着々と湧き上がる構想。とり止めもない閃き。あなたは、そんな一瞬を感じたことがあるだろうか?
そして、もしあなたが能動的に人にその想いを伝えようとした時、あなたはデザイナーになる(かもしれない)。 デザイナーになるぞⅠの発表後、夜間飛行の常連客である植木誠さん(鳥取県デザイナー協会会長) は、阿藤大昇さんの名刺をこのブログで見ていて、ナント!ぼくのデザインを誉めてくれたのでした。(✪ฺ∀✪ฺ)
漢(オトコ)、山道、感動いたしました。やはり、類は朋友(とも)を呼ぶで、わかるものは、わかるものなのですね。何もわからん、会社のデザイナーたちからは、「こんな嫌がらせの名刺を作りやがって!」と、蔑まされていた溜飲が晴れましたぞ。(。♋ฺ‸♋ฺ。)
朋友の植木さんは、言います。
植木誠:「その名刺に阿藤さんが収まりきらないと考えた着眼点や逆転の発想は素晴ら
しい。私も、阿藤さんという漢(オトコ)に会ってみたくなった。」
了解いたしました。近いうちに、阿藤さんを夜間飛行にお連れいたします。その時は、ぜひ名刺交換をして、この名刺をゲットしてくださいませ。
数々の華やかな実績に満たされた植木さんは、ぼくが出会った中でも、数少ない思想レベルに裏打ちされた本物のデザイナーだ。美というものに名を求めないという思想は、どこか儒家思想に似たものを感じる。
思想するデザイナー植木さんは、造語「温故創新」という言葉を考案し、商標登録さえしている。しかし、IQとEQが低くて、自分で何かを生み出す力のない弱者である卑屈な小人たちが「温故創新」という言葉を利用した挙句、植木さんの名前を闇に屠ってしまった。ペテン師共が!
植木さんを名無しのオバQに変えようとしやがって!ヽ(`△´)/
この無念に、「恩顧奏申(おんこそうしん)」で応えたい。この意味は、「天子(首相)に申し上げ、ひきたててもらうよう」にすることである。おっと、この写真の首相は、もう辞任されていたようだが、これは正しく無念である。
しかし、このようなことを書くのは、余計なお世話で、美というものに名を求めないという高いレベルの芸術思想「民芸」に生きる植木誠にとっては不要なことなのだろうと思う。
美というものに名前を求めないということは、誰が見ても「これを作ったのは、あの人だ!」と呼ばれるほど高度なものなのかもしれない。ぼくも、そういった作品を練り上げるべく、日々研鑽が必要だろう。
そうやって!?、作りこまれた名刺の完成刑が、これだ!
幾つかのストーリーを超えてたどり着いた結論。
クリミナル・マインドシリーズを経て、たどり着いた漢(オトコ)、阿藤大昇を語るに相応しい名刺が出来上がった。
裏面には、まだ改善点が残り、住所の部分は、雑誌を切ってのりで貼ったような作り込みが望ましい。
あっ、今、阿藤さんからリアルタイムで、お電話がありました。『風魔の小次郎』最終章風魔反乱篇の画像を顔の部分だけ阿藤さんに加工して、使って欲しいとのことです。
つまり、裏側も縦書きの名刺ですね。「風魔の大次郎で、お願いします」とのことです。ちなみに、阿藤さんは、「表側は完成されています!」と言っていた。やっぱり、オレのデザインをチョイスしてくれたぞ!ヽ(`△´)/ Noneちゃんの作った左の2種類のデザインはボツということで、担当のⅠ氏に指示を出さねば。
どれだけ相手に迫れるか、どれだけ顧客の要望に応えられるかが問われるのが、本当のデザインの世界だ。それには、対象となる相手を上滑りに理解し、小奇麗なデザインを追及するだけではなく、対象(大昇)の本質を理解しなくてはならない。
それは、すごく厳しい世界で、自分で良いと思ったものと顧客が満足するものは違うのだ。そのためには、対象である顧客を理解しようと努める必要がある。Noneには良い勉強になっただろう。これにめげずに、ちっぽけな自分の正義感に固執せずに、本質を見つめる努力を今後は、してもらいたい。
自分こそが正しいと思い込んでいるヤツから順番に間違いを犯し、自爆するのがこの世界のルールだ。善も悪もただの個人的なものさしであると共に、ちっぽけな価値観に過ぎない。
この世の中に完全に正しいもの、完全に間違っているものなど何もない。つまり、完全などありえない。もし、そんなものがあるのならば、科学者は、とっくに不変的な法則を見出し、研究を続ける必要性さえないだろう。つまり、自分の視点に完全さを持ち込むということは、その時点で探求や研究を放棄しているのだ。それは、人を単なる怠け者に変えてしまう危険なドグマだ。
若い頃から、直観力が豊かだった私は、あまり占験の内容に興味を示せなかった。しかし、五術を学ぶ過程で、家族に、
「そういった、自分の直感に頼る者ほど、勉強を放棄する。お前の直観力がいくら優れていようが、古代の聖賢たちが編み出した体系や教えの前では、無に等しいだろう。古代に生きた数知れぬ天才たちを、お前一代で否定するのは不可能だろう。否定するのならば、否定できるようになるまで、まず、学んでみなさい。」
と、言われた。
それ以来、ぼくは真面目に勉強するようになった。筋が通った話には、おとなしく従うのが、ぼくの信条だった。知らないのに否定はできない。少なくとも、学術的に論じられない。学術的でなければ、ただの悪質な宗教ドグマに等しい。
そして、知った事実がある。五術の複雑な体系を学ぶことで、横の幅が広がり、直観力が超直観力へと変わる飛躍を感じた。そして、学んだことは、学ばなかったことに比べて、正解だったと笑顔で言える自分がいる。そのため、霊感や直感だけを頼りにしている人たちに言いたい。
【温故知新】(おんこちしん)
『論語』(為政)「温故而知新、可以為師矣」]
古い事柄も新しい物事もよく知っていて初めて人の師となるにふさわしい意。昔の物事を研究し吟味して、そこから新しい知識や見解を得ること。古きをたずねて新しきを知る。
そこから、派生したのが、植木さんの【温故創新】は、古い事柄、物事を省みて研鑽し、新しいものを創るの意である。まさしく、温故知新の意味を損なうことなく、もっと、前向きに意味を醸しを出して
いるところが素晴らしい。
つまり、古代人の遺してくれたものを学んで顧みることなくして、創造は沸きあがらないのである。学ぶものとは、常に過去にあり、未来から何かを学ぶと言い張る人たちは、病院以外の場所にいることは珍しい。つまり、古い事柄も新しい物事もよく知るためには、学ぶことを欠かせないのである。クリエイターたちは決して、自分の小さな殻に閉じこもってはならないし、五術家たちも霊感や直感だけに頼ってはならない。
デザインとは、思想レベルに昇華されたものが、望ましいと考えている。それは、デザイナーではなく、アーティストの領域だということを友人のデザイナー・トッシー(Tossy)から聞かされた。
トッシー:「鉄腕アトムには、大衆の期待を考慮し、
様々な規制があったところに、手塚治虫の苦悩がある。
大衆が鉄腕アトムに期待したことを裏切れなかったのだ。
つまり、そこに本当の手塚治虫はいない。
それに反して、浦沢直樹の描くリメイク
『PLUTO』では、純粋なロボットと対比させた
ドス黒い人間の本質を描き出している。
まさに、人間の古き良き純粋な心をロボットが保持し、
人間が魔道に堕ちて行く姿が描かれている。 手塚治虫の表現の規制を打ち破っているのだ。
この両作品の違いは、デザイナーとアーティストの相違だ。
そう、大衆に迎合しない浦沢直樹はアーティストなのだ。」
ふむ、そう考えると、ぼくはアーティスト側の人間だろう。(;◔ิд◔ิ) !!!
よし、オレの風水は、アートを徹底的に追求するぞ!(。◕ฺˇε ˇ◕ฺ。)
来年からは、ついに綾部補完化計画をスタートさせる。( ・ノз・)コソコソ
ちなみに、この阿藤さんの名刺は、誰がどう見ても「これを作ったのは、アイツに間違いないぞ!」と写真の様に指差されて呼ばれそうで、ある意味、民芸的作品なのかもしれない(笑)。
この阿藤さんの名刺にぼくの名前を書く必要はないのだから。これがホントの「用いる美」!? (・´з`・) 美 MY BABY
<関係ページ>
ここ↓クリックしなくても良いからね。
あっ、でもクリックしても文句は言わないぞ!(。◕ฺˇε ˇ◕ฺ。)