「六十甲子を六十四卦に排する」ことが、「玄空大卦擇日法」の要となっている。
ここで、その原理派生までのロジックを歴史から振り返ってみたい。
まず、清代には、蒋大鴻(1616年‐1714年)が著した『地理辨正』の解釈を巡って「玄空六大派」と呼ばれる「玄空」(時間と空間)に係わる三元派の流派が六系統に分かれた。
一. 無常派/章仲山 『地理辨正直解』『挨星秘訣』『心眼指要』
二. 滇南派/範宜賓 『幹坤法竅』(1758年著)
三. 蘇州派/朱蓴 『地理辨正補』
四. 上虞派/徐迪惠(號鹿苑、浙江上虞人)
1825年 端木國瑚著 『楊曾地理原文』
端木國瑚著 『地理元文』『周易葬經』
張心言著 『地理辨正疏』
五. 湘楚派/尹一勺
1806年 尹一勺著『四秘全書』
1814年 蔣國著『地理正宗』
鄧恭著 『地理知本金鎖秘』『地理黃金屋』
六. 廣東派/蔡岷山1851年卒
蔡岷山著 『地理辨正求真』
蔡書雲(麟士)著『巒頭心法圖訣』
その中でも、上虞派の張心言『地理辨正疏』(1872年著)より、玄空大卦擇日の要となる「六十甲子を六十四卦に排する」方法が提唱された。しかし、ここでは「六十甲子を六十四卦に排する」具体的な作盤は何も明言されず、言葉の表現において謎めいており、理解されない内容であることが問題視されている。
しかし一つの構想があったと捉えることができる。それは、張心言著の『地理辨正疏』に、「先天方図六十四卦内盤(地盤)が、先天円図六十四卦外盤(天盤)と化す」ことを提案し、そのアイディアが後の曾子南(1907‐2006)に受け継がれたことから伺える。
また、玄空大卦の使用法の根拠が邵康節(北宋年間の人)の円図に端を発すると主張するものもいる。
そもそも、五行を卦に配する方法「五行配卦」は、西漢時代の京房からはじまる。京房(BC77‐BC37)は当然、楊筠松(844‐900年)や邵康節(1011-1077年)以前の人である。その後、京房の「納甲」説は三合家に広く採用された。
とかく理論は、歴史的に有名な人の名前に結び付けられやすいがそれが本当に整合性があるものか研究と理解が問われる。張心言の著作のようにお茶を濁すだけでは済まされない。それは後世の人々が許さないのだろう。
後の三元派の一翼である「飛星派」の代表格である章仲山一派と 「卦理派」を代表する張心言一派が、当時激しい論争をしていたのに同じである。
参考: 章仲山と張心言の二派争論
これ読んでいると、この二つの流派は「コイツラ子供カ!」というくらい笑える罵りあいが当時展開されていたのが伺える。「下卦と替卦の飛星なんてねえ!偽造!」とか、「イカサマ、先天六十四卦の分金法!」とか、実にあさましくも罵りあり、いつの時代も人間は変わらんなと思う。(笑)
「先天を体、後天を用とする」や、「替卦(替星)」、「反吟・伏吟」の扱い方など、後の沈氏玄空の創設者である沈竹礽(1848‐1906年)にとっても、もちろん「飛星派」と「卦理派」の三元派の正統を主張してやまない論争への興味は尽きなかったようで、その論点についての自己の見解も多数述べている。
そして、蒋大鴻の『地理辨正』の解釈から派生した各家の解釈を主張に変えてやまない「玄空六大派」が一つ、上虞派の系列にある張心言に到っての卦理派の構想は、曾子南(1907‐2006年)によって継承され、『三元奇門遁甲講義』や『三元地理擇日講義』において始めて発表されたのが「玄空大卦擇日法」となっている。
『三元陽宅氣數旺衰吉凶禍福講義』曾子南著
その後、弟子の殷儒童によって『堪輿玄空大卦奧義集解』などによって、その擇日法の詳細は明らかにされている。張心言著の『地理辨正疏』によって提案された、「先天方図六十四卦内盤(地盤)が、先天円図六十四卦外盤(天盤)と化す」方法論が採用されたのも張心言から曾子南の一派の系統に他ならない。また、曾子南は張心言からの系列であることを自称している。
上図は曾子南著の『三元地理擇日講義』に顕著なオリジナルの図解である(実に多くの人がこういった図盤を自らの流派のものだと主張してパクッている)。
さて、ここで述べたいのは「玄空大卦擇日法」と呼ばれる、玄空大卦の風水における技法ではなく擇日としての用法は全て、曾子南から始まっているということである。
その論拠として、張心言があまりにも曖昧に意味ありげに述べたことは、全て曾子南において体系化されたのである。というのも、「玄空大卦擇日法」の要となるのが、時間の循環を表す干支暦の六十甲子を六十四卦に配することで、六十四卦の方位(空間)が六十甲子(時間)によって変換が可能になったのであるが、この論は全て曾子南によって確立された。
上図は曾子南著の『三元地理擇日講義』より。
問題となるのは、現代でも清代の「玄空六大派」を自称する人たちが数多くいて、そして「玄空大卦擇日法」を曾子南に帰すのではなく、自らの流派に伝わってきたと吹聴する傾向性が強いことである。しかしながら、歴史から断ずるに、この擇日の核心である「六十甲子を六十四卦に排する」方法を明確に古典から示さない限り、それらの流派に伝わったとされる玄空大卦「擇日法」は曾子南からのパクリ以外何者でもないということを認めているに過ぎない。
ちなみに、曾子南がはじめて「玄空大卦擇日法」の体系を作り上げて公開したのが民国74年(1985年)前後なので、実に30年ほどしか時間を経ていない、歴史の積み重ねに欠く、まだまだ未知の分野の擇日法です。実例を集め検証する必要こそが問われ、慎重に精査する必要が有り、鵜呑みにしてはとても危険な擇日法であります。
近年の「玄空大卦擇日法」における香港・台湾のシーンを見る限りでは、「三合通書擇日」の理論を取り入れ、独自の三元・三合ハイブリッドの擇日法になりつつあります。
例えば、これって(左)、秘訣というより、ただ単に通書擇日における叢辰法(神殺)じゃないの!?という具合に各派、各自がそれぞれ独自のものを主張してきてやまない。短い時間の歴史の中からも、伝統を踏襲することなく実に多岐に、そして多様な広がりをみせている。
上図は李哲明著の『玄空擇日詳解』(2004年刊行)
まあ、ある意味清代の六大派もこれに同じだったのだろうね。
まとめとして、私的見解を申し上げれば、玄空大卦の風水としての技法は、「玄空大卦擇日法」よりも、歴史もあり実例も残されており、私自身、実践の中で試行錯誤し確かな手応えを感じているが、「玄空大卦擇日法」に関しては・・・。精査する必要が有りますね。
しかし確かに曾子南の遺した「玄空大卦擇日法」による実例を看る限りでは興味深い内容も多い。
<参考資料>
恐るべきは中国! 何でもネットに置いてある時代なんですね。(笑)
こういうのって知的所有権の問題で、どうかなと思いますが。
あいにく、上記の本の著者たちは全員鬼籍に入っていますし、妙に高額な値段がついていて、お金が無くて、こういった高額な本を買えない学生達にとっては、ありがたい時代になったと考えることもできるのではと考えてしまいます。
まあ無断(出典の引用無し)で、これらの本からイラストをパクッて出版する人たちよりは、これらの中国サイトのほうが引用がある分ましかな。
にほんブログ村ランキング