かつての風水シーンにおいては、羅盤がもっとも重宝しました。現代においては25000分の1地図が国土地理院のウォッちず によって閲覧ができ、地図上から 偏角一覧図 によって偏角値を考慮して正確な坐向を求めることができる。陽宅において坐向を求めるのにまず不自由はない。
しかし問題となるのは陽宅に較べて、ミクロの世界となる陰宅風水をする上では5000分の1以下の精緻な詳細地図がない場合、墓の位置を点として地図上で確認するのが難しいことである。
25000分の1地図ではまず場所を特定するのが困難な山間部などの一点など挙げればきりがないくらいに陰宅風水では精密な地図の作成が必須となる。
それは陽宅に較べ陰宅は規模が小さく、地図が充実した平地部よりも山間部での5000分の1以下の地図はとかく少ない。特種な林業用のものを除き。
陰宅の作業は特に現在位置を地図上で点で確認できるのが望ましいのは言うまでもないだろう。
平地部での霊園や山間部でも大規模な霊園では大抵案内図などで地図は作られているケースが多い。
しかし山間部での古い墳墓や人里離れた場所では詳細な地図がない場合が大半である。
そこで、山の中から点で陰宅の位置を拾いたいと望んでもかつての古の風水師たちは自分たちで地図を作図して、そのスケッチを陰宅(お墓)の位置として遺すことに務めていたのは古典に記されたとおりである。まあ言わばラフスケッチのようなものだが。
上図は沈新周著『地學探原』より。
徐之鏌の『羅經頂門針』に見られるように明代(~1644年)の頃の三合派の理気だけ見るならば、正針/縫針百二十分金など一つの方位区分が3度など厳しい測量の要求が既に現れている。
しかし清代に入って三元派が台頭してくると外盤/内盤六十四卦をメインに据え、384爻という一つの方位区分が1度以下の更に厳密な方位区分への要求が生まれてきた。
最早、羅盤を基準とする正確な測量が要求されてきた時代に突入していたのは間違いないだろう。
ちなみに明代の『羅經頂門針』には既に三十三層の羅盤の層が記されている。風水の理気、とりわけ三合派の理気は明代には既に出揃っている。
左図は徐之鏌・林先知の『精校羅經頂門針』より。
このように明代以降、清代にかけて発展を続けてきた方位磁石による方位区分は現実的には使用不可能であると思われる層をも含みながら、風水の理気という時間と方位の縁起観は羅盤の層と共に拡張を続けた。
次回は「陰宅実務2」~現代編を乞うご期待。
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