『水滸伝』は、中国の明代に書かれた小説で、四大奇書の一つ。施耐庵あるいは羅貫中がそれまで講談として行われてきた北宋の徽宗期に起こった反乱を題材とする物語を集大成して創作されたとされる。「滸」は「ほとり」の意味で「水滸伝」は「水のほとりの物語」という意味である。
北宋時代末期に、汚職官吏たちがはびこる世相のため世の中からはじき出された英雄好漢たちが梁山泊と呼ばれる自然の要塞に集まって無法者の集団を形成し、やがて悪徳官吏を打倒し国を救う事を目指すという物語である。
この『水滸伝』を語る上で、最も重要な人物は、金聖嘆(1607/08年~1661年)である。金聖嘆は百回本のうち物語が面白い部分は梁山泊に百八人が集う第七十一回までであると判断し、第七十二回以降を切り捨てた上で、第七十一回後半を書き改めて最終回とし、かつ回数を整えるため本来の第一回を前置きとし、第二回以下の回目をそれぞれ一回ずつ繰り上げた七十回本を作り出版した。
金聖嘆(1607/08年~1661年) 明末清初の文芸評論家。原名は采、字は若采、のち人瑞(じんずい)と改名、聖嘆は号。奇矯な言動を伝えるさまざまな逸語の持主で,その最後も県知事追放運動参加の廉による刑死という劇的なものであった。
金聖嘆は李卓吾による『水滸伝』『西廂記』称揚のあとを承け、両書を経書にも比し、『離騒』や『史記』とともに六才子書の一とした。彼を最も有名にしているのは『水滸伝』の改作・批評である。すなわち当時通行の百回本をもとに,朝廷に降ってからの話が主となる後半3分の1を切り捨てて七十回とし、本文を部分的に改めたうえ、これを施耐庵の原作だとした。
六才子書とは、『莊子』『離騷』『史記』『杜詩』『水滸傳』『西廂記』である。
金聖嘆はさらに自らの批評を加えて出版したのである。以後、この本が他を圧倒して流行する。彼の批評は気のきいた鋭いもので、その対象は一書全体から一節一句にまで及んでいる。また純然たる虚構の承認といった点は近代的批評に先駆すると評価される。ただし、正統的立場からは強い反発をかい、彼の文芸論は継承・発展されることなく終わった。
金聖嘆の処刑直前、酒を所望した彼は、「斬首は痛事、飲酒は快事、痛快痛快!」と言っい笑っていた。息子が別れに来ても、対聯をやろうと誘い、息子が泣いて対句が出せないと代わりに対句を詠み、しかも内容は息子を気遣う内容だった。
斬首執行時、首切り役人に家族宛の手紙を渡したが、金聖嘆を反政府分子と危険視する役人たちは、処刑後に反政府的な言辞があるかと手紙を調べると、「塩菜と大豆をいっしょに噛むと胡桃の味がする。それさえ伝えれば、心残りはない」と書いてあった。
ここに、決して己の信念を曲げない、決して後悔などしない、漢(オトコ)の生き様がある。
県知事追放運動参加の廉で腰斬刑に処されている金聖嘆の不正に立ち向かう生き方そのものが、『水滸伝』そのものであったと感じている。汚職官吏たちがはびこる世相のため腐った世の中を変えるために転生してきた百八人の物語は、神話意識に満たされている。金聖嘆の仕組んだものは、歴史劇の虚構芸術と評されるが、果たして、金聖嘆が仕組んだ水滸伝の正体とは。
それを探るには、分析心理学によって水滸伝を分析し得られる「神話意識」を読み解くことに他ならない。この星の物語は、金聖嘆の遺志を起点とすることは言うまでもない。
集まった星たちは、この腐った世の中を変える!
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