最近、頻繁に色々な方々からメールを頂く、無名子、山道ですが、リクエストをレクイエムに変えないように、応えていきたい。
そう、眠らない、眠らなーい。あなたが、起きているフリをしている間は。
一つ一つに確実に応えるには、時間が足りないような量になり始め、トーク型では、完全に対応できないかもしれないため、常にブログでプッシュ型で応えさせていただければ幸いだ。
まず、それらの寄せられる数々の劇場画の中に共通の項目、最大公約数とも呼べるものが幾つか見出せる。
逃れたいけれど、逃れられずに意識にへばりついてくる概念である。
それらを安易な言葉で慰みに変えるつもりはない。
かつて、仙道の修練時代に問われたのは、精神的なストレスの負荷を自分に加え続け、それをエネルギーに換えて爆発させることが修練という険しい道、断崖の絶壁を越える妙技だった。
瞑想世界において、安易なやすらぎや癒しがあるとだけ思い込むのは間違いである。
例えば、南華密教においては、様々な色彩を眼で追いながら、補色を無意識に見ようとする人間の生理的な無意識の機能に膨大な負荷をかけ続ける。
イコンである曼荼羅、仏像の観想を執拗に繰り返すことで、とても処理できなくなるくらいの情報量の負荷を脳にかけるのである。いわば、脳を自分で意図的にハッキングするのだ。
その修練方法は、圧倒的なストレスを加えられ、精神が膨大な負荷、ストレスを巨大なエネルギーに変えて飛翔する瞬間を問う。
何故、自分を破壊するくらいの情報量を脳に送る?
何故、自分をハッキングするのかの答えは、真理の探求者のみが知っている。探求者たちは、知っているのだ。自分が憐れな囚人であると。人間は皆、深い眠りの中を彷徨いながら、起きている振りをする習慣が身についている。
そして、これらのハッキングを通して、牢屋から脱獄を計るのである。マトリックスの世界観のように、ハッキングを通して、本当の自分を救出するのである。それは、抽出と言い換えても良いのかもしれない。
そう、本当の自分を知るために自分をハッキングするのである。
この世のありとあらゆる毒物を喰らい尽くし、何者でもない己を取り戻すのだ。
そのために、探求者たちは、心の旅に出る。
旅に出れずに悩んで、現状の自分にこびりつく己を見出したのならば、まず必要な作業からはじめてもらいたい。それは、修練家と呼ばれる特殊な人々たちだけに該当するのではなく、全ての人々に言えることなのではないだろうか。
修練家に限らずとも、人間は罪の意識を覆い隠し、執拗に自分にアクセスを試みる。それは、まるで断罪するかのようだ。
その煩雑な作業を言葉で説明しようとした試みがある。それは、魂の影絵。
書くことしか許されなかった窮屈な心が作り出した歪。それは、起伏となって、平面から見る平坦な日常からは、窺い知れない世界を構築する。
願わくば、この詩集が、病んで弱った彷徨える魂たちに与える勇気であってほしい!
心をぼくに預けてくれた人たちよ!
そんな人々に応えたい。そして、これが心の旅の始まりとなることを願っている。
皆が明かしてくれた心に、明かりを灯す。そして、また心を取り戻してほしい。今度は、与えられたものではなく、自分で勝ち得たものとして。
この詩集のタイトルは、『断罪』。副題は、「詩と心」である。
この詩集に自他という区別はない。この詩を開く人がこの詩集の主人公なのだ。一人の旅人となり、数々の試練を迎え、自らのこころの旅を魂の影絵を見出してほしい。
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