7月12日、鹿児島空港から皆に見送られて、一人の男がその場を去ろうとしている。
ここに、あまりに多くの思い出ができてしまった。
インターネットやブログ、どれもくだらない気がした。
現実に起きたこと、人と心が通じること、大地が見せる神秘、それらの感動をいっぱい詰め込むから、生の充足があるのではないだろうか?
そう、この感動に比べたら、とても表現しつくせない。
こうやってリアルにぼくたちは会えたのだから。
そして、腹を抱えて笑い、人と人がコミュニケーションをする。
人の間に横たわる谷を埋めるべく、精神活動は交錯する。
なるほど「谷神」は死なないし、埋まらないかもしれない。
しかし、埋まらないことをお互いが理解し、なおかつ、もう一歩進んで理解しようと試みることができたら、それはどんなに素晴らしいことなのだろうか!
波間を縫うように感情がうねりくねって、お互いを大切にする術(すべ)、それは自然と調和する全(すべ)てでもあると伝えたかった。
「表現しきれただろうか?」
この風水のある旅を通じて誰かが言った。
「はじめてブログを見たのが一年前でした。
それから、風水山道の熱烈な読者になってしまいました。
でも、今感じているのはもっと違う何か別の強烈な想いです。」
誰かに読まれるぼくでありたくない、という一つの反抗から始まった旅だったかもしれない。
それは、子供のわがままみたいな純粋さなのだと思う。
この旅を通して、24時間ぼくに張り付いていた人たちもいた。
ぼくは「読まれる」だけのペーパー雑誌より、安いネットの記事、「風水山道」に成り下がるつもりはない。「風水山道」より、ぼくの存在を前進させる。
それができなきゃ、スクラップと変わりが無いから。
ネットの世界など言いたいことをいうだけのマスターベーションの世界に過ぎない。
*写真は名古屋から北九州まで、全てぼくに同行し、ぼくの心を支えた続けた人情味の溢れる「ヒロシくん」こと、加齢おじさん。講演会も二回も駆け参じた。
真に勇気があり、自分を信じ、その実力を示すことに怖気づかないから、どこに行っても、誰が相手でも、ぼくは一歩も退かない。
試され続けた旅だったと自覚している。
実を言うと、ぼくは答えを持っていた。いつも、いかなる時も。
それは、この『風水バカ一代』に係わった人たちが知りえて、記す「真実」が一条の光として、答えを明かすだろう。
共に進むから分かり合える仲間がいる。 真剣に汗を流して、山河に接し風水を探求する。
それは、人間の営みに他ならない。
一歩も退かない漢(オトコ)が、一歩も退かないために、次の戦地に赴くために、この大地、九州から飛び立つ。
「行かないで!」
でも、ぼくらはまた歩き出さなくちゃ。
「大好きなあの映画のエンディングみたいに
セピア色
そんなみんなとのラスト・シーン」~ラストシーン 布袋寅奏
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