2008年10月 4日 (土)
デザイナーになるぞⅠ
先日、お知り合いになったデザイナーのUさんは、数々の有名な賞を受賞したことのある敏腕デザイナーさんで、「風水もデザインも同じでしょう。」と言っていた。
その通りだと思う。実際に、巒頭を見るために自然に分け入り、感じられる閃きがカタチとして投影された格局の姿などを見ても、それは、まさしくデザインそのものでもあるのだ。
生活により密着したものがデザインであり、Uさんのおっしゃるように「デザインは人の心を豊かにする。」という発想は、まさしく風水のそれと同じだ。
ただ、人に風水師として紹介されると顔を赤らめるオレ。(TmT)ウゥゥ・・・未だ、風水は生活に対する密着度が低いため、「風水師」への世間体は、散々な有様だ。( ・ิω・ิ)
そこで、ぼくは風水師と呼ばれるよりは、デザイナーと、呼ばれても良いかなと考えてみた(*´ェ`*)ポッ。今回は、そんな感じのテーマソングな内容。
唐突と閃くデザインたちは、風水を表現するのと同じく取り止めがない。
占術家である阿藤大昇さんは、そんなぼくのデザイン・センスを信じてくれる数少ない知己だ。それが、例え、映画『シックス・センス』の世界だったとしても。(;´д`)ノ
阿藤さんに名刺のデザインを依頼されたFive Arts担当者のOGさんは、阿藤さんからのリクエストを体よく反映した提出していた。
しかし、その時ぼくは何か違和感を感じていた。
ダニエル:「この名刺の中に本当の阿藤さんはいない。」
今では、企業の社長さんでも、名刺の中に自社の商品写真を入れたりする時代だ。そう、名刺という限られた黄金比で作られた紙の世界で、自分を最大限にアピールしなくてはならないのに、そこに阿藤さんはいないのだ。
*写真は、阿藤さん
この日、自分がデザイナーであることを痛感した。つまり、表現することを止められないのだ。阿藤さんからのリクエストを一通り聞くと、自分の湧き上がるイメージがクリエイトされる。
百人斬りのサムライ阿藤大昇は語る。
阿藤大昇:「百人斬りは、私をもっともよく説明する言葉であり、肩書きです。」
ダニエル:「それでは、この五術占術家という肩書きをやめて、
百人斬りだけにしましょう。そして、言葉では現れない
百人斬りを描かなくてはいけませんね、」
そう、このブログを初めて読む人は百人斬りを当然知らないし、この名刺を初めてもらう人も同じく知る由がない。そこに文字だけ書くのでは、人に伝わらないのだ。
阿藤大昇:「そして、斬られた人からは、虹が出るのです。
それが、虹の身体JALYUです。」
この世のありとあらゆる不浄な概念を斬り尽くすのが、百人斬りの趣旨だった。そして、ありとあらゆる不浄なものを越えることに意味があるという。ここに、阿藤大昇の思想の真髄がある。
阿藤大昇:「ありとあらゆる限界概念を突破するのです!」
そう、「限界概念の突破」こそが、既存の体裁の良いデザインの壁を越えた遥か地平線の彼方にある世界であった。
ぼくのデザインのテーマは、まさしく、
ダニエル:「この世のありとあらゆる不浄なものを超えた世界。
限界概念を超えた世界を描きたい!」
あらゆる汚物、あらゆる不浄、呪われた忌々しさ。そして、全ては人間が作り出した概念たち。この日、ぼくと阿藤さんは、概念たちを越えたところに架かる虹を見つめていた。それは、一度全てを受け入れることから始まるのだ。
これは、まだ未完成で制作の途中だが、ありとあらゆる概念に反抗した作品になることは間違いがない。それは、「忌まわしい・不浄・呪われている・怖い・猟奇的」、全ての負の概念(不浄)を受け入れて、全ての概念を乗り越える(斬る)思索である。一般的に悪いとされる概念を受け入れることで、逆にそれらの概念を突破したところの境地が見たい。それが、百人斬りなのだから。
当然のことながら、これでは、まだまだツメが甘い。
この名刺が漢(オトコ)阿藤大昇の真髄「限界概念を越える」ためには、まだまだ、追求すべきことがある。「百人斬り」の字の部分は、犯行声明のように新聞から切り出した文字が良いだろう。
全ては、漢(オトコ)阿藤大昇を一枚の名刺で表現するために。
この日、きっと、ぼくと阿藤さんの頭には、LUNA SEA のSHINE(輝き)のフレーズが流れていた。
「何を信じているかなんて そんなこと問題じゃない
しらけているこの街を スピードで振り切って
今 キミが感じている その想いだけに賭けて
彩やかなイメージ通り そう君の想い通りに」
LUNA SEA / SHINE
皆が、何を信じている(概念を持っている)か、そんなことは問題ではない。この街(概念)をスピードで振り切ったデザインが仕上がりそうだ。阿藤さんが、ぼくのこの想いに賭けて、彩やかなイメージ通り。そう僕の想い通りに。!百人斬りな~り。( `皿´)。/
阿藤さんは、いつも笑顔で言う。
阿藤大昇:「ほら、見てください。両手が輝いているでしょ?」
そう、この笑顔の輝きこそ、全てなんだ。少なくとも、ぼくと阿藤さんは、このデザインを通じて楽しんでいる(輝いている)。
「君は生きる意味探すけれど 輝いてからでも遅くない」
LUNA SEA / SHINE
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トラックバック送信日 2008/10/04 10:06:28
コメント
デザイナーのダニエルさま
左手に刀なのは、何かの意味があるのでしょうか?
イスカンダル |
[URL] | 2008/10/04 21:38:30
イスカンダルさ~ん
今日は、行けなくなってしまい申し訳ございません。(*_ _)人ゴメンナサイ
また、次回のブッキングありがとうございます。\( ・_・)
楽しみです。ちなみに、阿藤さんはセルカンさんと船井メディア時代に会ったことがあるとのことです。
さて、左手に刀のご質問ですが、日本では古来から、右手を左手で握り、目上に挨拶をする習慣があり、それは、今でも武道、サービス業に受け継がれています。
その意味は、右手というのは、利き腕であり、攻撃を意味し、右手を隠すということは、相手に対して、攻撃する意図はないという意味です。
つまり、剣を鞘に収めた状態ということですね。
この力士が左手で刀を振るうのは、攻撃して殺す意図はないという意味にも取れるのではないでしょうか。つまり、縛める意味での左手の刀と解してみては、いかがでしょうか。
追伸
実際のところ、意図ははっきりわからないですが。(゚o゚;)
ダニエル |
[URL] | 2008/10/05 0:51:59
ダニエルさま
くわしく書いていただきありがとうございました。
この時間まで飲んでいたのに、全然文章からアルコールのにおいがしません。
ぼくがダニエルさんだったら、『明日にしよ』と思って今頃グーグー寝ていると思います。(;^^A
ぱっと見どうしても違和感があったのです。なぜ左なんだろうと・・・。
子供には見せられないほどショッキングな絵なのに、その部分だけ違って見えました。
右手ならザックリいけるところが、あまり力の入らない左手で(オーリングしてますがそれも特定の個人にあてたメッセージなのかと^^)
冥獣のような姿をしているが、中身本質はすばらしい人間だというのを見抜いていて、司るのは右脳なのになぜ冷静な計算をしているのかと。見れば見るほどモヤモヤしてしまい・・・
ほぼ予想に近い内容のお返事がいただけてうれしい気分です。
ただ、追伸を鵜呑みにすると無意識にダニエルさんがチョイスしているようなので、やっぱりダニエルさんは凄い方です!
これで、おかげさまでぐっすり眠れます。
ありがとうございます。
イスカンダル |
[URL] | 2008/10/05 1:34:32
イスカンダルさ~ん
た、確かに、この名刺、18禁かもしれません。(๑→‿ฺ←๑)
いや~、結構飲んだんですけれど、アルコールを体外に排出する術に長けている今日この頃です。
( ゜ 3゜)
いずれは、子供達に夢を見せるものを作りたいダニエルです。
今は、ご存知だと思いますが、「切り開く」開拓時代です。
一人一人が立ち上がり、この「腐った時代」を切り開かなくてはいけないと痛感し始めている日々です。周りにいる一人一人の士気は高いです。
そして、来るべき開墾時代には、皆に率先垂範できるぼくの名刺を自分で作りたいですね。
相手の手の平に指で、「山道帰一・裸の王様」と書いてあげるだけでも良いことかもしれません。(→ܫ←)
それだけに名刺も「裸の王様」で実際には必要がないのです。(笑)
あの名刺にある化け物とそれを退治しようとする力士、それは善と悪の葛藤。そして、どちらに寄ることなく保たれる平衡。偏ることが危険であるという象徴。
その絵は、一つの魂の劇ですね。
古代ローマの時代には丘の斜面から独立建築物として街中に進出し、コロシアムの様な巨大な円形劇場が建設されましたが、このコロシアムで行なわれた奴隷の剣闘士たちの殺し合いに見られる「生と死」は、古代のソフィスト(哲学者)たちは、そこに魂の影絵を見出しました。
ちなみに、フィロソフィアとはフィロス「愛する」とソフィア「知恵」の合成語で「知を愛すること」を意味します。
ソクラテスは人間にとってもっとも大切なことについての「知」の探求であり、「無知」と「思いこみ(ドクサ)」に対する戦いであると考えました。
そして、「限界概念」の突破とは、古代ギリシアで、知を目指す人々(ソフィスト)が出会った「思いこみ(ドクサ)に対する戦い」と同じ意味です。
「限界概念」の突破とは、ソクラテスの哲学そのものでもあるわけです。哲学の世界では、行き詰ったら、常にソクラテスにもどれという格言がありますが、今まさに、「ドクサ(思い込み)」を捨てるための作業、無知を自覚すること「汝自身を知れ」という言葉が問われている時代のように感じます。
この名刺を見たりした人の中には、「ドクサ(思い込み)」から発展し、自分の正義感で、何を勘違いしたか、「間違っている」という考えを持つ人間もいましたが、そういう人間は、全く哲学ができないんですね。
原因は、「ドクサ(思い込み)」を捨てるための作業、自身の偽善に満たされただけの自分の正義という名前の、「ドクサ(思い込み)」と向かい合い戦うことができないからです。
まさに、ここにこの力士と化け物の戦いの葛藤があるのです。つまり、この絵こそは、思い込みという概念と正しい知を求めて戦う人間の魂の葛藤の影絵の構図があるのです。そして、それこそは阿藤さんが求めた「限界概念」を突破するということをうたい文句にした名刺の構図化された姿なのです。
つまり、無知を自覚すること「汝自身を知れ」が、できないと人間性の発達は未発達となります。
学生時代から続けた「無知の知」を日々よく想い、反芻を繰り返すダニエルです。
そして、最後は(σ・∀・)σ「裸の王様」で終わるという、今日の落としどころです。というか、最近、いつもの落としどころが、裸の王様のような気が・・・。(。◕ฺˇε ˇ◕ฺ。)
ダニエル |
[URL] | 2008/10/05 4:01:23