自分のことだけを考えて、自分が傷つくのだけを恐れて、自分を守るためだけに修練してきた。
「この世界が嫌いだった。この世界が大嫌いだった。」
「人間が嫌いだった。人間が大嫌いだったのだ。」
これが、十代の終わりの頃に胸に秘めていた修練をする動機だった。
「人間を辞めたい。」
決して、私の修練生活は、美しい彩り満たされていたわけではなかった。
大学時代に書いた詩集『死の都』は、恩師である現象学の碩学・新田義弘教授に評価され、大学院に永久保存され、大学機関への推薦状も書いてもらった。どの国に行っても通用するように、英語で何枚も書いてくださった。新田教授が退官される前にと。それらの推薦状は使われることが無かったが、今でも感謝している。
その推薦状の一文には「この詩集は人類の恐るべき環境破壊に対して未来への警鐘を鳴らしている」と書かれ、ぼくの詩集を無意識の段階から見事に読み解いた新田義弘の洞察力に感動したものだった。
そう、ぼくは「人間が大嫌いだった」この気持ちを新田教授は感じていたのだ。そして、何故このような意識を持つものが、この星に現れ始めたかも理解していた。そして、見事にぼくという人間を見つめ、ぼくを読み解いてくれたのだ。かように哲学を究めた本物の哲学者のほうが、よほど人間の深い意識にアクセスするものだ。それは、占術家の及ばない識の領域だ。
ハイデルベルグ大学でも教鞭をとった新田教授は、ドイツの詩人、思想家フリードリヒ・ヘルダーリン(1770-1843)の詩風や思想ににぼくを重ねて見ていたのかもしれない。
ご自宅に招かれた折には、ヘルダーリンのドイツ語の詩集を見せてくださり、熱心に読むことを勧めてくださいました。
新田義弘:「ヘルダーリンは、その生涯の終わりを塔に幽閉されて過ごした。
彼は発狂などしていなかった。
発狂していて、どうやって後期詩集は書かれたといのか!?」
この一言が最近頭をよぎる。
この都市に埋もれること、この都市に幽閉されることが怖くて、海外に飛び出した。
退屈な反復は、ぼくの心の中で、報復に変わっていたのかもしれない。
堅固な道義心だけが、ぼくの武器だった。それは、今も同じだ。道義心に背くことは許されないし、許さない。
それを強さと考えていたが、ぼくは臆病だったのかもしれない。だから、たくさんの武器を必要とした。
たくさんの学び舎をあとにして、自信に満ち溢れ、武器を手に取り始めた仕事も、すぐに自分の心を裏切れないと思い知らされるばかりだった。
そして、あの日、臆病すぎて、自分を守ることしかできずに、失われた一つの命が、ぼくの生き方を思いのほか逆方向に変えた。
最後に足がすくみ踏み出せなかった一歩、最後に言えなかった言葉を抱えて、生きながらえている感覚が、ぼくをバカにして、挙句の果てには裸にしてしまった。
だんだんとヘルダーリンの詩が自分の思想と近いことを今になって見出す。またも、識者・新田義弘教授に出し抜かれた気がして、ちょっと悔しい。
「苦労ばかりが人生だとしても、ひとりの人間が、上を見上げて、
わたしもそのようでありたいと言うことは許されるのだろうか?
親愛の思いが、純粋な親愛の思いが、心になおも生きつづけている限り、
人間が不幸にもみずからを神性と対等視するようなことはない。神は知られていないのだろうか?
神は、天空のように明白だろうか?わたしはむしろそう信じる。 それは人間の節度である。
いさおし多く、けれども詩人的に、人間はこの大地の上に住んでいる」
『明るい青空のなかに・・・』 IN LIEBLICHER BLAUE/ヘルダーリン
「この世界が好きになり始めた。この世界が大好きになった。」
「人間を好きになり始めた。人間を大好きになったのだ。」
もちろん、堅固な道義心と人間の節度は今でもぼくの宝物だ。人間を好きになったのは、嫌いになることで臆病になりたくないからだ。嫌いになるだけならば、誰にでもできる。大事なのは、教え諭す教育である。だから、嫌いだという理由に逃げないで、人間たちと向かい合い教育を施し、奮闘することにした。
今でも、信じている、「自分が変われば世界が変わる」奇跡を。オレも、もっともっと変わるよ。
読者は勘違いしないで欲しい。私は偽善者ではない。このブログの全ては自分にも語りかけている。自分にも語るが故に、止めることができない魂が本音の雄叫びをあげている。
このブログは「我と汝の対話」でもあり、「我々の対話」でもあり、「我への対話」でもある。それは、自分に語りかけているのかもしれないし、世界に語りかけているのかもしれない。ぼくにとって、等しくどちらも同じ行為だから。
紛糾の魂が回帰する夜に捧ぐヘルダーリンの詩と同じく、私もまた、魂の紛糾を叫ばずにはいられない。それが、心の本音だから、心の本音を隠し、醜く生きたくはないし、醜い人間のせいで人間を嫌いにもなりたくない。人間を好きになり始めた自分を裏切らないために。許されない部分は、許されないとはっきり言うぞ。
これがオレのポリシーであり、尊厳であり、人間との接し方なのだから。道義心に背くことは許されないし、許さない。
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