ダニエルさん おはようございます。 西洋の哲学をもこなすダニエルさんの姿に、ほぇ〜、と驚き。 頭の回転が早い、と山道さんの著書で呉さんがおっしゃっていることを 思い出しました。一回目は、何を書いているのか,今回の記事は分かりませんでした。 分からないなりに、私が想像したことを書きます。 《 時間軸と配列について 》 時間軸と配列(どのような順番に記憶を配列)の違いのうち、 ここで言う時間軸、という意味がピンと来ませんでした。 私なりに、こんな風に想像してみました。 時間軸とは、例えば、年表のように自分の体験した出来事を羅列すること に似ているのかな?と。年表ですから、事実は書いてあるが、自分の記憶 そのものとは乖離している。 ただ、年表には、文字が書いてある。 そこから想起されるのが、記憶(山道さんが言う配列(=記憶の順番とは違う意味です))。 時間軸と配列(記憶の順番?)と比べる時、配列の方が、より私たちの体験 に近く感じる。 時間軸と配列の違いは、そんな違いかな?と考えてみました。 《 三元派、三合派、形勢派 》 風水の流派の違いを、ほとんど理解していない(恥)です。 三元派のうち、三元九運よりも、二元八運の方の考え方が、配列(私たちの記憶の順番)に近い と感じました。フッサールの言う「事象そのもの」に近い、と。 (三元九運と二元八運の違いの理解なく、ただ、文字だけ(概念だけ)で書いています) 形勢派、というのは、巒頭(らんとう)(=四神相応、平地龍を観ること)かな?と考えてみました。 「事象そのものへ」 = 私たちの一人一人に刻まれた記憶(その配列により一人一人に想起される)に近いものとして、形勢派が一番近い、と考える。 三元派(のうち、あくまで二元八運)〈 三合派 〈 形勢派 というような順番。 《 名古屋講演会での山道さんのお話から 》 形勢派=巒頭とすると、 名古屋の講演会で、山道さんが言っていたこんなことを思い出します。 台北101のお茶製造元の農家のおじさんが、建設中の台北101のタワーを山水画のような 美しい遠景として眺めていた結果、台北101ミニュチュアを創る設計図が自然に思い浮かび、 台北101のおみやげとして実際に売られたことを。 さらに、オジサンの設計図とミニュチュアが受賞。 また、台北101でしばらく、おじさんのミニュチュアが一番よく売れたことも。 名古屋の講演会での紹介から、初めて巒頭からの私たちへの影響を知りました。 子孫繁栄、仕事運、など、巒頭から、私たちがどのような影響を与えられているのか? 何を見て、どんな記憶が、どんな配列でなされているのか? 風水の流派の中でも、形勢派=巒頭?が、私たちの生活に、最も影響を与えている。 そんなことを、ふと、思いつきました。 書きながら、山道さんの難しいお話も、少し、私なりに理解でき、ホッとしています(笑) いつも、深い話をありがとうございます。 師匠から学びを得、風土からの英氣を養って、元氣、ファイトな姿でまた台湾から帰国して下さい。 山道さん、 ありがとうございます (山道さんにならって、手を胸の前に合掌です。)。
乾さ~ん あっ、昨日帰国していました。 なるほど、時間軸についてですか。 それでは、まず西洋哲学では「時間」をどののように推し量ってきたかを『広辞苑』から簡単に抜粋します。あくまでも、簡単なものです。 -------------------------------------------------------------------- (ア)〔哲〕一般に出来事の継起する秩序で、不可逆的方向をもち、前後に無限に続き、一切がそのうちに在ると考えられる。宗教的には永遠から生じ永遠に帰するとされ、有限の仮象である。これをプラトンは永遠の動く影、アリストテレスは運動の帯びる性質とし、アウグスティヌスは時間の三様態、過去・現在・未来を意識の三様態、記憶・知覚・期待に還元した。近代になって時間は客観的規定と見られたが、カントは時間を空間と共に現象を構成する主観の直観形式と考えた。これに対し、弁証法的唯物論では物質の根本的な存在形式であるとする。ベルクソンは意識の直接的な流れとしての純粋持続を、ハイデッガーは「現存在」の存在構造としての時間性を、時間の根源と見ている。 -------------------------------------------------------------------- 時間は常に哲学され続けているという事実を多くの人が知りません。つまり、未だ哲学の命題の上では、時間とは不明なものであるというのが結論なのです。 ここで、思い出してもらいたいのが、私が講演会で「地理風水」の定義を、「地理学」と同義だと述べました。 つまり、「地理学」とは、空間ならびに自然と、経済・社会との関係を対象とする学問の分野。空間や自然環境、建造環境という物理的存在を対象の中に含むことから、社会科学と自然科学という両面の性格を有し、地理の上で行われる経済活動も含む。 ということです。 時間は、空間と共に哲学されたように、地理学、つまり「地理風水」も同じく、「空間や自然環境、建造環境という物理的存在を対象の中」に含むのです。 そして、風水で言う学派こと、流派の定義の違いは、空間に対する定義の違いよりも、むしろ時間に対する定義の違いから、派生しているというのが私の見解です。 詳しくは、以下の文章をお読みくださいませ。 堪輿と擇日法 「擇日」についての一考察
おかえりなさ〜い を言う前に、仙台へ飛び立ったんですね。 すぐにお返事できず それは、何回も難解な文を読み込んでいたのがその理由でした。 ご紹介頂いた文もまた、初めて触れる言葉の数々。 説明もこまかくヒントとなりました。ありがとうございます。 風水山道 2008年10月 6日 (月) 堪輿と擇日法 より 「また、その擇日法は天体の観測より導き出された自然科学と「時間と共に変化する」、時間哲学の融合であった。それは、空間と時間が出会った哲学の始まりでもあったのだ。」 擇日法=エフェメリス(天文暦)は、アルマナック(開運暦)とは違うこと。 擇日法=エフェメリス(天文暦)は、何年も複雑な学習を経た人が使うことができるもの。また、擇日法を使う人の、人生観にも日取りが影響されること。 そういった時間軸の捉え方(=擇日法=エフェメリス(天文暦))の違いにより、風水の流派の違いが生まれる、そう考えました。 時代時代の先端を行く天文学から、擇日を扱う人の人生観までを絡めた風水。 これまで知っていたものとは、まったく違う、という氣づき=風水を考えるそんなひとときを得ました。
コメント:形勢派と現象学
ダニエルさん
おはようございます。
西洋の哲学をもこなすダニエルさんの姿に、ほぇ〜、と驚き。
頭の回転が早い、と山道さんの著書で呉さんがおっしゃっていることを
思い出しました。一回目は、何を書いているのか,今回の記事は分かりませんでした。
分からないなりに、私が想像したことを書きます。
《 時間軸と配列について 》
時間軸と配列(どのような順番に記憶を配列)の違いのうち、
ここで言う時間軸、という意味がピンと来ませんでした。
私なりに、こんな風に想像してみました。
時間軸とは、例えば、年表のように自分の体験した出来事を羅列すること
に似ているのかな?と。年表ですから、事実は書いてあるが、自分の記憶
そのものとは乖離している。
ただ、年表には、文字が書いてある。
そこから想起されるのが、記憶(山道さんが言う配列(=記憶の順番とは違う意味です))。
時間軸と配列(記憶の順番?)と比べる時、配列の方が、より私たちの体験
に近く感じる。
時間軸と配列の違いは、そんな違いかな?と考えてみました。
《 三元派、三合派、形勢派 》
風水の流派の違いを、ほとんど理解していない(恥)です。
三元派のうち、三元九運よりも、二元八運の方の考え方が、配列(私たちの記憶の順番)に近い
と感じました。フッサールの言う「事象そのもの」に近い、と。
(三元九運と二元八運の違いの理解なく、ただ、文字だけ(概念だけ)で書いています)
形勢派、というのは、巒頭(らんとう)(=四神相応、平地龍を観ること)かな?と考えてみました。
「事象そのものへ」 = 私たちの一人一人に刻まれた記憶(その配列により一人一人に想起される)に近いものとして、形勢派が一番近い、と考える。
三元派(のうち、あくまで二元八運)〈 三合派 〈 形勢派
というような順番。
《 名古屋講演会での山道さんのお話から 》
形勢派=巒頭とすると、
名古屋の講演会で、山道さんが言っていたこんなことを思い出します。
台北101のお茶製造元の農家のおじさんが、建設中の台北101のタワーを山水画のような
美しい遠景として眺めていた結果、台北101ミニュチュアを創る設計図が自然に思い浮かび、
台北101のおみやげとして実際に売られたことを。
さらに、オジサンの設計図とミニュチュアが受賞。
また、台北101でしばらく、おじさんのミニュチュアが一番よく売れたことも。
名古屋の講演会での紹介から、初めて巒頭からの私たちへの影響を知りました。
子孫繁栄、仕事運、など、巒頭から、私たちがどのような影響を与えられているのか?
何を見て、どんな記憶が、どんな配列でなされているのか?
風水の流派の中でも、形勢派=巒頭?が、私たちの生活に、最も影響を与えている。
そんなことを、ふと、思いつきました。
書きながら、山道さんの難しいお話も、少し、私なりに理解でき、ホッとしています(笑)
いつも、深い話をありがとうございます。
師匠から学びを得、風土からの英氣を養って、元氣、ファイトな姿でまた台湾から帰国して下さい。
山道さん、
ありがとうございます
(山道さんにならって、手を胸の前に合掌です。)。
乾さ~ん
あっ、昨日帰国していました。
なるほど、時間軸についてですか。
それでは、まず西洋哲学では「時間」をどののように推し量ってきたかを『広辞苑』から簡単に抜粋します。あくまでも、簡単なものです。
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(ア)〔哲〕一般に出来事の継起する秩序で、不可逆的方向をもち、前後に無限に続き、一切がそのうちに在ると考えられる。宗教的には永遠から生じ永遠に帰するとされ、有限の仮象である。これをプラトンは永遠の動く影、アリストテレスは運動の帯びる性質とし、アウグスティヌスは時間の三様態、過去・現在・未来を意識の三様態、記憶・知覚・期待に還元した。近代になって時間は客観的規定と見られたが、カントは時間を空間と共に現象を構成する主観の直観形式と考えた。これに対し、弁証法的唯物論では物質の根本的な存在形式であるとする。ベルクソンは意識の直接的な流れとしての純粋持続を、ハイデッガーは「現存在」の存在構造としての時間性を、時間の根源と見ている。
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時間は常に哲学され続けているという事実を多くの人が知りません。つまり、未だ哲学の命題の上では、時間とは不明なものであるというのが結論なのです。
ここで、思い出してもらいたいのが、私が講演会で「地理風水」の定義を、「地理学」と同義だと述べました。
つまり、「地理学」とは、空間ならびに自然と、経済・社会との関係を対象とする学問の分野。空間や自然環境、建造環境という物理的存在を対象の中に含むことから、社会科学と自然科学という両面の性格を有し、地理の上で行われる経済活動も含む。
ということです。
時間は、空間と共に哲学されたように、地理学、つまり「地理風水」も同じく、「空間や自然環境、建造環境という物理的存在を対象の中」に含むのです。
そして、風水で言う学派こと、流派の定義の違いは、空間に対する定義の違いよりも、むしろ時間に対する定義の違いから、派生しているというのが私の見解です。
詳しくは、以下の文章をお読みくださいませ。
堪輿と擇日法
「擇日」についての一考察
おかえりなさ〜い を言う前に、仙台へ飛び立ったんですね。
すぐにお返事できず
それは、何回も難解な文を読み込んでいたのがその理由でした。
ご紹介頂いた文もまた、初めて触れる言葉の数々。
説明もこまかくヒントとなりました。ありがとうございます。
風水山道 2008年10月 6日 (月) 堪輿と擇日法 より
「また、その擇日法は天体の観測より導き出された自然科学と「時間と共に変化する」、時間哲学の融合であった。それは、空間と時間が出会った哲学の始まりでもあったのだ。」
擇日法=エフェメリス(天文暦)は、アルマナック(開運暦)とは違うこと。
擇日法=エフェメリス(天文暦)は、何年も複雑な学習を経た人が使うことができるもの。また、擇日法を使う人の、人生観にも日取りが影響されること。
そういった時間軸の捉え方(=擇日法=エフェメリス(天文暦))の違いにより、風水の流派の違いが生まれる、そう考えました。
時代時代の先端を行く天文学から、擇日を扱う人の人生観までを絡めた風水。
これまで知っていたものとは、まったく違う、という氣づき=風水を考えるそんなひとときを得ました。