「擇日」は中華の文化であり、中華圏の人々に影響力の強い縁起観を形成しています。
言わば、それは人間に対する影響力であり、人間の運命に対する拘束にもなりかねません。
その意味からも、私は「擇日」を文化と規定しているのですが、日本ではまだ根付いていないのも一つの事実です。
というよりも、「擇日」と開運「吉日」とは概念自体が異なり、擇日が通書や天文暦を用いるのに対して、吉日とは開運暦であり、その理論と成り立ちも、実に様々です。
「擇日」は、洪潮和の著作『剋擇講義』からはじまります。
洪潮和は、清朝の泉州で生まれた人士で、擇日通書と擇日教材による編集をした開祖でも有ります。
この『剋擇講義』から「擇日」という言葉が派生したわけです。理論や天体に関する観測は、もちろんそれ以前から行われていますが、ことさら、「擇日」という言葉とその概念は、ここから始まったのです。
また、ここに大きな分岐点があり、「擇日」と「吉日」が、通書及び「天文暦」と「開運暦」を分かつことになります。 ここに、時間を起点として、風水を考察する上で、天体観測など時代ごとの最先端の成果である天文学、物理学、数学などを導入した「学術としての風水」と庶民の縁起観を干支や易卦に象意を置き換え、時間を符合させてきた「開運風水」との決定的な分岐が起きたわけです。
それは、現代にも繋がっていますね。 「伝統風水」と「開運風水」という題目を変えて、せめぎあっているものではないでしょうか。 また、「伝統風水」が、ただの化石かと言いますと、それは、間違いで、最先端の成果である天文学、物理学、数学などを導入した「学術としての風水」の系譜にあるものという定義を私は置いています。
そのため、私は常々「伝統文化としての風水」と「創作された新しい技術としての風水」を「伝統風水」と「開運風水」という見方で分けています。 つまり時間に対する考察の仕方がこれらの違いを生んでいるのです。
伝統風水
伝統文化としての風水天体観測など時代ごとの最先端の成果である天文学、物理学、数学などを導入してきた。
時間の考察: 天文暦を用いて、天と人の相関関係を天体との係わりから、時間を基準とした「擇日」となった。いわば、占星術として用いられた。
開運風水
創作された新しい技術としての風水。庶民の縁起観を干支や易卦に象意を置き換え、時間に概念を持たせ符合させてきた。
時間の考察: 吉日としての縁起観を重視することから、干支や易卦などの記号に象意と時間の概念を符合させた「開運暦」と呼ばれる時間に対する考察がある。
*共通する点は、どちらも、中華圏に根付く、縁起観としての文化を演出している。 「擇日」は、言わば東洋占星術であり、専門家が日選びをするものであり、「開運暦」は庶民に根付く縁起観を形成し、開運暦を買えば誰でも見てわかる構造になっている。
色々とリクエストされ、本で書いてみたいですが、出版の事情を配慮すれば、「開運暦」は誰でも見るだけではわかる表みたいなものであり、当然、売れるから出版しやすいですが、天文暦を駆使する占星術として確立された複雑な技法である「擇日」は、エフェメリス(天文暦)を巻末に加えなくてはいけないのに加え、専門書過ぎるので出版が難しいと聞いています。
また、「擇日」は専門性を有するだけではなく、日選びされる人間の人生にかかわる問題であり、責任問題が問われます。そのため、以下の二つの理由から、情報公開がされていません。通書はあくまでも、天体の運行を見るため使うのと、言わば専門家の擇日師のあんちょこでもあります。
理由1:「責任問題」
日選びによって、当然人の運命が行動と共に変わる。そのため、擇日師たちは自分が、どういう系列で学び、どういう師についたかを明示する義務があlり、それが人々に信頼感を与え、伝統を形成していました。
そして、日選びに誤った結果があったときは、擇日師たちは、社会的な責任を問われるのです。また、一族の運命にとって重大な日選びである「結婚」、「引越し」、「新築」、「葬式」など、様々な縁起感を伴う特別な日をその一族一代に限らず、綿々とその一族が続いて行き、致命的な危機から回避できるように代が変わっても、その一族の責任をも背負うのです。まさに、ゆりかごから墓場までの世界です。それは、一族に対する顧問という仕事であり、とても重い責任を負うのです。
理由2:「知的財産所有権の保護」
擇日師(時師)たちは、擇日と呼ばれる日選びをすることで生計を立てています。言わば、地区ごとの吉事を司り、その地域の問題に対して発言権を持っていました。
そのため、擇日師たちの持つ認識と技術は、神聖なものでもあり、その知的財産は、師が人を選び、拝師を伴い伝えられてきました。そのため、日本文化では、風水を独習し創作して行く人たちが大半ですが、「擇日文化」は、未だ、上記の二点から情報の開示はされていません。
そして、独習は言うまでもなく不可能で、教える側も人を選ぶという口承文化にも似た点がございます。また、独習が不可能ということは、「誰に習った」かが非常に重要な点でもあります。
常識的なことですが、これらの知的財産はただではなく、学習者はその文化と先生の知識、知恵に敬意を払い学費を当然払います。そうしなければ、風水を専門として生業とする風水先生たちは生活できません。そのため、当然、風水先生たちも人を選びますし、ただで教えるということはないです。
本を書くとは、ほとんどただで情報開示することであり、それが知的財産を伴う文化ならば、当然、書けることと書けないことが出てくるのも伝統世界では常識です。
真に価値ある人々に対する影響(ex:日選び)とは、風水師・擇日師(時師)たちがどのような地域、社会、世界を夢見て、それに対するヴィジョンを持ち、人々をどのように導こうとしているかが大きく問われます。風水師・擇日師(時師)たちはそれに応えるありとあらゆる認識と方法論を持っていなければならないでしょう。
<余談>
私も既に風水にかかわって、20年以上が経ちました。
十代のときに学んだものから、最近学んだものまで、それが脈々とぼくの中に生きている。それは、一族から、国家からいくら乖離されようと生きている。だからこれからは、風水を使う側として社会を奔走いたします。そして、見つめるために、対峙します。
願うことならば、愛すべき多くの人たちと出会いますように!
そう、風水師は何かを守るために風水を用いて、この世界に問いかけ続けたから。
自分の見つめているヴィジョン、ひょっとしたら、ここに自分なんてちっともなくて、ただそれを信じて、何かを変えるために!
その結果、何が変わるかを自分で見届けるのが楽しみです。
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