張明澄先生の七回忌

1  ブログはじめてからの恒例行事でもある「三年喪に服する」如く敬意を持ってのご法要。2010年11月1日、恩師・張明澄先生の七回忌のご法要に際し、 あらためてお悔やみ申し上げます。

 
 

Img_4058  故人の面影を偲んでよいのかがわからないが、ご冥福をお祈りするという表現には違和感があって、調べてみると冥福とは、冥界であり地獄の意味合いが強く縁起の良い言葉とはいえない!

 生前から、日本の漢方学界、占術業界との争いの絶えなかった先生だったが、死後まで争う必要は無い。七回忌を迎える今も、その人を巡る論議が絶えず、自分の恩師が下賤の輩にとやかく言われるとは、嘆悲しいことである。

Img_4060  破門された弟子たちが、何を主張しようとも、最後まで先生のお傍にいて学ばせていただいた弟子達の主張には及ばないのは周知の事実である。厚顔無恥にも、命日の日にちは知りませんと書き連ね、その人を冒涜する張先生の人物史を匿名で書き綴るような下劣な輩には罰が当たるのだろう。

 仮に百歩譲って書かれている内容に事実を含んでいたとしても、

 

  死者に鞭打つような発言をする必要があったのか?

 

 人としてあるまじき行為である。しかも匿名で。

 もしその発端が明澄記念館 を運営する掛川掌瑛氏、及び山道帰一への当てつけならば、見当違いも甚だしいものである。

 張明澄先生の残したものであり、我々が正当な所有権を有している映像及びテキストを保存するに際して、明澄記念館 をネット上で運営し、そこで運営委員会として明澄と表明した部分に対して、利権を巡る輩が躍起になるのならば、明澄派と表明し直せば良いだけである。このという文字がかくも偉大かどうかは別として、宣伝効果があり、彼らが培ってきたと主張して止まないのならば、商売の利害を訴えるものとしてわからなくは無いです。匿名だからわかりにくい部分ではあることと思われますが。(笑)

 そして、それは既に明澄記念館の全ての部分で表記が変えら、明澄改め現在は、
明澄派と表記されているはずである。

 そして、この明澄派とは実体があるようでどこにも無く、文字通り張明澄(張耀文)先生と、縁があり「張明澄を偲ぶ会」としての明澄派なのである。どこにも、何も組織された派閥のようなものは形成していないし、団体として登記もされていなければ実在しないのである。

F1000331_2  張耀文、本籍名を張明澄として、納骨堂に納められた張明澄先生の遺骨のみがその実態を知っているのではないだろうか。

 誰が卑劣な裏切り者の破門弟子で、誰が最後まで残った弟子かを。

 その実在しない明澄派なるものに対して、躍起になって突っかかってきてもしょうも無い問題であるし、何度も言うように死者を冒涜することは許されない。
*左の写真新は関係者各位に迷惑がかからないように情報の一部を消しています。
 

 矢面にまた立たされそうなので、自分で立ってみました。(笑)

 世間から誤解されているようなので、一つだけ確実に宣言したいのは、「オレは言いたいことがあれば自分のブログで書く!」ということなのであります。

 おっと、張先生の七回忌なので、大事なことを宣言しておかねば。

 わたくし、山道帰一は生涯どんな苦難にあおうとも、必ず明澄記念館を実体ある建造物として、小生が生きているうちに建立することを誓います。そして、大画面の液晶モニターを導入して、明澄記念館で購入したくても張先生の足跡を追えない学生達に対して、明澄記念館では学生に資料室を開放して、我々が所有している張先生の映像を放映し、無料で見て学習できる学習環境をつくることを誓います。

 尚、明澄記念館を併設するに当たって必要な張先生の台湾で出版された出版物一式、及び雑誌掲載分を含めた仔細資料は全て、鍾進添老師より寄贈していただき、私の手元にあることをご報告いたします。

 いつも遅刻はするけれども、必ず仕事はこなす山道帰一より。

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今日11月1日は張明澄先生の命日、七回忌にあたります

張明澄先生六回忌

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