昨日はお越しいただき、ありがとうございます。 >少なくとも、今の家のように合鍵を使ってアポも無く息子夫婦の家に朝6時半に侵入して来るようなこともなくなるでしょう。 もしよろしければ上の記述を削除していただければと存じます。あまりにもリアルすぎるので。 何卒ご配慮よろしくお願い申し上げます。
山椒魚君へ >もしよろしければ上の記述を削除していただければと存じます。あまりにもリアルすぎるので。 事実は小説よりも奇な~り! 削除したくありません。というか、ダメです! ロクデナシのクソババァとその言いなりになる犬のだんなにこの記事を見せるまでは削除できん。ヽ(`△´)/ オレが不道徳なのかオマエの母ちゃんが悪党かを客観的に社会に判断してもらうのだ。ヽ(`△´)/ それよりも、お祖母ちゃんにどう報告するかをデイちゃんと二人で考えなさい。 追伸 御両親のブログ初登場を祝して!
山道様 また勝手に思ったことを書かせていただき失礼します。 山椒魚さまのご家庭がまずよりよくなることをお祈りします。 正義は時に、大きな渦を巻き起こし、ただそこにあるものを巻き込んでいくような気がします。たとえそれがよりよい正しさや幸せのためだとしても、その渦に巻き込まれることを恐れ、今の生活に安住してしまう人のほうがもしかしたらこの国には多いのかも知れません。 山道様の正義、そうとはわかっていても、受け入れることを躊躇するのもまた、現実で。 お互いの思いが折衷されていく事を願います。 失礼いたしました。
大変に考えさせられました・・・ 現代日本の家族間の不和、一族の不和などは、こういうところに急所があるのだろう、と薄々感じてはいました。 漠然とこういう思想に触れることができるようになるにつけ、 自分の身をふり返ることも多くなり、ずいぶん長いことしていなかったお墓参りをし、墓石をたわしで洗いながら、亡き祖母と心の中で対話し、家族のことなどもその場で考えましたが、もつれた因果を正しい姿に直すべき道はまだはっきりわかりません・・・ しかし、儒教や易経で葬祭の重要性を説くことの意味が少しわかってきたような気がしています。 家族心理学というのも、こういうことを視野に入れるべきものではないか?と勝手に思い込んでいるのですが。
お取り込み中すみません。 ひとことだけコメントがございます。 あのぅ、永代供養堂でもご遺骨は、それぞれきちんと骨壺に入っているはずですが。 ごちゃまぜってどういうことですか??? 確かに、昔はやぶに捨てる、捨て場はありましたが。 もし菩提寺がなく、お墓もないのであれば、自宅で供養する 「手元供養」という方法もありますよ。 山道先生のお身内の方にお伝え下さい。 あくまでも参考までですが。 おじゃましました〜。
ななしさ~ん 賛否両論どちらもありがたいコメントです。自分の正義を貫くのはとかく骨の折れる作業である意味本物のキチガイでなくてはできません。そういった意味で、私は本物なのかもしれませんが、時代錯誤という言葉を時代が間違っている場合もあると解釈しております。今後とも、じゃんじゃんコメントを入れてください。 明日、山椒魚は自らの意志でお祖母ちゃんに事の事実を告げに行くそうです。 その時、死者に対する想いが届くことをお祈りしております。 結果はどうであれ、因果の糸に紡がれた真の審判が下るでしょう。それは現実の問題としてです。 生き馬の目を抜こうとあざとく情報工作し、真実を隠し通すことは一つの呪いを生みます。 その呪いが発生する原因は後ろめたい心を持つ人間からなのです。 ぼくは自分のブログに嘘偽り無く表現を加えるため、ちょっぴり過激になってしまいました。 -------------------------------------------- ピンクさん なりふり構わず表現してよかったです。現代の人に考えてもらいたい問題でもあるのです。 そして、 >もつれた因果を正しい姿に直すべき道はまだはっきりわかりません・・・ その問題を考えるとき、我々の非存在との対話は始まっているのです。 死者の持つ魔法、歴史の不在、更新されない時間、様々な意味がパズルのように広がり我々の思考と結びつき、また我々は影響から免れない。 かように大事なものたちが今我々の文化圏から失われつつある事実に気づいたのならば、とても生きた心地がしなくなるものです。 -------------------------------------------- 空さ~ん >永代供養堂でもご遺骨は、それぞれきちんと骨壺に入っているはずですが。 あれ~、空さん色々と講習を受けていたので、知っていると思ったのですが。日本における永代供養は現在三種類くらいタイプがあります。 空さんの言うように、骨壺に入って分かれているものもあります。しかし、それは三種類のうちの一つで永代供養は、合祀(ごうし)と書かれお骨をミックスして一箇所にまとめるタイプもあり、大体10体くらい収められます。 ちなみに、山椒魚君のところはこのミックスタイプなのです。そのため、何度も調査を重ね、お祖父ちゃんと息子さんのお骨だけを取り戻そうと調査しましたが不可能でした。 もし、やるならば一枚一枚のお骨をDNA鑑定にかけねばなりませんが、もともとお骨に残っているDNAの鑑定自体が難しいのに加え、ボッタクリの商業主義の寺がそれを許可しません。もちろん、賄賂でも渡せば可能でしょうが、我々は非合法なやり方を好みません。 そのため、良いお墓が見つかるまでの臨時処置としての手元供養という方法もまた不可能です。そもそも、手元供養という方法はただの臨時処置で風水では生きた人間が住む陽宅に陰宅を構える道理などあろうはずがありませんし、今流行の手元供養は伝統的な概念の上では、非常に縁起の宜しくない事です。散骨のほうがまだ良いでしょう。 こうなったら、散骨したくても他人様のお骨まで巻き込むことになるので、文字通り泣き寝入り状態です。
祖父が二人亡くなり、陰宅の事を考えざるを得ない状況(両親もいずれそうなるのだと)になって、このお話はとても考えさせられました。 多分、祖父達の骨はそれぞれ混ぜられてないと思うので、いざとなれば正しい供養が出来そうで安心しました(すみません;S様) 正しい供養とは、どうすることなのか私にはまだ分かりませんが、先祖や祖先を想って、真摯に勉強したいと思いました。
度々ですが、コメントさせて下さい。 ご家族のお気持ちが少しでも歩み寄り、御祖母様そして亡くなられた御祖父様と息子様にとって一番良い解決と和解できることをお祈りいたします。 さてと・・、 合祀のことは当然、誰でも?知っています。 ただ17回忌や33回忌などの一定の骨壺安置期間が過ぎた後、 ご遺骨が合祀されることだという認識があります。 納骨の時点ですぐ?ご遺骨を他のご遺骨とごちゃ混ぜにされてしまう永代供養墓があるとは、全く知りませんでした。これは私の勉強不足です。 そして散骨の件ですが、墓地埋葬法でも規制がないため、日本ではトラブルや事件が多いのも現状です。 散骨に関する悪徳ビジネスだけでなく、日本人は手を合わせる対象物がないと不安だという考えを持った方が多く、遺言通り全て散骨したが、残されたご遺族が大変後悔しているケースを多く知っています。 日本ではお墓参りをする習慣、そして33回忌、50回忌まであるように 亡くなった方に対してずっと手を合わせて想い続けます。 他国との違いがここにあると想います。 そして手元供養の件ですが、山道先生がおっしゃる通り臨時処置ですので、あくまでも参考までです。 追伸 ところで分骨するってどうなのでしょうか? 風水からの視点でぜひ教えて下さーい!
空さ~ん >散骨に関する悪徳ビジネスだけでなく、日本人は手を合わせる対象物がないと不安だという考えを持った方が多く、遺言通り全て散骨したが、残されたご遺族が大変後悔しているケースを多く知っています。 私も逆のケースを知っています。日本人ではありませんが、帰化していたので、日本人ということもできると思います。私の恩師・張明澄老師は生前から遺言として「散骨をせよ!」と、厳しく家族に言いつけていました。そこには、一重に祀る対象としての遺骨が無くなることで、明澄透派の門を閉じようとしていたこと、息子がいなかったこと、一人の求道者として探求の果てに悟るものがあったことにより、何の未練も残したくないという想い。色々なものがあったと思います。 当然、弟子一同・老師の遺骨は散骨されたものと信じて疑わなかったのですが、兄弟子の掛川師兄と接触を持ち始めた頃から、しばし夢を見るようになりました。不思議なことに、張明澄老師が夢枕に立っては、台湾にあるお骨を捜しに行けと言います。 当然、強い先入観が「骨が残っているなんて、そんなはずがあるわけない。夢だ夢に違いない」と考えてしまいますが、その違和感が拭えずに、私は台湾に調査に行きました。 良かったら一読くださいませ。 張明澄先生のお墓参りⅠ その後、閉じられるはずだった門派を閉じるわけにもいかず、弟子たち一同は帆走することになります。 奥様の母君が台湾の浄土宗の高僧であり、その対面上だんな様である張明澄先生の遺骨を遺言通り、散骨するわけにも行かず、遺言は破棄されました。 張明澄先生としては死後自分のお骨を巡っての幾つかのトラブル、例えば弟子同士の抗争(実際にお葬式のときに不届き者が現れた)や、お墓の管理費など遺族の生活に負担をかけたくなかったと、その思いは色々だったと思います。 結局のところ、何故か遺族はお墓の管理費を出さずに、張明澄老師の兄上様の張明彦氏が実費を全て負担しておりました。それも、金銭的な苦によるものでしょう。 かように考えると、様々なケースと共に遺族の思惑も絡み「一族が仏教系列」とか「寂しい」とか、檀家から金を稼ぐために「坊主の主張」に言いくるめられるとか、色々な思惑はあるのでしょうが、一番大事なのは死者の遺言であり、生者の欲求を満たすために、死者の思いを踏みにじり、省みることが無いことが一番の問題です。残された家族が後悔したとしても、死者の遺言を破棄した後ろめたい気持ちを持って生きるよりはましだと思う人もケースも多くあるということです。 もちろん、散骨を望んでもいなかったのにかつてに散骨されてしまうケースもたくさんあります。韓国に見られるキチガイ・キリスト教徒たちもいます。彼らのロジックでは、親より早く死んだ子供は全て散骨されてしまいます。少なくとも、私の知る2002年までは。 詳しくはこちらをご一読くださいませ。 古代風水学とは何か 分骨についてはもちろん、風水ではあり得ません。死者への供養とは残された生者の気持ちを配慮したり、満足感を醸す為に行われるのではなく、あくまで死者を主体として死者のために行われるのが風水による埋葬です。そこには「帰位之義」(地理風水大全参照のこと)と呼ばれる輪廻思想と天体の運行が関係してきます。 死者をただの骨の塊としてみる唯物論的な発想が風水には無いのです。死者も生者も等しく自然であり、死者はまた生まれ変わるための用意を遺族の生者の協力を伴い、胎児のように膝を曲げた姿勢で埋葬され、それはまた母なる大地の中で生まれ変わる象徴を秘めています。その様に一度土葬され白骨化した骨は再度、掘り起こされ骨を整えて埋葬されます。その際に、樹木が棺を突き破らないように、白蟻に食べられないように、雨水が溜まりカビがはえないように、地下水脈に落ちて流れ込まないようにと様々な配慮がなされ、土地の選定は行われます。 「生化変」と中国では呼ばれるように、生あるものが変化して死者となるだけで、死者を生物学上の死体と考えていない点に注意が必要です。あくまで、変化した姿なのです。 そのため、分骨やお手元供養などは風水ではありえない罰当たりな行為であり、それは儒教思想に裏付けられています。 散骨は風水の概念では、当然、よろしくないものと考えられがちですが、実際は風水的な効果という点では、プラス・マイナスゼロで、一部のリッチな人々しか良い場を使えないような時代背景にあっては、悪い場に埋葬するくらいならば、散骨が良いという考えを恩師の張明澄先生は持っていました。 また、これは私の養生観に基づく考えですが、輪廻思想を持たない一部の求道者や悟るところのあった者達は散骨が望ましいでしょう。というのも、養生の果てに、身体に対するこだわりとは裏腹に新しい身体を持つ者もいるでしょうし。また、その心性が何の未練も無ければ生に対するこだわりも執着も無いわけですから、散骨が理想といえます。神格化されて祀られるのならば散骨はもってのほかでしょうが、修行者が神格化を目指しているというのは、特殊なケース(土地を守るなど)以外、まず無いことであり、求道の果てに道と一体化することに成功した者達という特殊なケースに限っては散骨がベストです。 こういった問題には様々な宗教上の決まりごと、つまり死というものをどう定義するかで祀られ方供養は変わってきてしまいます。 また、頭の向け方や骨の姿勢などは幾つかの決まりがあり、全ては気の受け方を配慮し、その影響が子孫に及ぶという問いに基づきます。この内容は今回の風水通信講座の基礎でも詳細解説していますが、「基因」という頭蓋骨にあるものが由来となります。 宗教的な観点からも、ある曹洞宗の僧侶は現実的な見解を述べていますが、その通りだと思います。結局のところ、悲しいかな人間は時間と共に感情の高ぶりも消えて忘却もまた一つの生の形だということでしょう。 以下の記述が非常に現実的なので、是非ご参考にしてください。 http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1289369 曹洞宗の僧侶です。 私自身の経験から言うと分骨はお勧めしません。 亡くなった当初は気持ちも高ぶっているので、どうしても骨を身近に残したいと思われる事は充分理解できます。 私の関わった葬儀でも、ぜひ分骨したいとおっしゃって骨を分けられた方がいらっしゃいます。 その後、分骨がどうなったか。私の知る限り、ほとんど全てのケースで2~3年もすれば仏壇の隅っこで埃まみれです。どこかに行ってしまったというケースもあります。 気を悪くされないようお願いしますが、個人が一時の感情から遺骨を弄ぶような事は、避けられた方が良いと思われます。 たとえば昔、田舎から出てきて現住所に家も家族も残っていて、近くにお墓もある。でも、生まれ故郷にも帰って眠りたいという希望を故人が持っていたとします。そういう場合の分骨なら、まあ問題ないでしょうが。 個人が身近に置きたいというだけの理由で行われた分骨の結末があまりにもお粗末な場合が多いので、老婆心ながら申し上げます。
鮎子さ~ん >正しい供養とは、どうすることなのか 常にぼくの心の裏側にあったテーマの一つです。 というのも、ぼくの大事な恋人は勝手に両親に散骨されて骨を捨てられてしまいました。ぼくに相談することも無く。 会いたくて命日には河によく行っていたものでした。そこに散骨されたから。そこに行くと会えるような気がして。 いつの日か、ぼくが自分なりに考えて学んできた「正しい供養」のあり方を世に問う時が来るかもしれません。 そんなことは自分の中で完結していればそれで良いことだったのかもしれませんが、世の中には我慢にならないことが溢れかえっています。ぼくの正義はそういうところに由来するのかもしれません。 正義と言っても偽善者になるつもりも無いので、ぼくの暴言の数々によって、ぼくを毒と決め付ける人々も沢山いるでしょう。彼ら彼女らの利害の上から。 でも、それでも良いんです。 たとえどんな毒に犯されても、くたばるはずが無い真実がぼくの心にあるのならば、それを信じることができるのならば、ぼくが死に散骨されても、ぼくは何度でもよみがえるでしょう。 この思考の痕跡、このプロセス、この感情が旋律となって人の心の琴線に伝われば、ぼくを完全消去することは何人にもできないから。 なんだか、最近思うのは自分の裏側にあるものをさらけ出さなくてはいけないという事なのかもしれません。 いつも、80%位で余裕を持っているのが好きだったんだけどなー。ある出版社の社長に隠している20%を見事に見破られ、「全部出してほしい」とバレバレになってしまっては元も子もない。 そんな、知己を得たのならば本気を出して見たいと思う。 これも完全消去されないための自分補完計画となるのでしょう。
ダニエルさまの博学の広さと深さを改めて感じています。 本当に勉強になります。 18年前に亡くなった父は、散骨を希望しておりましたが、結束が強い親族の意見から断念した母は、当初、葬儀を執り行ってくれた父の友人(ぼったくりのお導師様)経営の供養塔(マンション墓地)に預けていましたが、その後、母が強度の神経障害に陥りました。 父は、長男でしたが、祖父と関係が良くなく、自ら分家し、後々、供養が大変になる墓は持たない主義&散骨希望と、親族に生前言い続けていました。 私は、納骨に問題があると直感したため、親族に談判し、そこから父のお骨を出し、その後、親族のお墓に父のお骨を預けていますが、私には常に違和感を持ち続けています。 先々、母が亡くなったら、父の骨と一緒に、人造宝石に加工してもらい、海に返そうと考えていましたが、今回のダニエルさまのご見識を拝読して、そのまま、散骨の方がよいかもしれないと考えました。 これからも、勉強させてくださいね。 Blogの更新、楽しみにしています。
いろはさ~ん 博学って言っても最近、漫画しか読んで無いんですけれど。 お勧めは『嘘食い』です。(х^ิ_^ิх) とは言っても、読まなくてはいけない本が沢山あるので、じっくりと取り組んで行きたい次第であります。 若くして父君が亡くなられ苦労してきたんですね。そして、カルトにはまった家族をサルベージするのは容易ではないです。日本人の先祖供養という純粋な想いをお金に換えているカルトをあげれば暇がありません。 また、現金決済を無くし、電子マネーの管理体制を築きあければテロがなくなるというのが、アメリカの主張ですが、これと同じで先祖供養という死者への想いに値段をつけてボッタくる悪質な宗教を無くすには、一人一人が自覚を持って目に見えない世界を一方的に受け入れ(騙されて)、お金を払うのではなく、寧ろその方法とやり方に懐疑的になり、自分の良心に背かない死者を送る段取りをすべきです。 今回のケースのように、たとえ両親に背くことになっても。一重に唯物論も含めてカルトに洗脳された人々をサルベージするのは一筋縄ではいかないでしょう。 親族に談判し、そこから父のお骨まで奪取するのは大変な苦労があったことだと思います。それも全て死者に対する想いが無ければできないことでしょう。その純粋な想い、死者との繋がり、死者の声を聞くこと。それはいたってシンプルで自然な行為だということをどうか忘れてないでください。 だって、生者の記憶の中に、その死者の魂は潜んでいるのですから。そこに余計な複雑さや異常な料金が発生したときに人は立ち止まって考えるべきでしょう。 「地獄の沙汰も金次第なのか」と。 日本における死者のおくり方や接し方に対して私はどこまで懐疑的です。それは堕落して贅沢三昧な暮らしをしている坊主や宗教関係者を見れば明らかなことでしょう。少なくとも、私の審美眼に、それらの光景は美として映らない。たとえ、世間が彼らを勝ち組と呼んだとしても。
お世話になってます〜 遺骨の扱い方が主旨でしたか。 散骨をしてしまうと、あちらの世界にいらした後で、『シマッタ!」と思うと私は聞いております。お彼岸に戻ってきた時に、行き場がなくてウロウロしてしまう、大変苦しむのだそうです。 散骨やごちゃ混ぜ?は、生きている人の都合の良いようにしているだけですよね。そうすると「ギフト」がもらえるわけですね。。 陰陽調和された神の国日本古来の方法がベストですが、そうすると墓だらけになってしまうというのも現実です。 せめて、西方浄土に導かれる三周忌までは、と思います。 ・・亡くなった老師の場合は、苦しむことはご承知だったのかもしれませんね。 あと、親は、自分の一番身近な祖先です。亡くなった方だけ大事にしてもだめです(笑)
コメント:捨てられた魂と記憶
昨日はお越しいただき、ありがとうございます。
>少なくとも、今の家のように合鍵を使ってアポも無く息子夫婦の家に朝6時半に侵入して来るようなこともなくなるでしょう。
もしよろしければ上の記述を削除していただければと存じます。あまりにもリアルすぎるので。
何卒ご配慮よろしくお願い申し上げます。
山椒魚君へ
>もしよろしければ上の記述を削除していただければと存じます。あまりにもリアルすぎるので。
事実は小説よりも奇な~り!
削除したくありません。というか、ダメです!
ロクデナシのクソババァとその言いなりになる犬のだんなにこの記事を見せるまでは削除できん。ヽ(`△´)/
オレが不道徳なのかオマエの母ちゃんが悪党かを客観的に社会に判断してもらうのだ。ヽ(`△´)/
それよりも、お祖母ちゃんにどう報告するかをデイちゃんと二人で考えなさい。
追伸
御両親のブログ初登場を祝して!
山道様
また勝手に思ったことを書かせていただき失礼します。
山椒魚さまのご家庭がまずよりよくなることをお祈りします。
正義は時に、大きな渦を巻き起こし、ただそこにあるものを巻き込んでいくような気がします。たとえそれがよりよい正しさや幸せのためだとしても、その渦に巻き込まれることを恐れ、今の生活に安住してしまう人のほうがもしかしたらこの国には多いのかも知れません。
山道様の正義、そうとはわかっていても、受け入れることを躊躇するのもまた、現実で。
お互いの思いが折衷されていく事を願います。
失礼いたしました。
大変に考えさせられました・・・
現代日本の家族間の不和、一族の不和などは、こういうところに急所があるのだろう、と薄々感じてはいました。
漠然とこういう思想に触れることができるようになるにつけ、
自分の身をふり返ることも多くなり、ずいぶん長いことしていなかったお墓参りをし、墓石をたわしで洗いながら、亡き祖母と心の中で対話し、家族のことなどもその場で考えましたが、もつれた因果を正しい姿に直すべき道はまだはっきりわかりません・・・
しかし、儒教や易経で葬祭の重要性を説くことの意味が少しわかってきたような気がしています。
家族心理学というのも、こういうことを視野に入れるべきものではないか?と勝手に思い込んでいるのですが。
お取り込み中すみません。
ひとことだけコメントがございます。
あのぅ、永代供養堂でもご遺骨は、それぞれきちんと骨壺に入っているはずですが。
ごちゃまぜってどういうことですか???
確かに、昔はやぶに捨てる、捨て場はありましたが。
もし菩提寺がなく、お墓もないのであれば、自宅で供養する
「手元供養」という方法もありますよ。
山道先生のお身内の方にお伝え下さい。
あくまでも参考までですが。
おじゃましました〜。
ななしさ~ん
賛否両論どちらもありがたいコメントです。自分の正義を貫くのはとかく骨の折れる作業である意味本物のキチガイでなくてはできません。そういった意味で、私は本物なのかもしれませんが、時代錯誤という言葉を時代が間違っている場合もあると解釈しております。今後とも、じゃんじゃんコメントを入れてください。
明日、山椒魚は自らの意志でお祖母ちゃんに事の事実を告げに行くそうです。
その時、死者に対する想いが届くことをお祈りしております。
結果はどうであれ、因果の糸に紡がれた真の審判が下るでしょう。それは現実の問題としてです。
生き馬の目を抜こうとあざとく情報工作し、真実を隠し通すことは一つの呪いを生みます。
その呪いが発生する原因は後ろめたい心を持つ人間からなのです。
ぼくは自分のブログに嘘偽り無く表現を加えるため、ちょっぴり過激になってしまいました。
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ピンクさん
なりふり構わず表現してよかったです。現代の人に考えてもらいたい問題でもあるのです。
そして、
>もつれた因果を正しい姿に直すべき道はまだはっきりわかりません・・・
その問題を考えるとき、我々の非存在との対話は始まっているのです。
死者の持つ魔法、歴史の不在、更新されない時間、様々な意味がパズルのように広がり我々の思考と結びつき、また我々は影響から免れない。
かように大事なものたちが今我々の文化圏から失われつつある事実に気づいたのならば、とても生きた心地がしなくなるものです。
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空さ~ん
>永代供養堂でもご遺骨は、それぞれきちんと骨壺に入っているはずですが。
あれ~、空さん色々と講習を受けていたので、知っていると思ったのですが。日本における永代供養は現在三種類くらいタイプがあります。
空さんの言うように、骨壺に入って分かれているものもあります。しかし、それは三種類のうちの一つで永代供養は、合祀(ごうし)と書かれお骨をミックスして一箇所にまとめるタイプもあり、大体10体くらい収められます。
ちなみに、山椒魚君のところはこのミックスタイプなのです。そのため、何度も調査を重ね、お祖父ちゃんと息子さんのお骨だけを取り戻そうと調査しましたが不可能でした。
もし、やるならば一枚一枚のお骨をDNA鑑定にかけねばなりませんが、もともとお骨に残っているDNAの鑑定自体が難しいのに加え、ボッタクリの商業主義の寺がそれを許可しません。もちろん、賄賂でも渡せば可能でしょうが、我々は非合法なやり方を好みません。
そのため、良いお墓が見つかるまでの臨時処置としての手元供養という方法もまた不可能です。そもそも、手元供養という方法はただの臨時処置で風水では生きた人間が住む陽宅に陰宅を構える道理などあろうはずがありませんし、今流行の手元供養は伝統的な概念の上では、非常に縁起の宜しくない事です。散骨のほうがまだ良いでしょう。
こうなったら、散骨したくても他人様のお骨まで巻き込むことになるので、文字通り泣き寝入り状態です。
祖父が二人亡くなり、陰宅の事を考えざるを得ない状況(両親もいずれそうなるのだと)になって、このお話はとても考えさせられました。
多分、祖父達の骨はそれぞれ混ぜられてないと思うので、いざとなれば正しい供養が出来そうで安心しました(すみません;S様)
正しい供養とは、どうすることなのか私にはまだ分かりませんが、先祖や祖先を想って、真摯に勉強したいと思いました。
度々ですが、コメントさせて下さい。
ご家族のお気持ちが少しでも歩み寄り、御祖母様そして亡くなられた御祖父様と息子様にとって一番良い解決と和解できることをお祈りいたします。
さてと・・、
合祀のことは当然、誰でも?知っています。
ただ17回忌や33回忌などの一定の骨壺安置期間が過ぎた後、
ご遺骨が合祀されることだという認識があります。
納骨の時点ですぐ?ご遺骨を他のご遺骨とごちゃ混ぜにされてしまう永代供養墓があるとは、全く知りませんでした。これは私の勉強不足です。
そして散骨の件ですが、墓地埋葬法でも規制がないため、日本ではトラブルや事件が多いのも現状です。
散骨に関する悪徳ビジネスだけでなく、日本人は手を合わせる対象物がないと不安だという考えを持った方が多く、遺言通り全て散骨したが、残されたご遺族が大変後悔しているケースを多く知っています。
日本ではお墓参りをする習慣、そして33回忌、50回忌まであるように
亡くなった方に対してずっと手を合わせて想い続けます。
他国との違いがここにあると想います。
そして手元供養の件ですが、山道先生がおっしゃる通り臨時処置ですので、あくまでも参考までです。
追伸
ところで分骨するってどうなのでしょうか?
風水からの視点でぜひ教えて下さーい!
空さ~ん
>散骨に関する悪徳ビジネスだけでなく、日本人は手を合わせる対象物がないと不安だという考えを持った方が多く、遺言通り全て散骨したが、残されたご遺族が大変後悔しているケースを多く知っています。
私も逆のケースを知っています。日本人ではありませんが、帰化していたので、日本人ということもできると思います。私の恩師・張明澄老師は生前から遺言として「散骨をせよ!」と、厳しく家族に言いつけていました。そこには、一重に祀る対象としての遺骨が無くなることで、明澄透派の門を閉じようとしていたこと、息子がいなかったこと、一人の求道者として探求の果てに悟るものがあったことにより、何の未練も残したくないという想い。色々なものがあったと思います。
当然、弟子一同・老師の遺骨は散骨されたものと信じて疑わなかったのですが、兄弟子の掛川師兄と接触を持ち始めた頃から、しばし夢を見るようになりました。不思議なことに、張明澄老師が夢枕に立っては、台湾にあるお骨を捜しに行けと言います。
当然、強い先入観が「骨が残っているなんて、そんなはずがあるわけない。夢だ夢に違いない」と考えてしまいますが、その違和感が拭えずに、私は台湾に調査に行きました。
良かったら一読くださいませ。
張明澄先生のお墓参りⅠ
その後、閉じられるはずだった門派を閉じるわけにもいかず、弟子たち一同は帆走することになります。
奥様の母君が台湾の浄土宗の高僧であり、その対面上だんな様である張明澄先生の遺骨を遺言通り、散骨するわけにも行かず、遺言は破棄されました。
張明澄先生としては死後自分のお骨を巡っての幾つかのトラブル、例えば弟子同士の抗争(実際にお葬式のときに不届き者が現れた)や、お墓の管理費など遺族の生活に負担をかけたくなかったと、その思いは色々だったと思います。
結局のところ、何故か遺族はお墓の管理費を出さずに、張明澄老師の兄上様の張明彦氏が実費を全て負担しておりました。それも、金銭的な苦によるものでしょう。
かように考えると、様々なケースと共に遺族の思惑も絡み「一族が仏教系列」とか「寂しい」とか、檀家から金を稼ぐために「坊主の主張」に言いくるめられるとか、色々な思惑はあるのでしょうが、一番大事なのは死者の遺言であり、生者の欲求を満たすために、死者の思いを踏みにじり、省みることが無いことが一番の問題です。残された家族が後悔したとしても、死者の遺言を破棄した後ろめたい気持ちを持って生きるよりはましだと思う人もケースも多くあるということです。
もちろん、散骨を望んでもいなかったのにかつてに散骨されてしまうケースもたくさんあります。韓国に見られるキチガイ・キリスト教徒たちもいます。彼らのロジックでは、親より早く死んだ子供は全て散骨されてしまいます。少なくとも、私の知る2002年までは。
詳しくはこちらをご一読くださいませ。
古代風水学とは何か
分骨についてはもちろん、風水ではあり得ません。死者への供養とは残された生者の気持ちを配慮したり、満足感を醸す為に行われるのではなく、あくまで死者を主体として死者のために行われるのが風水による埋葬です。そこには「帰位之義」(地理風水大全参照のこと)と呼ばれる輪廻思想と天体の運行が関係してきます。
死者をただの骨の塊としてみる唯物論的な発想が風水には無いのです。死者も生者も等しく自然であり、死者はまた生まれ変わるための用意を遺族の生者の協力を伴い、胎児のように膝を曲げた姿勢で埋葬され、それはまた母なる大地の中で生まれ変わる象徴を秘めています。その様に一度土葬され白骨化した骨は再度、掘り起こされ骨を整えて埋葬されます。その際に、樹木が棺を突き破らないように、白蟻に食べられないように、雨水が溜まりカビがはえないように、地下水脈に落ちて流れ込まないようにと様々な配慮がなされ、土地の選定は行われます。
「生化変」と中国では呼ばれるように、生あるものが変化して死者となるだけで、死者を生物学上の死体と考えていない点に注意が必要です。あくまで、変化した姿なのです。
そのため、分骨やお手元供養などは風水ではありえない罰当たりな行為であり、それは儒教思想に裏付けられています。
散骨は風水の概念では、当然、よろしくないものと考えられがちですが、実際は風水的な効果という点では、プラス・マイナスゼロで、一部のリッチな人々しか良い場を使えないような時代背景にあっては、悪い場に埋葬するくらいならば、散骨が良いという考えを恩師の張明澄先生は持っていました。
また、これは私の養生観に基づく考えですが、輪廻思想を持たない一部の求道者や悟るところのあった者達は散骨が望ましいでしょう。というのも、養生の果てに、身体に対するこだわりとは裏腹に新しい身体を持つ者もいるでしょうし。また、その心性が何の未練も無ければ生に対するこだわりも執着も無いわけですから、散骨が理想といえます。神格化されて祀られるのならば散骨はもってのほかでしょうが、修行者が神格化を目指しているというのは、特殊なケース(土地を守るなど)以外、まず無いことであり、求道の果てに道と一体化することに成功した者達という特殊なケースに限っては散骨がベストです。
こういった問題には様々な宗教上の決まりごと、つまり死というものをどう定義するかで祀られ方供養は変わってきてしまいます。
また、頭の向け方や骨の姿勢などは幾つかの決まりがあり、全ては気の受け方を配慮し、その影響が子孫に及ぶという問いに基づきます。この内容は今回の風水通信講座の基礎でも詳細解説していますが、「基因」という頭蓋骨にあるものが由来となります。
宗教的な観点からも、ある曹洞宗の僧侶は現実的な見解を述べていますが、その通りだと思います。結局のところ、悲しいかな人間は時間と共に感情の高ぶりも消えて忘却もまた一つの生の形だということでしょう。
以下の記述が非常に現実的なので、是非ご参考にしてください。
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1289369
曹洞宗の僧侶です。
私自身の経験から言うと分骨はお勧めしません。
亡くなった当初は気持ちも高ぶっているので、どうしても骨を身近に残したいと思われる事は充分理解できます。
私の関わった葬儀でも、ぜひ分骨したいとおっしゃって骨を分けられた方がいらっしゃいます。
その後、分骨がどうなったか。私の知る限り、ほとんど全てのケースで2~3年もすれば仏壇の隅っこで埃まみれです。どこかに行ってしまったというケースもあります。
気を悪くされないようお願いしますが、個人が一時の感情から遺骨を弄ぶような事は、避けられた方が良いと思われます。
たとえば昔、田舎から出てきて現住所に家も家族も残っていて、近くにお墓もある。でも、生まれ故郷にも帰って眠りたいという希望を故人が持っていたとします。そういう場合の分骨なら、まあ問題ないでしょうが。
個人が身近に置きたいというだけの理由で行われた分骨の結末があまりにもお粗末な場合が多いので、老婆心ながら申し上げます。
鮎子さ~ん
>正しい供養とは、どうすることなのか
常にぼくの心の裏側にあったテーマの一つです。
というのも、ぼくの大事な恋人は勝手に両親に散骨されて骨を捨てられてしまいました。ぼくに相談することも無く。
会いたくて命日には河によく行っていたものでした。そこに散骨されたから。そこに行くと会えるような気がして。
いつの日か、ぼくが自分なりに考えて学んできた「正しい供養」のあり方を世に問う時が来るかもしれません。
そんなことは自分の中で完結していればそれで良いことだったのかもしれませんが、世の中には我慢にならないことが溢れかえっています。ぼくの正義はそういうところに由来するのかもしれません。
正義と言っても偽善者になるつもりも無いので、ぼくの暴言の数々によって、ぼくを毒と決め付ける人々も沢山いるでしょう。彼ら彼女らの利害の上から。
でも、それでも良いんです。
たとえどんな毒に犯されても、くたばるはずが無い真実がぼくの心にあるのならば、それを信じることができるのならば、ぼくが死に散骨されても、ぼくは何度でもよみがえるでしょう。
この思考の痕跡、このプロセス、この感情が旋律となって人の心の琴線に伝われば、ぼくを完全消去することは何人にもできないから。
なんだか、最近思うのは自分の裏側にあるものをさらけ出さなくてはいけないという事なのかもしれません。
いつも、80%位で余裕を持っているのが好きだったんだけどなー。ある出版社の社長に隠している20%を見事に見破られ、「全部出してほしい」とバレバレになってしまっては元も子もない。
そんな、知己を得たのならば本気を出して見たいと思う。
これも完全消去されないための自分補完計画となるのでしょう。
ダニエルさまの博学の広さと深さを改めて感じています。
本当に勉強になります。
18年前に亡くなった父は、散骨を希望しておりましたが、結束が強い親族の意見から断念した母は、当初、葬儀を執り行ってくれた父の友人(ぼったくりのお導師様)経営の供養塔(マンション墓地)に預けていましたが、その後、母が強度の神経障害に陥りました。
父は、長男でしたが、祖父と関係が良くなく、自ら分家し、後々、供養が大変になる墓は持たない主義&散骨希望と、親族に生前言い続けていました。
私は、納骨に問題があると直感したため、親族に談判し、そこから父のお骨を出し、その後、親族のお墓に父のお骨を預けていますが、私には常に違和感を持ち続けています。
先々、母が亡くなったら、父の骨と一緒に、人造宝石に加工してもらい、海に返そうと考えていましたが、今回のダニエルさまのご見識を拝読して、そのまま、散骨の方がよいかもしれないと考えました。
これからも、勉強させてくださいね。
Blogの更新、楽しみにしています。
いろはさ~ん
博学って言っても最近、漫画しか読んで無いんですけれど。
お勧めは『嘘食い』です。(х^ิ_^ิх)
とは言っても、読まなくてはいけない本が沢山あるので、じっくりと取り組んで行きたい次第であります。
若くして父君が亡くなられ苦労してきたんですね。そして、カルトにはまった家族をサルベージするのは容易ではないです。日本人の先祖供養という純粋な想いをお金に換えているカルトをあげれば暇がありません。
また、現金決済を無くし、電子マネーの管理体制を築きあければテロがなくなるというのが、アメリカの主張ですが、これと同じで先祖供養という死者への想いに値段をつけてボッタくる悪質な宗教を無くすには、一人一人が自覚を持って目に見えない世界を一方的に受け入れ(騙されて)、お金を払うのではなく、寧ろその方法とやり方に懐疑的になり、自分の良心に背かない死者を送る段取りをすべきです。
今回のケースのように、たとえ両親に背くことになっても。一重に唯物論も含めてカルトに洗脳された人々をサルベージするのは一筋縄ではいかないでしょう。
親族に談判し、そこから父のお骨まで奪取するのは大変な苦労があったことだと思います。それも全て死者に対する想いが無ければできないことでしょう。その純粋な想い、死者との繋がり、死者の声を聞くこと。それはいたってシンプルで自然な行為だということをどうか忘れてないでください。
だって、生者の記憶の中に、その死者の魂は潜んでいるのですから。そこに余計な複雑さや異常な料金が発生したときに人は立ち止まって考えるべきでしょう。
「地獄の沙汰も金次第なのか」と。
日本における死者のおくり方や接し方に対して私はどこまで懐疑的です。それは堕落して贅沢三昧な暮らしをしている坊主や宗教関係者を見れば明らかなことでしょう。少なくとも、私の審美眼に、それらの光景は美として映らない。たとえ、世間が彼らを勝ち組と呼んだとしても。
お世話になってます〜
遺骨の扱い方が主旨でしたか。
散骨をしてしまうと、あちらの世界にいらした後で、『シマッタ!」と思うと私は聞いております。お彼岸に戻ってきた時に、行き場がなくてウロウロしてしまう、大変苦しむのだそうです。
散骨やごちゃ混ぜ?は、生きている人の都合の良いようにしているだけですよね。そうすると「ギフト」がもらえるわけですね。。
陰陽調和された神の国日本古来の方法がベストですが、そうすると墓だらけになってしまうというのも現実です。
せめて、西方浄土に導かれる三周忌までは、と思います。
・・亡くなった老師の場合は、苦しむことはご承知だったのかもしれませんね。
あと、親は、自分の一番身近な祖先です。亡くなった方だけ大事にしてもだめです(笑)