風水とは何か(1)
一、風水と儒教~修身とは何か
現代における世の中の仕組みは、欲望という原動力で動く社会であり、人であり、風水にしても、奇門遁甲(実際、奇門遁甲は風水の一派である奇門派)にしても、「人より良い運になりたい」というのが趣旨の間違った方向で加速しています。
本当の風水や奇門遁甲の使われる用途は、人が死を通過して、亡くなる前に、子孫に栄えてもらい。一族が続いて行ってほしい。「残された一族の幸せを願う」ものでした。そのために、風水は、陰宅から始まりました。風水という言葉の語源も、郭璞の『葬経』と呼ばれる陰宅の書から始まっているのも事実です。
つまり、風水は、「子孫の繁栄と幸せを願う」、ものであり、社会が継続してあり続けること、最終的には、「人間の営みが続いて行くことを祈願」するために、用いられた自然科学だったのです。そして、「人類の存続と繁栄」を願うため、ひいては「地球の存続を願う」ためににあったのです。
この様に考えますと風水とは、儒教そのものである「修身、斉家、治国、平天下」のためにある古代人の政治であり、希望であり、地理学だったということです。
言い方を変えれば、儒学を学べば、風水を学ぶ必要がないとされ、古代では、儒教より軽んじられたのが風水でした。
何故ならば、風水の陰宅にある死を持って陰宅を作り、自身の骨を持って、子孫の幸せを願う死後の「修身」という概念よりも、儒教の生前の「修身」のほうが、高尚とされたからです。
今日では、儒教は廃れ、お手軽に運が良くなるという安易と怠惰な発想から、「欲望する機械を助長する」ために風水が用いられているのが悲しい現実です。
そのため、儒教で言う修身の徒は、術数というものを信じるに足らないものだとし、己を磨く修練こそが全てなのです。
しかし、風水一つとってみても、何が正しくて何が間違っているかを判別できないのが人の常です。例えば、禅では、終身打坐をし「ただ枯れて行くだけ」の禅に警鐘を発したのが、臨済宗中興の祖である白隠禅師や近現代の中国においては、蒋維喬(因是子)などです。禅の中に養生を組み入れ、仙から禅へ新しい進歩をもたらしました。それまでは、間違った姿勢や内観が説かれ、早死にしてしまう禅僧が多かったのですが、日本臨済宗においては、白隠禅師以降、禅病と呼ばれる禅僧の打座による早死にが減りました。
つまり、正しい智恵や知識が説かれなければ、時間をいくらかけても、禅病と当時呼ばれていた病にかかってしまい(現在では精神病と認知されている)早死にしてしまうだけだったのです。
正しいものが正しく説かれ、何事にも進歩は起きるのではないでしょうか。そして、何が正しいかは、白隠禅師や因是子のように伝統文化に住まう内部の人間しか、判別できないのも一つの伝統社会の事実であり、現実なのではないのでしょうか。
崩さず、足さず、引かず、よりあるがままの姿の伝統風水とは、地勢を読み解き、その読み解いたものが、ある目的に沿って、続く運命の連鎖なのではないでしょうか。
それは、欲望の向かうべき目的ではなく、「人類の繁栄」、「地球の存続」のために、用いられてきたのが、本当の伝統風水の「ありのままの姿」であり、そのために、古代の風水師たちは、神聖な土をいじったのでした。そして、そのような行為は「動土」と呼ばれ、土を動かし、地勢をいじることによって、気の流れを変化させ、向かうべき目的は、一家の繁栄、一族の繁栄、国家の繁栄、世界の繁栄、そして、世界が繁栄するために、人類の存続、人類が存続するために、「地球の存続」という祈願に到って、我々の足元にある「地球」のために、土を動かしたのです。それが、「動土」の始まりであり、「方災」を防ぐことから、「地球」のために、用いられたという過程を無視してはならないのです。それは、あたかも、「地球」のために、家庭を無視してはならないのと同じ意味です。
見方を変えれば、死後、棺桶に入り、棺桶が土に入れる時のみ、土を動かす儒教の徒は、その生のあり方が、生きている時こそ「修身」であり、死後に掘るという我が身を土に埋める時のみ、「修身」にしようとする生の意味を無視した、「修身」のあり方を説く、風水思想のみに偏った人々は、古代社会においては、卑しいものとされ、占験を説く人々は、清代に完成した学術の総体制、『四庫全書』の中でも、片隅のおまけの扱いしかされなかったのは、古代社会においては、ものの道理が通った時代だったのではと考えております。
風水とは、儒教そのものである「修身、斉家、治国、平天下」の最初の部分にしか触れようとしないのですから。社会において低俗な扱いを受けたのは言うまでもありません。
(つづく)