『ある戦地にて』
人は誰でも、「実現されなかった現実」といわれる過去を持っています。
その厳しい状況下に置いてきた自分が今でも、もがき苦しんでいるのです。
そう、まるで戦場に置き忘れてきた仲間が、まだそこにいるのです。
そんな、戦地で戦う自分を見殺しにしてはいけません。
「実現されなかった現実」、過去に置き去りにされた自分が未だに何かと誰かと戦っている。
そんな、自分を見出したら、そんな自分を慈しんでも、良いんじゃないかな?
そんな置き去りにされた自分を悲しんでも良いんじゃないかな?
その戦場は、人との関わり合いで生まれてきたもの。
完璧な人間などいません。
しかし、人は常に完璧を求めて、人や自分を許せなくなり、我々は戦地に投入されるのです。
戦地で配給された武器は、「自分に固執すること」、「自分を正しいと偽る」ことでした。
やがて、その戦地は自分の人生の逃げ場となるのです。
人との関わりが作った悲しい戦場、そこで未だ戦っている哀れむべき自分。
それは、人に求めた完全さという「自分の不完全」。
傷ついたのは、「あなただけだったのですか?」。
関わった人も傷つくのが戦場のルール。
あなたを傷つけた兵士も傷つき、苦しんでいるのです。
その時、初めて、理解される「人を許す」ということ。
そう、人は完全ではないのだから、完全ではないものに完全を求めて許せなくなっている混乱した自分を救わなくてはならないのです。
それは、未だ戦地に置き去りにされ、戦っている自分に慈悲を持って、許す瞬間。
その時、あなたはあの人を許すのでしょう。
それは、あの荒廃した心の戦場で戦い続ける自分を許すことからはじまるのです。
あの戦地から傷ついた自分に肩を貸し、「ほら、でもまた歩き出さなくちゃ」と語りかける自分。
それが、慈悲なのです。
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