形勢派と現象学

2581751  時間とはいたって曖昧なものである。

 ふと、入用なものを取りに行ったら、以前住んでいた場所だった。

 感慨深げな思い出とは裏腹に、自分の思考を素早く分析してみる。

 当然、そこには住んでいたときの仕事から、交友関係、食べていたもの、暗かった立体交差の下、その道を歩くとき考えたことなど色々な記憶がどっさりとある。 

20090622221527  その時、ハッと思ったことがある。

 その家に住んでいたとき、近所の友人と歩いた道も、その友人も、住んでいた場所も、全てがただ置かれているかのように覚えているだけで、時間という秩序だった系列で考えることよりも、ただ現在で想起したという同一の時間軸の上に等しく並んでいるだけなのである。

20090622221548  寧ろ、記憶の前後、つまり、どういう順番に記憶が置かれているかという配列が、時間軸にカウントして見つめるよりも、強く想い起こされるのではないだろうかと考えてしまう。

 我々が意識しているよりも、我々の意識の時間という観念は曖昧で、配列によってのみ、想起されているのが記憶なのではないだろうか。

 そう考えると、三元派の二元八運による時間軸によって意識を結び付けていく作業と、時間の観念ではなく、現象の変化に配列を設けて行く三合派の思考方式のほうが、

 フッサールの現象学の目標である、「事象そのものへ」(Zu den Sachen selbst!)に近いことと思われる。つまり、いかなる先入観、形而上学的独断にも囚われずに存在者に接近する方法を現象学が追求する方法として、時間の概念よりも、記憶の配列にウェイトを置いて考えてしまう思考方式の上では、よりリアルに事象を追及しているといえる。

 ちなみに、私の風水のスタイル形勢派と呼ばれるものは、「事象そのものへ」の追求が必要不可欠であり、現象学と類似している。

 よく、形勢派と三合派を混同している人が多いが、三合派は天盤・地盤・人盤と呼ばれる羅盤にある三つの環を普遍ロジックに据えている事に、三合派との違いがある。

*天盤・地盤・人盤
 天盤は、日影(日の光)に基づく。
 人盤は、天体(宇宙空間にある物体)に基づく。
 地盤は、地磁気(地球の持つ磁気と、それによって生ずる磁場)に基づく。

 
Img_9658  形勢派がこれらの三つの環に普遍ロジックを置いているわけではなく、最もクラシカルなスタイルの形勢派は、時間の概念よりも、記憶もしくは意識に刻まれた事象の配列にウェイトを置いて考えるのが、意識の上でもより「事象そのものへ」を追求する手段だと気づかされた。

 これは、哲学的学問及びそれに付随する方法論を意味しており、方法論によって「風水」の学派は分かれているのは言うまでもない。

 どうも、この辺りが日本では全く理解されていないように思える。すぐに、字義の定義により、最後は、傍観者としての結論で締めくくる。ここにはなんら学術はない。それを風水術だといって割り切ってしまうところに大きな誤りがある。

 「我々は心の形を知りもしないが、心を彫る方法は十分に持っている。」 山道帰一

<関係ページ>

『風水バカ一代』六巻

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