擇日について思ふ3

Photo_8 ちなみに、このブログの趣旨である悪党を闇に葬る「悪即斬シリーズ」を知らないいちげんの読者は、そら恐ろしい内容に思えるかもしれないし、実際にそうだと思う。( ´Д`)

 今回ここまで書いて私が一番許せなかったのは、鍾進添老師の術理を知りもしないのに知ったかぶりをして、この悪党が言い掛かりをつけてきたことにある。

 人様の師匠に対して難癖をつける。

 もし私に唯一プライドがあるとするのならば、鍾進添老師の内弟子であるということだけである。そして、その師匠に対して「言い掛かり」を付けてきたのである。心中穏やかで済むはずがない。

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 「それは俺が精神的に未熟だからだろうか?」

 と、自問もしてみたが世の道理として不正な言い掛かりをつけられ、それが自分の師匠に対する誹謗中傷であっても許すのならば、そんな奴は売春婦以下である。と言うのが、私の持論で色々と書かせてもらった。それはこれまでに張明澄先生が鬼籍に入られた後にも、死者を冒瀆してきた連中をバスタードしてきたのと同じである。

 

 くどくなるから前回までのは重複しないようにシンプルに行こう。ただ悪口書くだけならばアイツのブログと同じになってしまうので、その辺りには配慮があって、本編は笑いながら学べる方式になっている。

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 さてさて、「ウンザリする」前に「重喪」「絶気」「財離」って知っていますか~?

 までの前フリで読者には、ここまで「擇日」「通書」の概念を説明してきた。そして、それらが現代の日本の大学機関では研究が進んでいないことも。また実際には擇日学の中の「叢辰法」においては、江戸末期以降の土御門家の陰陽思想そのものであり『陰陽方位便覽』から考察できるというのは、水野杏紀氏江戸末期の土御門家と陰陽書出版についてを読めば理解できるだろう。

 それでは「叢辰法」と呼ばれる「神煞」の内容が通書には書かれ、中華圏でベストセラーにしてロングセラーであり、未だに毎年、台湾だけでも三十種類以上の「通書」が発行され「中華圏では共通の縁起観としての価値基準を庶民が持っている」というのは土御門の研究を多分全然知らない三浦國雄先生でも知っていることだろう。

 

 さて言い掛かりをつけられた記事の主眼となる3・11(2011年3月11日)の通書は上の通りである。左『正福堂 蔡炳圳七政經緯通書』と右『信發堂 廖淵用通書便覧』の2011年3月11日のものである。ここに「重喪」「絶気」「財離」と書かれているのは、よく目を凝らしてみてみれば判明することである。書いてあるのだから。(笑)

 そして、六壬の古典を学んだことがあるものは、この叢辰(神煞)と呼ばれるものが、六壬の解釈を行う上で特殊な地位を占めているのは「叢辰法」、「六壬神課」共通の古典籍である『神樞經』や『選日樞要曆』からも一目瞭然のことである。とりわけ、「叢辰法」による神煞解釈は「六壬神課」、「七政四餘」で用いられるのは学習者ならば知らなければウソ、もしくはなんちゃって「かんぱら」になってしまうアイツみたいに。

Photo_9 古典だけではなく比較的近代の本である民国の蔣問天の著した『六壬鑰』も実に34ページにわたって解説しているから、如何に「叢辰法」(神殺或いは歳煞)が大事かというのは最早語るまでも無い事実だと思っていたが。

Photo_10 何と!バカがそこに難癖つけてきた。(笑) 

 つまり、六壬で叢辰を使わないとは、まったく六壬を勉強したことが無いということを物語っている。

 また、それをさも「自分のは日本の六壬だから、陰陽道だから、中国の本場のじゃない」から的な態度を装っても既に手遅れだろう。今から、コイツが陰陽道も全く理解していないことを証明してあげましょう。

 

Photo_11Photo_12 例えば、この叢辰の一つである「財離」とは、『選擇通德類情』では、元朝の易学家である曹震圭から引用し、次のように述べている。 

曹震圭曰:「九空者,三合五行墓庫之沖也。蓋庫破則空,沖則散;故又名「財離」。今世所傳九空與九坎同位,傳寫之誤也。其日忌進人口,修倉庫,開市,立券交易,納財,開倉庫,出貨財。」

 

「九空」とは、三合五行の墓庫の沖となる。蓋し庫が破れて即ち空となり、沖すれば即ち散ずる。故にまたの名を「財離」という。現代では「九空」伝わるところと「九坎」は同位となっている。これは伝承に誤りがある。その日は「進人口」(養子を迎えること)、「修倉庫」(倉庫の修繕)、「開市」(開業・開幕)、「立券交易」(契約や売買をすること)、「納財」(家賃などを受け取る、借金を返済してもらうなど)、「開倉庫」(新たしい倉庫を開く)、「出貨財」(お金を貸す、商品を出す)などを忌む。」

 と述べている。元朝の人である曹震圭の言う「財離」と「九坎」を同位とするべきではないという指摘は無視され、現代の通書全般に「財離」は「九空」ではなく、「九坎」と同位として踏襲されている。そして、上記の二種類の通書から見出せるように「九坎」ではなく、「財離」と記載されているのである。つまり、現代では「財離」=「九坎」と同じ意味で使用しており、通書では「九坎」ではなく「財離」と表記している。

 では、叢辰法を研究した土御門はこの叢辰の一つ「財離」(「九坎」)をどのように表記し定義しているのであろうか?

Photo 安倍晴明(921年-1005年)が編纂したと伝承される
『簠簋内伝金烏玉兎集』の藤巻一保著の現代語訳総解説では、この「九坎」を「北方をつかさどる水神」として詳しく解説している。

以下、藤巻一保著の現代語訳総解説から引用したい。

 

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「九坎とは、天の二十八宿中の牛宿にある星座で、9つの星からなるため、この名がある。『和漢三才図会』には、「泉源や入り江に流れが溢れるのを調節し、水をうまく導く」ための溝渠をつかさどるとある。この星は明るく輝くと凶で、暗いと吉とされる。

九坎は北方をつかさどり、水源や水流を調節する神なので、『簠簋内伝』では入浴や洗濯などの水を汚す行為を忌むように教えているが、より古い時代には、「百事に凶」とされ、天皇の代初めが九坎日にあたると、恒例の四方拝も中止されたというくらい、重い忌みがあった。しかし、この『簠簋内伝』が書かれた中世のころには、洗濯や垢すりを忌む程度の輕い禁忌に変わっている。自分の身の垢を流して、水神である九坎を穢すことを恐れたものと思われる。」  安倍晴明占術大全―『簠簋内伝金烏玉兎集』現代語訳総解説

 

 

 上図の表より分かることですが、図中の二月は旧暦であり、2011年3月11日は、辛卯月(旧暦2月)であり、日干支は乙丑日である。つまり、3・11は「九坎」=「財離」となっており、3・11の象意の断面を『簠簋内伝』は「叢辰法」である「九坎」=「財離」からその日起きたことの意味を非常に浮き彫りにしているのである。

 この様に月と日の干支暦での組み合わせを読むことを「日・月家叢辰法」という、叢辰法の一つの読み解き方である。実に、古より叢辰法を研究していたのは、陰陽道なのであり、その陰陽道が重んじるもの一つさえも満足に知らずに、「ウンザリする」などとのたまうイカサマ陰陽師の北斗柄は単なるペテン師。(笑)

 陰陽道を真面目に勉強している人はお前の知ったかぶりに怒るぞ。

 まともな陰陽道研究家ならば、知ったかぶりで虚飾のみのお前にもう「ウンザリする」のである。

 また次回もジャンジャンとネタあるからね~。

 もう出鱈目書くのはやめてね皇極経世もよくアソコまで適当に書けたよね。( ´,_ゝ`)

 捏造独学の極みですな。( ´,_ゝ`)

 きつめの抗うつ剤を用意して待っていてね~。(笑)

To be continued

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