台湾から戻ってまいりました。今回も、鍾進添老師のもとでお勉強をするのがメインで行ってまいりました。
毎回、幾たびに多くの気づきをいただき、鍾進添老師と師母からの暖かい御心に見守られて成長していける日々を楽しく思います。
孔子はいった、
「一束の干し肉をもって入門してくれば、わたしはいまだかつて教えないことはなかった」『論語』・述而篇


台湾から戻ってまいりました。今回も、鍾進添老師のもとでお勉強をするのがメインで行ってまいりました。
毎回、幾たびに多くの気づきをいただき、鍾進添老師と師母からの暖かい御心に見守られて成長していける日々を楽しく思います。
孔子はいった、
「一束の干し肉をもって入門してくれば、わたしはいまだかつて教えないことはなかった」『論語』・述而篇
山道帰一の風水コラム
第五話「五星形体!?」
風水探偵団団長ジャック・バウアー(Mr.リュウ)のメルマガ用のコラムに記事を送ることになりました風水少年探偵団ジャック・ダニエル(山道帰一)です。
五術の一つ「相」に属する風水には、歴史上実に様々な流派と言われる学術団体を生み出しました。今回、風水のコラムを書くに当っては、伝統風水の基本知識をご紹介いたします。
山岳の五星形体
五星とは即ち、金形、木形、水形、火形、土形に分類される山の形であり、それぞれの形状の異なる山勢(山のすがた)であります。
日本百名山と呼ばれる人々に親しまれる大衆的な存在として認知されている百座の美しいとされる山があるように、人間には審美眼があり、山の姿における美には優劣があります。
風水において山は「龍」であり、美しい山は「貴」とされ、山脈が複雑にうねうねと曲がりくねるさまを「活龍」といい蛇にも喩えられます。
山の姿を眺望するのに人間の審美眼において美醜があり、優劣があるのです。
劣るとされる山は「賎」とされ、真っ直ぐで硬くて、しぼみ枯れるように生気がないさまをいい、死んだ鰻や死んだ海蛇に喩えられ「死龍」と呼ばれます。
五星と呼ばれる山の形は、「形(けい)」と「勢(せい)」において判断されるのです。
形における美しさとは、山が厚く肥えて太った肥満体をいう。山が低く小さいのは問題ではないのですが、痩せ細っていて削られていたりすれば、生気が無く不吉とされます。

左の図は、「幹龍・支龍」をあらわし、風水における地形の判断では、主たる大きい山脈を「幹龍」と呼び、そこから派生して枝分かれして行く小さな山脈を「支龍」とい言います。
風水において、山とは龍であり、龍の大きさ如何によって「穴」と呼ばれるエネルギーの帰結点であるパワースポットの大小が決まります。
大都市から、小さな村にいたるまで、その大きさは大小様々であり、小さいものは「支龍」が更に分かれ、「小支龍」となり、そこからまた枝分かれし、「小小支龍」となり、穴を結びます。
五星形体に見られるように形において、秀麗な山々が、山脈として連なって続くことを風水では龍脈といいます。次回は、典型的な「龍脈の十二格」について説明いたします。もう一歩踏み込んでみましょう。
勢における判断とは、山脈がどのように揺れ動いているかの妙であり、屈曲は問題ではないのですが、山が急な傾斜で、斜めに山の尾根筋が流れて形を崩し、五星形体に見合う秩序が無ければ、五星の体とはならないのです。
<関係ページ>
旧正月を基点とすることが多いので、2010年2月14日にならないと、まだまだ実感が涌かないですが、日本では2010年に切り替わりました。
今年の正月は、お仲間たちと色々な場所を取材と選地を兼ねて回っていました。雪が積もった高速道路にスタッドレスタイヤを装備して入ってゆく。
雪景色は良いものですな~。心が洗われるようです。
曹洞宗大本山永平寺にも行ってきました。永平寺の開山道元禅師(1200年-1253年)は、貞応2年(1223年)24歳の時、栄西の弟子明全和尚と共に求法のため入宋し、約五年後の安貞元年(1227年)秋に帰朝しています。

約五年間の宋への留学の時間は、道元禅師が色々なものを勉強しており、もし、永平寺の地を定めたのが、道元禅師だったのならば、道元禅師は明らかに風水を学んでいたのだと感心してしまいます。それは、永平寺を見れば明らかであり、その巒頭構造は風水の理にかなっています。

そして、このような深山深雪の場所でも、耐えられる造り込みを陽宅建築に施しています。水の集まりやすい山間にあって、水を逃す水路が幾重にも作られており、その技法にため息をつかざるをえませんでした。

今まで、色々な寺院に行きましたが、大半がただの観光施設と化して、金運(お賽銭箱)と陰宅(葬式仏教+霊園業)のためのものであり、風水の良い場所でも、金運風水(笑)と陰宅風水(笑)のみが顕れることが多いのに対して、ここには確かに仏教が生きている息遣いを風水と共に感じることができた数少ない素晴らしい場所です。
一つの寺として、組織として秩序や階級があるのは会社も寺も同じですが、教えの中で結びつき、修練の有る正しい生活が営まれる。それは、現代人が見失ってしまった何かがあるのです。
つまり、「何のために生きるのか?」が、迷いの中に埋没しているのではなく、迷いを認めたうえで力強く開拓していこうとする精神。ここには、未だに四法印が根底に息づいているのを感じ、涅槃寂静を目指す僧たちの生活が見て取れる。
〈一切皆苦〉 迷いの生存におけるすべては苦である
〈諸行無常〉 あらゆる現象は変化してやまない
〈諸法無我〉 いかなる存在も不変の本質を有しない
〈涅槃寂静〉 迷妄の消えた悟りの境地は静やかな安らぎである
そして、一見するとただの厳しいだけの環境が、実は道元禅師の目指したユートピアが反映されていて、ここはに素晴らしい風水が施され、山気が溢れている。道元禅師の修行僧たちへの思いやりに溢れているのです。
清代の風水師・葉九升著『山法全書』によると、この様な龍穴は「弓脚」と呼ばれ、その中でも、青龍砂が強く厚く「太陽脚先弓」と呼ばれる龍穴の構造を持つ、象意(意味)は「福が最も濃く現れ、この星(龍穴)は極めて快く発達する。」とされる。*もちろん、判断基準はこれだけではない。
宝治元年(1247年)8月、北条時頼一族の北条重時や波多野義重公の請を断ち難く在俗教化の為に道元禅師は鎌倉へ下向し、約半年間名越の白衣舎に在って説法され、1248年3月に永平寺帰山された。
永平寺に帰山し、心境を説かれた一言がこの場所を物語っているのではないだろうか。
今日山に帰り山気(さんき)喜ぶ、
山を愛するの愛初より甚し 『永平広録』巻三
この寺は、托鉢をし自らの糧を自ら得なければならない厳しい修行僧に福あれと思いやる道元禅師の太陽のような暖かい光に包まれている。それが、本当の風水だよね。
たとえ、この場所を選んだのが道元禅師でなかったとしても、このような実態こそ正しく風水をつかった姿であり、ここには清く正しい風水が禅の教えと共に根付く。
そして、永平寺を開山した道元禅師の太陽のような修行僧を思いやる熱い気持ちに胸を打たれる。