人は長い記憶の回廊を歩んでいる。
夜、廊下の端のクラスに入り、席に着き、ふと、横に坐っている子を見つけた。ぼんやりと思い出す、今は消えかけた悲しい思い出。
次々に演出される幻影。苦悶の時間、瞑想と幻像、幻影を捨て去った京都に戻り、捨て去った幻影と京都でまた邂逅する。
並べられたタバコだけが、次々と倒されて、打ち倒されては演出される劇に人生を見出す。
壊れた幻影の欠片と共に、長い夜は深けてゆく。
第十四代との出会い。
そこから、幻影は演出され続けたのかもしれない。
それは、張明澄先生の演出したものだったのか、ぼくが受け取ったメッセージだったのか?
そんなことは、どうでも良い。
ぼくは、また過去の記憶の回廊に迷い込む。
幻影だとわかっていながら、立ち寄った幻影に、今は思い出すこともなくなった時間にゆったりと揺られる。
「こんな現実がどこかにあったのかもしれない。」
「もう少しだけ、もう少しだけ、この回廊のなかにとどまっても良いかな?」
時を越え、壊れてしまった翼。
時と共に生まれた歪の付けを払い、ぼくらは満面の月と一体になる。
ひとときの記憶の配分は、会合となり、脳のなかに投影されるスクリーンに宿った影達が躍る。
もう一人の自分、もう一つの人生、分裂し、生成される人間の存在は、いつだって、記憶の回廊と共に繋がっている。
嬉々として、明るく振舞うぼくをよそに、今のぼく、山道帰一を確認するかのように、掛川師兄は妙に優しい顔と声で、ぼくがここにいるかを確認する。
師兄、ここにいますよ。保険のない人生を歩むぼくがね。
ぼくにとって、保険とは記憶と別の世界を繋ぐ回路。
そう、ぼくはここを去ったら、もう二度と帰ってこないから、保険など要らないのだ。
今だけは、頭の中を流れているラジオの音を聞く。
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