現代でも、「符咒」と呼ばれるお札を書くことを専門とする集団(流派)がある。ちなみに、道教と仙道の符咒はかなり異なる。ここでは、現代台湾道教における符咒流派とされる「茅山派」について考察を進めたい。
それは、茅山派といわれる道術流派が歴史上において、どの様に派生し、どの様に現代の茅山派と繋がるかを見つめることが肝要に思われる。というのも、歴史上の茅山派は、現代に根付く、おどろおどろしい印象とは、かなり異なるからだ。
茅山は、地名であり、漢代に三茅真君(茅盈・茅固・茅衷)が仙道を修行したことで有名な場所であった。陶弘景(456~536年)が弟子を率いて、茅山で七年の年月をかけて堤防を修理し田畑を開墾して茅山を切り開き、道館を建設して上清派の道教教団を設立したことから茅山上清派がはじまる。
これによって茅山宗は上清派の中心になり、南北朝から隋・唐に至るまで、茅山派からは有力な人士が出て、道教史に大きな影響を与えた。茅山上清派は基本的には知識人によって組織された道教教団であり、経籙派道教の中で最も優れたものと評されたこともある。詩を作ったり書道に励み、文才があった有名な道士を数多く輩出したのだ。
また、とりわけ、陶弘景は道教史上有名で、博学多才で、詩詞文章・棋琴書画・養生医薬・金丹冶煉・卜筮占候などで精通していないものは一つもないとされる博覧強記である。陶弘景の著した道教養生学の『養生延命録』はの養神・煉形・行気・房中術など多くの方法を総括している。陶弘景は、自然科学にも造詣が深く、硝石(KNO3)の炎による鑑別方法を提案している。
さて、現代における茅山派はというと、かなり大変なことになっちゃっている。それは、華僑が、「茅山派がお前を呪っているぞ!」と、脅しでも受けようものなら、条件反射で「スミマセン」と言って、お金を出してしまうと、冗談で言われるほどである(笑)。
故・張明澄先生曰く、
「茅山派ね。台湾の基隆とか新竹とかで、いまだに符咒で商売をしている。依頼があるとね、自転車に道壇の道具をたくさん積んで、自転車をキコキコこぎながら、何人かで、依頼者の家に行って符咒をしている(笑)。」
と、おっしゃっていた。その後、小生も台湾で実態調査をするために、潜入捜査をしたことがある。茅山派が直隠(ひたかく)しにする秘伝書を食い詰めた伝人から全部ゲットした。それらを手に入れたが、その後、トンデモナイことに・・・。その話は長くなるので、また今度、機会があったときにでも。結構、場数踏んでるぞオイラ。(。◕ฺˇε ˇ◕ฺ。)
台湾の本屋とかに行けば、「茅山派」、「閭山派」と銘打った符咒の本は溢れかえっているが、さすがに、秘伝書は売られていないし、書かれている術法自体、表のものとは、まったく異なる。書体から、印の押し方、描かれる図像を見れば、どういった用途かすぐにわからなければ、符咒を学んだと言えないだろう。
そのため、茅山道術の裏の裏まで精通したので(まだ、あるかもしれないけど)、とりあえず、茅山派に脅されても、脅し返すことができる。術士は、見識を広め、多くのものに精通し、学者とならなければならない。そうしなければ、「目に見えないもの」を防ぎきれない。
「戦いを回避しようとすることは、敵を利するだけである」 マキャヴェリ
人生には、目に見えない「戦い」が溢れている。それは、「戦い」という言葉を忌み嫌う人々の心の中にも、普通に暮らしている人々の心の中にも。alanちゃんの歌『心・戦』のごときものである。ねぇ、イスカンダルさん?(・´з`・)
目に見える戦いですらこの有様なのだから、目に見えない戦いならばなおさら、注意深く用心をし、敵の手の内を知り尽くさなければならないというのが、ぼくの持論だ。そのため、当然のように、茅山道術も窮める必要性があったのは、言うまでもないだろう。
思えば、色々なものを学んできた・・・人類の知的遺産や口承文化を貪欲に自分にインストールして行った。都内に家一軒買える以上の大枚をはたいたが、いつの間にか「千の功法をもつ漢(オトコ)」に変身できた。ちょっと、誇張!? 自称だからイイジャン。(;◔ิд◔ิ) !!!。
家一軒もっているより、「千の功法をもつ漢」こそ、なりたいオレの美学だね!ヽ(`△´)/
さて、話が見事に逸れたが、今日の大喜利のテーマは、「茅山道術」と「目に見えないもの」ということで、台湾で起きた事件を実例にお話を進めたい。(。◕ฺˇε ˇ◕ฺ。)
「符咒」と呼ばれるものも、台湾では既に迷信となりつつあるこの現代で起きた事件である。
2006年12月27日台湾雲林縣報導局からの記事を翻訳したい。記者は魯永明である。
雲林科学技術大学法学部教授の呉進安は先月の末に研究室で1通の封筒を発見した。その封筒の中には茅山道術で用いられる5枚の異なった色の符咒が入っていた。身の毛のよだった呉進安教授は、警察に届け、恐喝容疑で告訴した。
何らかの脅迫めいた呪いを受けていると呉進安教授の危惧したとおり、妻は、風邪をこじらせて重病になり、同大学の同僚は、次々と病気や交通事故という災難に巻き込まれていった。
尋常ならざる事態に、呉進安教授は、大学構内のビデオカメラを調査し、11月29日午後十時過ぎに、誰がこの封筒を持ってきたかを割り出した。
大学の教員しか持っていないカードで、表門の認証セキュリティーをクリアーし、あわただしく、封筒を置いてゆく、女性の姿を監視カメラによって録画された映像から割り出した。この事件を受けて、雲林縣道教会の副理事長である鄭傳錦は、「茅山道術を用いて、呪いをかけるケースは多くはない。呪われる人間は、心がけが悪いのだろう。呪いの効果として、集中力が散漫になり、意識が昏迷とし、不眠症などだけではなく、対象となった人間の周りの人々をも傷つける。わら人形を身代わりに使うか、念仏を唱えて、防ぐと良い。」
呉進安教授は、「どうして呪われなくちゃいけないの?ぜんぜん、理由がわからない。」と言う。ちなみに、差出人不明の呪符が入った封筒には、きっちりと彼の名前が書いてあった。
五枚の符は、
緑色の符「東方陰公、陰兵、陰將」 (東方におわします陰公、陰兵、陰将に奉る)
黄色の符「鬼令五官冤魂纏身」 (鬼[幽霊]に命ずる五官の冤罪で死んだ人の魂を身辺につきまとわせ)
黒色の符「魂喪魄散」 (魂が魄を失って散りますよう)
紅色の符「五鬼纏身」 (五鬼よ身辺につきまとえ)
と、書かれており、白色の符には何も書かれていなかった。呉進安教授は、民族宗教学者にこれらの五枚の符を見せたところ、宗教学者には、「茅山道術で、間違いないッス。」と言われた。
呉進安教授は、学部主任の張国華と校長の林聡明に報告したが、張国華校長は呉進安教授に1冊の佛教の経典を手渡して、「念仏を唱えるように。」と、アドバイスして、呉進安教授を慰め、引き続き、犯人が誰かを突き止めるよう調査の継続を指示した。
本一冊貰って、気休めにされたんじゃ、癒されんぞ~!ヽ(`△´)/
学校長のヤツ、呉進安教授を病人でも扱うように処理しおってからに~!ヽ(`△´)/
被害者がたくさん出てるだろう~が!ヽ(`△´)/
異常犯罪者(クリミナル・マインド)を人間とみなし、その人間の観点から捜査を進めるクリミナル・マインドでもおなじみの精神力学。
ダニエルのFBIプロファイラーバージョンで、プロファイリングします。
この事件は、アマチュアじゃなくてプロの仕業だ。
まず、書体に迷いが無く、空恐ろしい内容を平然と書いている。字形が綺麗に呼吸の吐くリズムで、字体が流れている。そう、符咒独特の「長呼短吸」の呼吸法が読み取れるのである。しかも書体が2書体は入っている。明らかに、紅色符と黄色符の書体は別人によるもので、犯人は二人以上。
一日大量の枚数を書かない、もしくは、書くなら分業すると言うのは、背景に明らかに、プロのグループがある。そして、台湾茅山派はグループで動くのが特徴でもある。また、このように四色(正確には五色)の符を使うのは、茅山派の特徴である。
特筆すべきは、民間に根付く、信仰対象である図像が描かれていないため、明らかに、民間のレベルではなく、目に見えない質を重視するプロの仕業である。下に押印された印で、書いた人間の守護尊や道統を細かく割り出すことができる。符咒術にとって、印はインターネットのIPからプロバイダーや個人情報が判明するのと同じ、IPの如きものである。また、必要な情報しか盛り込まないのは、自信のあるプロの為せる業。相当、殺(や)り慣れているのだろう。つまり、法で縛れないにしても、連続殺人犯である。
これにより、この符咒を施した犯人は二人以上であり、組織は茅山派の人間、もしくは、茅山道術に通じているプロの犯行である。術式は、「殺人」の域まで及んでいる内容。ただし、これほどの殺意をもって臨んでいるのにも係わらず、茅山道術の秘法であるもっと殺傷力のある符咒式が施されていない。
茅山道術の秘術に属する符が使われていないことから、術を施した人間たちは、この流派の伝人クラスと直系と言うわけではなく、傍系ということになる。つまり、末端であるが、経験を持っているプロということになるのだろう。
ビデオカメラに映っていたのは、間違いなく、術者ではなく、クライアントで、大学のセキュリティカードを持っているため、内部の人間の犯行と考えるか、セキュリティカードの紛失を調査すべきである。
また、封筒に名指しで、呉進安教授の名前が入っているので、呉進安教授の身辺調査と人間関係を徹底的に洗えば、犯人像に行き着く。同時に、呉進安教授の研究や法学部なので、係わった司法事件や監察などの事件の背後も洗うべきである。
また、インタビューを受けた雲林縣道教会の副理事長である鄭傳錦は、茅山派を擁護している発言が随所に見られるのに加え、同県の責任ある立場の人間なので、犯人との接点を持っている可能性がある。いずれにせよ、同県の茅山派関係の人間に事情聴取をするべきである。
と言った具合に、捜査を絞ることができるのである。やるな~、ダニエル。でも、オレが犯人じゃないぞ。( ゜ 3゜)
ちなみに、その後、この事件がどうなったか知らないし、呉進安教授が健在であるか、定かではない。
「茅山道術」が近代で用いられ、最も迷信と程遠い、大学機関の人間たちを恐怖のドン底に叩き落した事件である。「目に見えないもの」が、目に見える人々に感染してゆく姿が、よく現れた事件だったと思う。
アナタハ、目ニ見エナイモノヲ信ジマスカ?(。≖ฺ‿ฺ≖ฺ)
アナタハ、怨ミヲカッテ、イマセンカ?(。≖ฺ‿ฺ≖ฺ)
怖いですねえ、恐ろしいですねえ。
あんなにも、道教の歴史上輝いた流派、茅山派が、今では見る影もなく、「呪い」の代名詞となっている。
それには幾つかの要因がある。とりわけ、台湾における「符咒」は、茅山派と閭山派が一つに混合しており、内容も巫覡、祈祷、科儀に到るまで色々なものが雑多にまとめられている。閭山派とは、清朝の治世下、大陸ではチベット密教が大いに奨励され、福建省南部、広東省東部では仏教を吸収して派生したのが道教閭山派である。茅山派、閭山派の符には随所に密教の術法が入り混じっている。
写真は台湾新文豐出版社『中國傳統科儀本彙編11:福建省壽寧縣閭山梨園教科儀本』
劉枝萬は、自著『台湾の道教と民間信仰』の中で、「台湾における茅山という言葉には、小説や戯曲に登場する悪法師としての茅山道士を指すイメージで、実体があるわけではない」とするが、この事件が指し示すように、実態はあるのだ。それには、茅山派、閭山派、チベット密教、東密(中国密教)の四つを比較研究するだけでなく、台湾土着のシャーマニズムをも含めての五つの関係を研究する必要がある。この本の著者のように、学者は実践家の何たるかをまるでわかっていない。台湾の学者でさえ、台湾の「符咒」世界をまるで理解していないのだから、日本の研究者をせめるわけにもいかないだろう。
フィールド・ワークしなさ~い!ヽ(`△´)/
潜入捜査しなさ~い!ヽ(`△´)/
一つの流派がここまで、憎しみの炎、憎悪に満たされ、犯罪者集団に成り下がるのには、相応の理由があるが、その様な内部情報は外部に漏らせないため、割愛させていただく。国家を失い、目的や夢も希望もなくした流派のなれの果てが一番コワイ。
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