擇日について思ふ1

Dscf4334 先月、京都で「擇日(たくじつ)講義Ⅰ-叢辰法(そうしんほう)」を風水山道内部生向けに講義した。もちろん、外部の得体の知れない毒学立ち入り禁止の領域である。
 

C0105932_17182452 陰陽(おんよう)の寮(つかさ)の学科の一つ陰陽道(おんようどう)にでも立ち入ってくれ。まだあれば。あってもただのなんちゃっての「かんぱら」もどきでは入れないけれどね。(笑)

476010951x 中華圏では「擇日法」、撰日(せんじつ)と呼ばれる概念は日本では、「曆注」と呼ぶことが多いが、岡田芳朗氏は「撰日」を次のように定義している。

 「撰日は[選日]と書くこともある。撰日とは、干支・十二直・六曜などによって、吉日を選ぶことで、つまり、日取りの仕方をいう。(中略)暦注の撰日法には次の三通りがある(月切り・節切り・不断)。」

  

岡田芳朗・阿久根末忠 『現代こよみ読み解き事典』

 日本での「擇日」に対する簡潔な定義ではあるが、少々簡潔すぎる気がする。というのも、中華における「擇日」とは十二種もあるのだから、その定義も容易ではない。

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[1]叢辰法 [2]禄命法 [3]天星法 [4]斗首法 [5]運気法 [6]演禽法 
[7]穿山法 [8]紫白法 [9]奇門法 [10]六壬法 [11]太乙法 [12]三元法

 この中でも日本にも導入され「暦」(こよみ)として馴染んでいる擇日法は「叢辰法」だけである。ちなみに、講義でも説明したがこの叢辰法における主要な古典テキストには以下のようなものがある。

 『協紀辨方書』、 『剋擇講義』、 『選擇正宗』、 『選擇通德類情』、 『選擇求真』、 『選擇金鑑諏吉述正』、 『象吉通書』、 『選日樞要曆』、 『選擇宗鏡』、 『神樞經』 

 さて、ここで「何故、叢辰法による暦の吉凶の縁起観が、かくも日本文化圏に浸透したか?」という素朴な疑問が湧き上がるが、それこには江戸末期の土御門家における擇日書の翻訳が関係しているのである。

 土御門家とは歴代、天文をつかさどる家であり、平安時代の天文博士であった安倍晴明以降、千年以上において、陰陽頭、天文博士を多く輩出してきた。土御門家は江戸時代には造暦、民間陰陽師の統轄、天皇や公家などの祭祀や占いに携わった。

Imgf65ff356zik6zj 江戸末期の土御門家の当主、安倍晴親の時代、土御門家の私塾である齊政館の蔵版として、中国の天文・暦法、儒教や陰陽思想に関係する書が翻刻され、それは齊政館蔵版として、皇和司天家鑒本『陰陽方位便覽』が刊行され、この書の内容から土御門家が、擇日法の一つ、叢辰法を積極的に日本文化に導入しようと、実に先にあげた叢辰法の古典を研究していた痕跡を残している。

 また、『陰陽方位便覽』から江戸末期以降の土御門家の陰陽思想を考察するのにふさわしい内容となっている。水野杏紀氏【江戸末期の土御門家と陰陽書出版について】を参照のこと。

Inx2 そこで、私も早速、『陰陽方位便覽』を古本で買ってみた。やっぱり、この手の本は古書であることがいい。
 そして水野氏の研究に違いなく、この書の意図するものはよく理解できた。

 

「晴親の時代、土御門家では齊政館の私塾を通じ、儒学、『易』、天文、暦法の学問
 研究、陰陽思想などの学問研究を行っていた。そうした塾生達を中心とした陰陽思
 想の学問研究のために、齊政館蔵版として『陰陽五要奇書』が翻刻刊行された。晴
 親はみづから『陰陽五要奇書』、『通德類情』を塾生に講説していたが、齊政館蔵版
 陰陽書目として、『陰陽五要奇書』の残り三集,『協紀辨方書』,『通德類情』,『三才
 発祕』などの翻刻を予定していた。さらに、数々の新旧の陰陽書などをもとにして、
 それらに記載される神殺などを図でわかりやすく示した日本独自の陰陽書
、『陰陽方
 位便覽』が齊政館蔵版として刊行した。晴親はこうした出版を通じ、齊政館の陰陽
 思想の学問研究を、齊政館の塾生を含めた、陰陽思想を学ぶ者達に向けて発信、普
 及する狙いがあったと考えられる。」 『江戸末期の土御門家と陰陽書出版について』から引用

  

Cci20111018_0000 この『陰陽方位便覽』の内容が「叢辰法」であるところの神殺(叢辰)の解説を『協紀辨方書』、『選擇通德類情』の神殺の解説を主として翻訳し、引用しているのであるから、当然、原点は中国のこれらの「叢辰法」のテキストとされる古典であることは間違いようが無い。

Cci20111018_0001Cci20111018_0002 土御門家の陰陽道の根幹を間違えるどころか、安倍晴親は自ら「この数年、みづから『五要奇書』、『通徳類情』などの陰陽書を塾生に講説してきた」と述べている。つまり、江戸末期の土御門家では擇日法の一つ「叢辰法」を講義していたのである。

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 また、遡れば安倍晴明(921年-1005年)が編纂したと伝承される
『簠簋内伝金烏玉兎集』(ほきないでんきんうぎょくとしゅう)も正しく「叢辰法」の内容から暦の縁起観を示すものなのである。

 

 ちなみに、来月号のムーNo.373では叢辰法の一つ「金神」を中国・日本(土御門)の叢辰における比較などを述べてみましたので、乞うご期待くださいな。

 さぁ~て、最近ケンカ売ってきた無知の恥知らずの悪党を追い込むのは、次回にするかな。いつものパターンなんだよね。俺は何もしていなんだけれど、悪党どもが群がって来てくれるので、バッサリと斬り刻みやすくて助かる。もうこれで何人目だろうか。(`д´ ╬ )

 安倍晴親は言う。

安倍晴親:「昨今はト占を用いて人を欺く賤術師が登場し、妄説を捻出し、学問として学ぶことはますます、廃れている

 当時の昨今どころか、今もその通りなんだよね~。妄説・妄想のかんぱら(陰陽師)のフリをしたイカサマ賤術師を安倍晴親に代わって、陰陽道の理論からバッサリ斬ります。(笑)

 

1 ちなみに、日本の占術にも造詣が深く、六壬神課にも精通している明澄派の兄弟子・掛川掌瑛氏をはじめ、少なくとも六壬を勉強したことがある人たちは、皆、既に大笑いの占断を見てしまいました。( ´,_ゝ`) ブッ

 

 掛川掌瑛氏:「自分が馬鹿だと知らないために、余計な恥をかく」

 

Tusyo
 台湾の現地時間(GMT+8)で課式したものに、東京での時差19分いれていないとか、言い掛かり内容自体が頭がおかしいよね。その他の内容も、鍾進添老師の六壬の術理を全く知りもしないだけの無恥の言い掛かり。

 六壬の初歩の初歩の占的の立て方も知らない素人ちゃんが、「重喪」「絶気」「財離」という不吉な象意が導き出される。とする鍾進添老師の叢辰法の解釈に「これだけでもウンザリする」などと、よく難癖つけられたよね。(左は今年3月11日の通書二種類)

 まあ、まともに「陰陽道」も勉強したことが無いただの毒学の騙りヤローって、ことはよくわかったから。この部分は次回「陰陽道」の術理で証明してあげるね。もう逃げ道の陰陽道まで塞がれてしまうのか!? 

 お楽しみに~。

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