悪意占有

 悪意とは、法律のに定義によれば、「ある事実を知っている」ことである。

 そして、「悪意占有」とは、「本権(地上権・所有権など)のないことを知り、またその有無について疑いながら行う占有する」ことである。

 特に知的所有権に関しては、この「悪意占有」が随所に見られる。

 誰かが、ぼくのブログから悪意を感じるのならば、その人は、こう思ったほうが良いかもしれない、このブログを書いている人は、「ある事実を知っている」と。

 過去にある伝統的な学術団体があった。そこでは、数人の研究者たちが、研鑽を積んで、思想レベルまで昇華した「術」を練りこんだ。

 靈星閣と呼ばれた小さな掘っ立て小屋から始まった貧しい研究者たちの良き心の集いの場だった。

 そこから生まれた研究は、いつしか、その名前と共に、捻じ曲げられ、ありもしない理論を付加され、歪曲されてしまった。

 つまり、「他人に害を与えようとする心」である悪意によって、汚されてしまった。ぼくは、汚れは洗えば、とれると信じている。

 そう潔く洗おうとする心さえあれば、心にこびりついたどんな汚れもとれるのだ。そんな人の持つ、無限大の可能性と潔さを信じたい。

 許されなくなるまで、悩む必要はない。許す人がいれば、それで良い。

 もし、君がその非を見つめ、認めるのならば、ぼくは、君を友と呼ぶ!

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