- 現代中国医学は、全ての「気」の概念から、「陰」を取り除いた。
- 現代中国医学は、西洋医学との整合性を保つため、「気」を「陽」とし、「物質」である定義した。つまり、「陽」は「物質」であって、「気」なのである。それゆえ、「陰の気(陰気)」は、存在しない。伝統中国医学とは、解釈が逆転しているのである。
- 陰陽の根本からして、理解が異なる現代中医学がいかようにして、古典からの膨大な臨床例と整合性を合わせ、使用することができるというのか? 不可能である。つまり、現代中医学とは、単なる気休めである。
- 現代中国医学のテキストに出てくる「陰の気」は、昔の古典をそのまま現代語訳して、適当に使っているため。その理論上、「陰の気」は、存在しない。
- 結論として、現代中医学は、西洋医学との整合性を保つため、「陽=気」(陽気)のみが、物質であるがゆえに、「陰≠気」とし、陰気は存在してはならないとした。または、唯物論との整合性を保とうとした。
王肯堂(1549-1613)
膨大な古典を紐解き精通する。また、西洋医学の外科手術を当時訪中していたイタリア人イエズス会の司祭マッテーオ・リッチ (1552-1610)から学び、西洋と東洋医学の折衷を試みる。ガリレオ数学、天文学、書、禅にも通じ、明代医学の最大の功労者。
葉天士(1667-1746)
幼少から医学を学び始め、家業を継いで学んだ以外に、ぜんぶで17人の師について学び、彼は時疫・?症・痘症の治療に秀でていました。それまでの医家の説を総合して、衛気営血弁証を弁証綱領とすることを提唱し、温病学の考え方の基礎を作った。内科の雑病を治療する際にも、古典に学びはしたがそれに拘泥することはなく、当時の民間に伝わっていた経験方も積極的に取り入れ、王肯堂の医学を大いに発展させる。
張錫純(1860-1933)
膨大な臨床記録を後世に残す。十分に吟味した少ない薬物で組成された自製の有効な方剤を提示するとともに、多くの症例を付加して理解を容易にした。また、西洋医学と東洋医学の折衷に尽力を尽くす。
張錫純以降、中国医学の発展は止まった。そして、共産党中国医学によって著しい退行を起こす。