暦」と呼ばれる時間に対する考察がある。 *共通する点は、どちらも、中華権に根付く、縁起観としての文化を演出している。 「擇日」は、言わば東洋占星術であり、専門家が日選びをするものであり、「開運暦」は庶民に根付く縁起観を形成し、開運暦を買えば誰でも見てわかる構造になっている。 本で書きたいが、出版社としては、「開運暦」は誰でも見るだけではわかる表みたいなもので、売れるから出版できるが、天文暦を駆使する占星術として確立された複雑な技法である「擇日」は出版が無理だと聞いています。
あぁ~っ、奥が深すぎます(つд`) 中国数千年の英知を1年や2年の若造が理解しきれないのは あたりまえですが。。。 天文学、物理学、数学など科学であり文化であり歴史なのだ と言うことは風水を学び感じることができます それと同時に、日本でなぜニューエイジ風水が持てはやされるのか それは、風水の奥の深さと難しさにあり 出版社もより売れる本(簡単なほう)に流されてしまうのですね 日本でも少しずつ学ぶ環境を整えていただいている 山道帰一先生やレイモンド・ロー老師などから (レイモンド・ロー老師の講習では擇日もされていますし) 地道に学びとっていくしかないのでしょうね (中国から本を取り寄せる方法もあるかもしれませんが 訳すのは難しいですし) それと 何事もそうですが、机上で本とにらめっこしていているより 実際に実地練習しないと覚えないですよね なんだか 話が上手く纏まりませんが 一歩々がんばっていきたいと思います。
コメント:五林世界Ⅰ
台湾でもお引き回しお出かけで、ご多忙ですね。
そして、日本での講義のクラスがどんどん増えそうな気配を感じるのは、私の勘違いでしょうか?
実は、あるパーティで日本でも重鎮の中に入りつつある人から「擇日」の必要性を思いっきり否定されるなか、論破してしてしまい、他の重鎮候補が驚かれていらっしゃいました。
まだまだ、「擇日」が誤解されたままになっています。
私もまだまだ卵でひよこになれるか候補程度ですが、
擇日のクラスが開催されることを今から楽しみにしています。
たくさんのお引き回し・・・ご人徳ですね。
無事のお帰りをお待ちしています。
いろはさ~ん
台湾から、コニャャャチワ。
> 日本でも重鎮の中に入りつつある人から
>「擇日」の必要性を思いっきり否定されるなか、
その人は、「重鎮」ではなく、「フルチン」なのでしょう(笑)。
また、日本に五林の重鎮って「えっ誰!?」とっい観が・・・。
ぼくが日本における五林の中で、重鎮と呼ぶに値する人は、現存するなかでは、明澄透派の最高顧問の掛川師兄一人だけですし。
そもそも、日本には五林なんて明澄透派以外あるのかな!?
どうなんでしょう?
日本で、「命・卜・相・山・医」全部ある流派が、明澄透派以外にありますか?
私は、よく分からないということで。(。◕ฺˇε ˇ◕ฺ。)
「地理風水大全」の中で擇日の必要性を説いておられましたが
「地理風水大全」では軽く説明するのみにされていましたので
これから学ぼうとしている方(僕も含めてだけど)の為に
機会かあったら是非に本を書いていただけたらな~っ
などとリクエストしてみたりします☆
五林霧中ならいくらでもいますね。
「擇日」について 文: 山道帰一
「擇日」は中華の文化であり、中華圏の人々に影響力の強い縁起観を形成しています。その意味からも、私は「擇日」を文化と規定しているのですが、日本ではまだ根付いていないのも一つの事実です。
というよりも、「擇日」と「吉日」とは概念自体が異なり、擇日が通書や天文暦を用いるのに対して、吉日とは開運暦であり、その理論と成り立ちも、実に様々です。
「擇日」は、洪潮和の著作『剋擇講義』からはじまります。洪潮和は、清朝の泉州で生まれた人士で、擇日通書と擇日教材による編集をした開祖でも有ります。この『剋擇講義』から「擇日」という言葉が派生したわけです。理論や天体に関する観測は、もちろんそれ以前から行われていますが、ことさら、「擇日」という言葉とその概念は、ここから始まったのです。
堪輿と擇日法
また、ここに大きな分岐点があり、「擇日」と「吉日」が、通書及び「天文暦」と「開運暦」を分かつことになります。
ここに、時間を起点として、風水を考察する上で、天体観測など時代ごとの最先端の成果である天文学、物理学、数学などを導入した「学術としての風水」と庶民の縁起観を干支や易卦に象意を置き換え、時間を符合させてきた「開運風水」との決定的な分岐が起きたわけです。
それは、現代にも繋がっていますね。
「伝統風水」と「開運風水」という題目を変えて、せめぎあっているものではないでしょうか。
また、「伝統風水」が、ただの化石かと言いますと、それは、間違いで、最先端の成果である天文学、物理学、数学などを導入した「学術としての風水」の系譜にあるものという定義を私は置いています。
そのため、私は常々「伝統文化としての風水」と「創作された新しい技術としての風水」を「伝統風水」と「開運風水」という見方で分けています。
つまり時間に対する考察の仕方がこれらの違いを生んでいるのです。
☆伝統風水・・・伝統文化としての風水
天体観測など時代ごとの最先端の成果である天文学、物理学、数学などを導入してきた。
時間の考察: 天文暦を用いて、天と人の相関関係を天体との係わりから、時間を基準とした「擇日」となった。いわば、占星術として用いられた。
☆開運風水・・・創作された新しい技術としての風水
庶民の縁起観を干支や易卦に象意を置き換え、時間に概念を持たせ符合させてきた。
時間の考察: 吉日としての縁起観を重視することから、「開運暦」と呼ばれる時間に対する考察がある。
*共通する点は、どちらも、中華権に根付く、縁起観としての文化を演出している。
「擇日」は、言わば東洋占星術であり、専門家が日選びをするものであり、「開運暦」は庶民に根付く縁起観を形成し、開運暦を買えば誰でも見てわかる構造になっている。
本で書きたいが、出版社としては、「開運暦」は誰でも見るだけではわかる表みたいなもので、売れるから出版できるが、天文暦を駆使する占星術として確立された複雑な技法である「擇日」は出版が無理だと聞いています。
あぁ~っ、奥が深すぎます(つд`)
中国数千年の英知を1年や2年の若造が理解しきれないのは
あたりまえですが。。。
天文学、物理学、数学など科学であり文化であり歴史なのだ
と言うことは風水を学び感じることができます
それと同時に、日本でなぜニューエイジ風水が持てはやされるのか
それは、風水の奥の深さと難しさにあり
出版社もより売れる本(簡単なほう)に流されてしまうのですね
日本でも少しずつ学ぶ環境を整えていただいている
山道帰一先生やレイモンド・ロー老師などから
(レイモンド・ロー老師の講習では擇日もされていますし)
地道に学びとっていくしかないのでしょうね
(中国から本を取り寄せる方法もあるかもしれませんが
訳すのは難しいですし)
それと
何事もそうですが、机上で本とにらめっこしていているより
実際に実地練習しないと覚えないですよね
なんだか
話が上手く纏まりませんが
一歩々がんばっていきたいと思います。
その一歩、一歩をどこまで続けるか。
その一歩を歩む限り、ぼくはあなたと共にいるでしょう。