荷物と心の整理

 今日は、久々のオフだと思って、家にいると何十枚も図面を持って、ウォーターがやって来る。

 ウォーター:「早く引っ越さないと実家に戻ることになっちゃう。家選んでください!」

89451194  社長のウォーターは、青山の高級マンションに住んでいたが、2008年10月28日にバブル後最安値を更新した日経平均株価があっさりと7000円を割り込んだときに、今までセレブと思われていたこのマンションの住人たちが、突然出て行ったり、夜逃げしちゃったりして、今ではその青山の高級マンション住んでいるのは、ウォーターを残すのみとなってしまった。

 贅沢な話だ。オレなんか青山ってつくものっていったら、スーツくらいなものなのに。( ゜ 3゜)

 このコペルニクス的転回にビビッてしまったウォーターは、

 ウォーター:「風水的に悪い場所だったのに違いない。怖い場所だ。
          それに人が住んでいないマンションは寂しい。」

 ダニエル:「人が住んでいようといなかろうと、オマエは隣の人の顔をも
         知らなかっただろうが!ヽ(`△´)/」

 とにかく、ウォーターは引越しを決意したらしい。オマケに私が住んでいる恵比寿に来たいとのこと、この間も知人が、私の住んでいるマンションに狙って、引っ越してきたばかりなのに。そんなにオレの近くに住むのが好きなのか、この人たちは・・・。オレのプライバシーが削られてゆく日々である。

 また、風水を使って個人鑑定はしないが、私がコンサルをやっている会社の社長なので、社長が風水的に悪い場所に住まれても困るものがあるので、家選びを手伝わなくてはならなかった。

61756_pc_m  しかも、恵比寿に住みたいとのことで、有る程度範囲を限定しており、既にこの界隈の土地については熟知しているので、住所を見ただけで、地形をイメージできる。

 大雑把にふるいをかけ、選んだのは40枚近くの物件図から5件ほど。

 マンションの住人がマンションからいなくなって寂しくなって引越ししたがるほど、寂しがりやのウォーターと共に、もうニ回ほど内観を見に一緒に回ってあげて、二回も決定をしたけれど、一回目の決定した物件では、不動産屋から突然電話で、「突然オーナーが住むことになって契約できなくなりました」と電話が来る。二回目に決定して選んであげた物件では、また、不動産屋さんからりお電話で、「たった今、申込金を払ってしまった人がいる」から、無理だと。

 つくづく、風水の良い物件と縁のなかったウォーターが持ってきた新しい物件たちから見つけてあげた物件は、オレん家から、歩いて一分・・・。(´Д⊂グスン

 もう、オレが遠くへ引っ越すかな。どこか遠くへ。そう、綾部へ。

 そんなことを考えながら、引っ越してきて、まだ整理を終えていなかった荷物たちを見つめながら考えていた。ウォーターの会社に倉庫があるので、置ききれない荷物を倉庫にあずかってもらうことになっている。

 お荷物の整理をしながら、留学時代に勉強していた英語、韓国語や中国語の手書きのノートたちが大量に入っているダンボールと出会うと懐かしくてつい開いて読んでしまう。捨てても良い様な物だが、つい捨てられない。

 ぼくは、外国語を学習するときに文法や単語を盛り込んだ作文の課題の発表が大好きで、いつも先生や他の生徒を笑わした瞬間が描かれた文章たちがたくさんノートに書かれており、懐かしさを噛み締めながら文章を見入る。

Faa023001745  もし、この語学学習時代のたくさんのノートをタイピングして活字にしたら、それはどう見てもただの「語学学習教材」の類だろう。ただ、こうやって手書きでシャーペンや鉛筆で書かれたノートは、明らかに違う。これは、ぼくの足跡なんだ。そこには、友人や恋人に宛てる文章のための文法の研究や習いたての拙い言語で表現しようとしたぼくの感情のいとなみなども盛り込まれている。

 それらの手書きの文章たちは、ただの書かれたものではなくなって、まるで一つ一つが絵みたいに思い出が溢れ出す。そして、語りかけてくる。久しぶりなのに、お帰りの顔をして、語りかけてくる。そう、いつの間に消されて生まれる絶え間ない自分の繰り返しを歩んできたことを知る。

 やっぱり捨てられない。捨ててしまうことのほうが悲しいものたちなのだから。(。♋ฺ‸♋ฺ。)

Img10454667935 荷物を整理することはまるで、絶え間ない自分の繰り返しである過去、自分の心へと辿り着く。巡りあいのように記憶の回廊に入り込む。荷物の整理によって、荷物と出会い過去の心と出会う。

 荷物が整理されて倉庫にしまわれる。それらの荷物が私から離れて暗い倉庫に置かれても、きっと心の深く暗い部分にそれらの思い出の絵たちはアーカイブされるのだろう。

120319_pc_m  そして、また荷物を倉庫から出して来て、出会うのだろう。教室にぼくがいると誰かが教室を開けて入ってくる。その誰かが今の自分なのかもしれない。
 
 
 
 躓いた過去ならば、未来が変える。荷物を出してきて開いたときには、久しぶりなのに、お帰りの顔をして、また会おうと思う。過去の自分に。

Mzl4  今日から、過去に書いたぼくのダンボール数箱分の中から、いくつかのエッセーたちを連載して行こうと思う。このブログに。それらは、12年以上前に書かれたものだが、今の自分と照らし合わせて何一つ変更を必要としない。ぼくの思想の根底にあるものは、12年前から何一つ変わっていない。巡り巡って、また自分に出会うときが来た。

 以下のタイトルのエッセーたちを読みやすく段落だけ分けて、ブログ用に写真を入れて掲載していきますね。

            

<エッセー集>

エピローグ:「荷物と心の整理」

「空海の文化」

「中国における思想と仏教」

「後期密教における力の顕現」

「神智学協会とインドにおけるユートピア」

「そして、世界は作られている」

「自然への道」

*これらのエッセーは12年前に書かれたものです。まったく加筆、訂正していません。

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