コメント:

先生のブログの内容、タイスンから通訳してもらいました。
とても感動しました。
ホームとフォームのコンセプトはとてもamazingです!

みんなフォームを持たないで、ホームを探しています。
先生のブログを読んでから、フォームが無くて、ホームは建たないと思いました。

Trueフォームを見つけるまで、時間と信念と忍耐と知恵が必要だと先生から感じました。

一旦Trueフォームを見つけたら、Trueホームへの道のりにいるのでしょうか?

今日先生の教えてくれたことから、わたしはフォームが無いことに気づきました。

いろいろ教えてくれてありがとうございます。
今週末の講座を楽しみにしています!

風水の宴

あっという間に過ぎ去って、興奮の為帰りの車中眠れず。


ありがとうございました!

ホーム、現実の村のみならず仮想現実のホームにも期待してます。

地方在住者としては、学習のみならず検証、検討する場がほとんど無い・・

故にネットに頼らざるをえず。

しかしネットには悪魔が巣くう。。


天使のホームこそ山道組のホーム
(だからといって全員丸坊主じゃなくても良いよね?組長)

どちらのホームにも集える日が早く来ることを願いつつ。

山道先生へ。

身近にいて講話とも言うべきご高説をよく聞かせ頂いておりますが、知れば知るほどわからなくなる人ですね。

でも言いたいことが確かに伝わってきます。

その投下して爆発するような感情の塊が人間的でいて、人間じゃない気がするのは私だけでしょうか?

例えば、今回のブログで表現された「吐き気」・・・ですか。

これは原題“La Nausee”は直訳すれば「吐き気」を意味しますよね。

日本語訳では、『嘔吐』とされ、サルトルが1938年に著した小説のこととかけていますね。

サルトルはカフカの影響を色濃く受けていますが、山道先生も聚珍本の『死の都』では随分とカフカに執着されたモチーフをテーマにしていましたよね。

思えば今回の「Home & Form」これはサルトルの『嘔吐』そのものであり、サルトルの実存的不安理論と類似していませんか?

彼の存在に対する嫌悪感は、半狂気、自己嫌悪、そして最後には彼という存在の自然への開放を強いたとされていますが、よく似たものを感じてしまいます。

このホームとは実在であり、フォームとは存在のことですか?

『嘔吐』では、存在そのもの、実存する物が無ではなく何者かであるという性質自体が、主人公をゆっくりと狂気に追いやる物の正体とする内容でしたね。

サルトルの実存的不安理論を体現し、そのときまで彼の人生を満たしてきた全ての事象の意味を切望するというくだりと展開は、今回の「Home & Form 」のモチーフであるような気がしてならない。

勝手な解釈ですがね。

デイズィ~
三角△ですな。(→ܫ←)
Trueホームなんてないよ。完全な実在なんて無いように。
「これが正しい」と決め付けたときに、自分の中の確かな可能性が死ぬだけ。
そして、あとはその確執と共に業が続いて行くのでしょう。
そこに求めたのは何か、もう一歩先に進んで見てみましょう。
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ヒルトンさ~ん
三角△ですな。(→ܫ←)
山道組のホームなんて無いですよ。これからみんなで作る「みんなのためのホーム」ならば心の中に建てられて未来に建てられて行きますが。
Not yet!(今はまだ)ですね。
だから楽しいんでしょうね。
目指す世界があるから。
皆で寄り添うがそれは決して己の孤独を満たすためのものではなく、己を高めあうものであってほしい。
だから、皆と会う会合ではガンガンお酒は飲むのですが、まったく酔えなくなってしまった自分がいます。( ゜ 3゜)
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バンさ~ん
二重丸◎ですな。ヽ(`△´)/
何も言うことはないです。
あんまり、ぼくの無意識にアクセスしないでね。 (。◕ฺˇε ˇ◕ฺ。)
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ツイッターでは24時間居場所を知るほどの機能はないよ。

ログインしてつぶやくだけ。


ただ、つぶやきが今どこにいる的なつぶやきが多いのは事実ですが。


ちなみに携帯でもモバツイというサイトがあって参加できるので皆さん是非やってみて。

ちなみに今日の日経ワールドビジネスサテライトで特集がやるらしいです。

ヒルトンさ~ん

執筆が終わって落ち着いたら、導入してみましょうかね。
ああ、自分を追い込んで書くのが快感だ。
締め切りは明日だが。(~-~)

こちらの記事を拝見しまして勝手な解釈をしました。

HOME=山

FORM=道

山は常に心の中に在り

そこへ辿り着くための道筋がFORMなのではないかと。

そしてFOMEは元をたどればその人の中から出てくる無限の道筋で、可能性と共に一つへ帰り着くための生き方そのものなのではないか。

心の中に動かざるものさえあれば、どんなFORMを選んでも必ず結果が後から付いてくる。

そんな感じを受けました。

失礼いたしました。

名無しさ~ん

王陽明の哲学にも似た解釈ですね。おっしゃることが良くわかります。

山を登る道は無数にあって、無数にあるから人は迷ってしまう。

頂を目指す登山家たち常に落石、落氷、雪崩の危険に晒され続けている。

来る者を拒む頂の巨大氷壁を目指すのならば、自分の身体より遥かに大きい雪の塊が時速200km近いスピードで絶え間なく襲ってくる。

そして、高所になればなるほど、そこにいるだけで身体の生理機能が失われてくる。

そう、頂を目指すものたちは常に自分の命の面倒を自分で見るしかないのです。

そんな厳しい道が頂きへの本当の道のように私には思えます。

だから、つい人は安易で楽な道を求めてしまうのかもしれません。

ダニエル様

お忙しい中ありがとうございます!

王陽明とは存じ上げなかったですが、今度読んでみたいと思います。

明日からの講演頑張ってください^^