半農半禅

 風水が、「開運とか財運とか欲望を煽るコテコテの世界になっている」と、朋友のイスカンダルさんから指摘され、そのとおりだと思う。

Hungermap  特に、この豊かな国である日本にいることが、現在8億人の飢餓人口と将来の食糧に対する不安を我々に考慮させません。生まれてくる場所の経度ちょっとズレていただけで、この死を宣告された8億人の中に自分が入っていたかもしれないのに。

 この虚飾に見せられた栄華と豊かさが、人々を盲目にしてしまいます。ぼくは、人が虫ケラのように殺されることが許せません。そして、今の日本を見ていると、風水も自分が「人よりも幸福、人よりも豊か、人よりも富みたい」と、とりとめもない欲望の対称にしかされていません。

 ぼくが個人鑑定をしないのは、その辺りに理由があります。大抵の人間が風水に求めるものは「欲望を助長させる」ことです。

Untitled  そして、そういった風水によって運を変え、その目的がいたって自分達を満足させるだけの欲望を助長させるために、誰かが傷つき、誰かが犠牲になるというのは、この社会、ひいてはこの食糧問題を抱える地球の縮図があります。
 
それは、市場の競争原理です。つまり、誰かを虫ケラのように犠牲にしてまで、自分たちだけ豊か、幸せになるために風水を用いようとする人々に対して、どうしてぼくが手を貸さなければならないのですかという問題なのです。

 ぼくの風水は、そんな汚れた系譜の中から生まれてきたものではありません。例えば、ぼくの風水の師匠の一人、ある戦士さんの祖父は、清朝末期に宰相をしており、国家の命運に携わった一人ですし、ある戦士さん自身が、そんな汚れた世界に手を染めることを潔しとせず、無一物の居士として生活しております。

 明澄透派十三代張明澄先生(1934年-2004年)は、裕福な人からいくらお金を積まれても、その人の業と合致しなければ、風水を用いませんでした。というより、話をするのも嫌がっていました。しかし、貧しい人を見ると、無料で風水を施し、感謝される高徳の人だったのです。

 そして、伝えたい! これが、本当の五術だ! これが本当の伝統文化だ!

 この心たちは常に人を救済しようとしてきた。 この受け継がれた心を見て欲しい。

 そういった系譜に連なるぼくは、悪業も悪徳も積む気はありません。それは、先代を辱めるような徒弟ではないからです。

 ぼくが動く時は、自然界の調和とバランスの中で要求された業のバランスが平衡を保つ時のみです。それはあたかも、地靈人傑の説明である「交靈1」「交霊2」で、出てきたクライアントのL氏のように、既に寝たきりになった両親のために、自分がどんな目にあおうと、この二人を守りたいという強い気持ちを自然界に投げ与えた時に生まれてくる代価のバランスを終え、自然界の業が平衡を保った関係を持ったときに動きました。

 つまり、「誰かのために自分を犠牲にしてでもいい」そういった覚悟を持った保身と欲望が動機ではない人間のみが、ぼくが風水を個人に用いるときの対象となるのです。それが、ぼくの見つめる風水の正しい在り方です。もちろん、鑑定料金無料で動きます。

 保身と欲望で凝り固まった人間のために差し伸べる手があるとするならば、まず、己を省みて、自分が必要以上の欲望に捕らわれていないかを諭してあげる事の方が大事です。

 誰もが幸せになりたい、誰もがお金持ちになりたい。そういった夢を見るのは結構なことですが、それ自身が市場原理主義の犠牲者なのです。幸せとは人からもらうものでもなければ、お金によって満たされるものでもないのです。

 幸福とは、「心が満ち足りる」ことで、幸不幸とは人の行き先です。つまり、心が行き先を判断し、満ち足りているかどうかを決めるのです。この「心」に欲望を纏い、洗脳されたかのように世間の定義だけを当てはめ、市場原理主義に毒されてしまった自分を見つめなおすことをお勧めします。

 本当の自分の幸せ、行く先が欲望に支配され、見えなくなり、心が満ち足りることがなくなった亡霊のように彷徨う魂を持つ人々は、立ち止まって考えるべきです。本当の幸せ「行き先」について、そして、何によって幸福「心が満ち足りる」かということを。欲望を延長して、幸せ「行き先」にしないでください。そんな自分を見出したら、自分に哀れみをかけてあげてください。

 それは、お金持ちになり、勝ち組になったから、得られるものなのでしょうか?

 好むと好まざるに関わらず、市場の競争原理に当てはめると、貧困層からのボトムアップは、勝ち組がいままで搾取してきた旨味が減ってしまうため、勝者が自分の身を切ってまで弱者に手を差し延べるというのは考えにくい世の中です。

120555341995316108917 逆説的に言えば、格差があるからこその旨味であり、「食糧問題を抱えつつも(解決に向かうフリをしながら)解決しないまま」という構図こそが、残念ながら、今の社会の仕組みを支えています。

 やはり、食糧と市場経済は切っても切り離せない問題であり、市場原理からいち早く脱却し、共認原理の社会を形成する事しか食糧問題を根本的に解決する方法はないのではないだろうか。

 互いに顔の見えない社会を統合するには、共通の心、意識が必要になる。それは、欲望を助長させるだけの社会原理からの決別でもある。

254pxwang_shoujen 日本には素晴らしい、草木成仏の思想としての「禅」がある。打坐を通じて心を安定、統一させることによって叡智を獲得し、己の欲望を支配する側に回ろうとする「禅文化」は、間違いなく個における問題である心、意識に働きかけ、思想レベルでの小欲化を成し遂げるために、残された未来の世界を、ぼくは見つめている。

 ちなみに、禅には生き方があるだけで、宗教色がまるでない。仙道と禅は、江西の伍守陽(1574年-?)の『仙佛合宗』などに顕著に思想的統一を成し遂げている。実際は、唐代の三教一致に既に思想的統一は為されているし、王陽明(1472年-1528年)の思想からも窺い知ることができる。

 禅には、拝むべき神など存在せずに、己の体験を持って、叡智を獲得しようとする打坐の世界観が見て取れる。

514pqn2bxzl__ss500__2  日本の未来に、塩見直紀さんの提唱する「半農半Xいう生き方」からの具体的な答えとして、「半農半禅という生き方」の生活を提唱する。というのも、自然があるから嬉しい、卵を作るのが楽しいとか、作物を作るのが楽しいという理由だけで農業を始めるのでは、結局はただの「楽しいことを追求する。」怠惰な心が生み出した産物に成り下がり、実際には厳しい農業というものを続けてはいけない。厳しい生活を支えて行くのは強い心なのだ。また、何を自然と呼ぶかはいたって、個人的な曖昧な定義に他ならない。

 半分は、生活の糧のために農業しながら食糧を供給し、残りの半分は自分の精神生活を充足させる禅生活をする。ここに生きることの意味や目的を兼ね備えた一つの幸福のカタチがあるように思える。 

 「半農半Xという生き方」の思想が、京都の綾部から出てくること自体、霊妙な働きがまたあそこから起きて来るのだろう。京都の綾部を深く思う(京都撃壌集参照)、今日この頃である。未来の日本社会の鍵は、あそこからまた生まれてくる。

 そんな未来を見つめながら、そんな未来のために動き出そうと苦心しています。

 日本が市場原理主義から抜け出すために国民一人一人の心に必要な思想が求められている。

 食料自給率と環境創造型農業を目指すのも大事なことで、「風水山道」が、動き出す時の未来のNPO法人「風ト水ノ界」では、徹底して、風水を用いて、村興しに取り組んで生きたい。村一つ興せない風水に何の価値もないのだから。

 ぼくは、風水を個人の欲望を助長させるレベルで使いません。ぼくに風水を教えてくれた恩師達を裏切るわけには行きません。それに、風水で効果を出すということにおいて、自然界の秩序を乱すくらい精通した自信があります。それだけに、ぼくは自分のルールに忠実に従っています。もっとも、その様な道徳心を持っていなければ、そこまで精通できなかったことでしょう。それが、道縁が定力によって導かれるといわれる由縁です。

 貧困に喘ぐ人々、限界家村にある悲しみ、世の中の不条理、誰かのために自分を犠牲にしてでもいいと人を愛せる人達のために、多くの悲しみ、愛と深く繋がり、虫ケラのように殺されて逝く人々を救済するために風水を使います。これが、ぼくの道徳の基準なのですから。

 そのためにも、多くの人々が市場原理主義で毒された心を癒すためにも、具体的な処方を世に出して行くつもりです。そのための共認原理の社会を形成する「半農半禅という生き方」の思想を提唱します。これは、村興しから携わり、もっと深く農業、環境、建築、経済というものを見つめ、この思想をより堅固にして人々に伝えて行くのが目標で、来年からダニエルは一人でもアクションを開始します。

 受け継がれたのは言葉ではなかった。受け継がれたのは技術、秘伝ではなかった。

 この心一つで、徒手空拳で世界に挑む。一人の仙学の徒、風水師が、この不条理な世界に挑む戦いが来年から始まります。

 これをドンキホーテが風車に挑んだ如きものだと思う人もいるでしょう。しかし、この心が砕けない限り、ぼくは風車を止めることくらいはできると証明しましょう。喩え砕けたとしても、この心を継ぐものが現れ、ぼくの倒れたところから地平線を耕すのです。そうやって、ぼく達は師の後姿を追って。この法灯は保たれてきたのですから。

 今、一人一人が欲望が原動力の機械人間に成り下がらないために、社会にある常識に捕らわれずに、ありのままの己の心を深く観察し、「こんなことのために生まれてきたんじゃない!」と気づく自分を取り戻し、本当の自分を探す心の旅に出ていただきたいのです。

 まずは、第一之公案として、わかりやすいところで、「より快適・より便利」に慣れきってしまった自分の生活を見つめ、それらが真に自分の成長にとって正しいことであるかを生活の中で見つめてください。

 私も日夜精進ですね。

<関係ページ>

  • エコ村(顕密一如であるべし)
  • 綾部視察団1
  • 山が動く
  • おじいちゃん
  • あなたが守りたいもの
  • 半農半禅
  • 読者への手紙
  • 『豐さ』
  • 同志
  • 風ト水ノ会
  • みんなの心と心が寄り添うかの時よ!
  • 京都撃壌集-綾部篇Ⅰ
  • 風水言志説
  • コメント(11)