2010年11月14日 (日)
張明澄先生の七回忌
ブログはじめてからの恒例行事でもある「三年喪に服する」如く敬意を持ってのご法要。2010年11月1日、恩師・張明澄先生の七回忌のご法要に際し、 あらためてお悔やみ申し上げます。
故人の面影を偲んでよいのかがわからないが、ご冥福をお祈りするという表現には違和感があって、調べてみると冥福とは、冥界であり地獄の意味合いが強く縁起の良い言葉とはいえない!
生前から、日本の漢方学界、占術業界との争いの絶えなかった先生だったが、死後まで争う必要は無い。七回忌を迎える今も、その人を巡る論議が絶えず、自分の恩師が下賤の輩にとやかく言われるとは、嘆悲しいことである。
破門された弟子たちが、何を主張しようとも、最後まで先生のお傍にいて学ばせていただいた弟子達の主張には及ばないのは周知の事実である。厚顔無恥にも、命日の日にちは知りませんと書き連ね、その人を冒涜する張先生の人物史を匿名で書き綴るような下劣な輩には罰が当たるのだろう。
仮に百歩譲って書かれている内容に事実を含んでいたとしても、
死者に鞭打つような発言をする必要があったのか?
人としてあるまじき行為である。しかも匿名で。
もしその発端が明澄記念館 を運営する掛川掌瑛氏、及び山道帰一への当てつけならば、見当違いも甚だしいものである。
張明澄先生の残したものであり、我々が正当な所有権を有している映像及びテキストを保存するに際して、明澄記念館 をネット上で運営し、そこで運営委員会として明澄透派と表明した部分に対して、利権を巡る輩が躍起になるのならば、明澄派と表明し直せば良いだけである。この透という文字がかくも偉大かどうかは別として、宣伝効果があり、彼らが培ってきたと主張して止まないのならば、商売の利害を訴えるものとしてわからなくは無いです。匿名だからわかりにくい部分ではあることと思われますが。(笑)
そして、それは既に明澄記念館の全ての部分で表記が変えら、明澄透派改め現在は、
明澄派と表記されているはずである。
そして、この明澄派とは実体があるようでどこにも無く、文字通り張明澄(張耀文)先生と、縁があり「張明澄を偲ぶ会」としての明澄派なのである。どこにも、何も組織された派閥のようなものは形成していないし、団体として登記もされていなければ実在しないのである。
張耀文、本籍名を張明澄として、納骨堂に納められた張明澄先生の遺骨のみがその実態を知っているのではないだろうか。
誰が卑劣な裏切り者の破門弟子で、誰が最後まで残った弟子かを。
その実在しない明澄派なるものに対して、躍起になって突っかかってきてもしょうも無い問題であるし、何度も言うように死者を冒涜することは許されない。
*左の写真新は関係者各位に迷惑がかからないように情報の一部を消しています。
矢面にまた立たされそうなので、自分で立ってみました。(笑)
世間から誤解されているようなので、一つだけ確実に宣言したいのは、「オレは言いたいことがあれば自分のブログで書く!」ということなのであります。
おっと、張先生の七回忌なので、大事なことを宣言しておかねば。
わたくし、山道帰一は生涯どんな苦難にあおうとも、必ず明澄記念館を実体ある建造物として、小生が生きているうちに建立することを誓います。そして、大画面の液晶モニターを導入して、明澄記念館で購入したくても張先生の足跡を追えない学生達に対して、明澄記念館では学生に資料室を開放して、我々が所有している張先生の映像を放映し、無料で見て学習できる学習環境をつくることを誓います。
尚、明澄記念館を併設するに当たって必要な張先生の台湾で出版された出版物一式、及び雑誌掲載分を含めた仔細資料は全て、鍾進添老師より寄贈していただき、私の手元にあることをご報告いたします。
いつも遅刻はするけれども、必ず仕事はこなす山道帰一より。
<関係ページ>
今日11月1日は張明澄先生の命日、七回忌にあたります
張明澄先生六回忌
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コメント
山道先生こんにちは!
明澄派DVD会員のリュウイチです。ぼくは明澄派の掛川先生のビデオを見ただけでしたけど大変勉強になりました。良い結果も出てますし不満はありません。明澄派勉強するまでそこそこ命卜相も勉強もしてきたはずだけど明澄派は僕にとっては当りでした。ロマンスグレーのヘアスタイルでダンディーな掛川先生の講義見るのも楽しみで、何度も見返しています。DVDが高価なのが玉にキズですけど(笑)、それ以上に見返りがありました。
少し調べてみましたけど佐藤●龍さんは明澄先生から破門喰らった弟子なんですね。つまり×派誤術研究会は破門系列の名無しのお弟子さん?匿名で掛川先生を中傷するなんて許せない奴らです。記事読んでもアホ丸出し中卒レベルの思考力みたいだしあれじゃ高校受験も危ない痴能(笑)。所詮は破門系列の落ち武者の遠吠え。中国に×派って無いんすね。これも中国の方調べました。でも明澄先生の五術ですから×派なんかあってもなくても別にどっちでも良いんです。明澄先生の残したDVDと掛川先生の講義があれば脈々と明澄先生の遺志は伝わるでしょうから。これからもお身体に気をつけられて日本の五術発展のため頑張ってください。年末のボーナスが出たらまたDVD購入させて頂きますね。いつも応援しています。
リュウイチ |
[URL] | 2010/11/15 19:11:59
リュウイチさ~ん
ブログ更新が止まっていたので、行方不明説が流れていましたが無事に生きていたんですね。(笑)
相変わらずの毒舌ぶりも健在のようで。いやはや、恐ろしい。(笑)
とっても過激なコメントに加え、ぼ、ぼくのブログが炎上する危険性があったので、コメント削除させていただこうかと思ったのですが、明澄記念館を利用しているお客様の声の一つとして受け止め、コメントは承認させていただきました。
ちなみに、私からこのコメントに対してはノーコメントということでお願いします。
ダニエル |
[URL] | 2010/11/15 21:58:54
ダニエル様
私も明澄派DVD会員でお世話になっております。上記の同志リュウイチさんほどはダイレクトに言える立場におりませんが、人道に背く「透」を名乗る抗争鬼畜どもに常々一言いいたいと思ってました。
どうして張明澄師に生前お世話になっておりながら、「お金を上げた」だの恩着せがましいことだけを強調するのか?教えを受けたのだからお金渡すの当然でしょう。渡すの嫌なら教えを請うな。ま、だから破門されたのだろうし。こうして恩を仇で返すような器の小さいことをするのをみても「透」と名の付く団体は糞以下の糞未満です。
多少パロディなサイトですが、「子平脳天気」なるサイトの言い分は最もだと思いました。「透」を名乗る人たちは脳天気の主張に対して内容のある反論がまったく見られません。この透派五術研究会(香草社社員)のほうが死後の張明澄師を屁理屈で罵る非人道団体ではないのか?と常々感じていました。
ダニエル様のサイトを汚すコメントになるかもしれませんが、一言いいたくて投稿させて頂きました。もし迷惑でしたら削除して下さい。
青虎 |
[URL] | 2010/11/16 10:57:45
山道先生
炎上の危険にも負けず承認していただき申し訳ありませんでした(笑)。先生の勇気に感服致しました。ノーコメントで構いません。コメントできませんよねぇ(笑)。し、し、失礼しました。平にご容赦下さい。
昨夜明澄派のDVD購入を考えてたら欲しくなって年末まで我慢ならなくなり星平会海全集のDVD5枚を注文させて頂きましたけど、今売ってないとか連絡きたのですけど。もしかして売り切れ?ぼくは天に見放されてるのでしょうか?もう少し占術を精進してから買えよってことなんでしょうか?
ちょっと悔しい気持ちもありますけど、ここは涙の撤退を敢行です。明澄先生が「まだお前には早いよ」と言っているようで。機が熟してからもう一度、星平会海DVD購入を検討致したいと思います。購入して勉強できるチャンスに巡り会えたらまたブログに感想書きたいです。星平・・・・か、かなり気になってます。
リュウイチ |
[URL] | 2010/11/16 15:06:41
う~ん。
皆さん~。もう、わたしのブログが炎上させられていると思うのは気のせいでしょうか? (*´・Å・)
なんか、こんな感じで下げられた記事は随分あって、「裏・風水山道」にそれらの記事が眠っていると思い込んで、承認を求めてくる人が多いんだけれど、あそこは何も更新していない墓場と化しているのね。レ(゚□゚レ)
ところで炎上は勘弁してくださ~い。(。`'ё´。)
人と人が調和を取り戻して、円状になることを望んでいます。レ(-□-レ)
どれもコメントしようが無いものばかりです。(`△´)
しょうがな~い。( ゚ロ゚)ノ
自分の固定観念でしかモノを測らない人間はその範囲の中に止まり、それ以上の認識の拡張は無いのです。
だから常に高かったとか、自分で決めた想定範囲の中で結論を出し続けようとしたことが如実に現れるものなのではないでしょうか。自ずと学べる内容もその想定範囲内でしかないと。( ゚∀ ゚)
今になって月謝や学費が高かったとか、お金を多く払ったとか、プロデュースしたとか、本を出版してあげたとか、印税がどうのこうのとか、そんなことは故人を前にもう既に、確かにどうでもいいこととなり果てているように思われるのは気のせいなのでしょうか。
何か人から習ってもその当分の見返りとしての料金さえも踏み倒そうとするヤツは守銭奴で単なるケチの礼儀知らずなのでしょう、と思われてもしょうがないよね。(*゚д゚)∂"
もちろん、後で発生した不当なものだったら、それはイカサマだけどね。前提があって発生した料金ならば、事前にYes, Noと言えたはず。
食事代がどうこうとか、機嫌が良いと話してくださったとか、人間として誰もがある部分をクローズアップして悪者に仕立て上げたりしようとする部分が、邪悪だよな。(゚Д゚)、ペッ!!
と言うより、人間としての特質をそこまで事細かく書きたてるあたりが、自分の固定観念で「あの人は聖人君子、神でなくてはならないのだ」と言わんばかりの祭り上げ方であり、何度も言うようにぼくにとっての張明澄先生は神でも仏でも、聖人君子でもなく、恩師としての「人間」だったのであり、その人間に対してこんなに厭らしい記述をする人たちは、ただ単に故人を誹謗中傷しているとしか思えない。
また、「そういう目で見ていた」、「そんな風に見ていた」。「この見ていた目はどこに?」となると、そこには明らかに人を通したフィルターとしての思惑と思慮が入っている。それは、ここでコメントしてくれた皆さんが当然の様に想定した人へと行き着く結論も否めないのでしょう。
そういうことする人って必ず、どこか違う場所でも同じことしているもんですよ。(`ロ´)
張先生は、お金がない生徒に対してタダで風水を施してあげたり、親身に相談に乗ってあげたりしていた事実を知っているが、同じ師を見つめるにしても、こんなにも違いがあるものかと蒼然とする。
これ以上はノーコメントで。(#`-_ゝ-)ピキ
ただ一言、
「そんな大人気ない真似をしていてもきりが無いのではないでしょうか?やるほうも、やられるほうも、必死であり、加害者が被害者に、被害者が加害者になる繰り返しの無間地獄を自分たちで構築する前に、ここで踏み止まることを提案しいたします。こちらとしては、そちら側の主張と思われる“透”の字を削除したのですから。(今日見たら直ってなかったので、今直させています。ハイ。)。『洩天機』に関してはあまりにも稚拙な後出しジャンケンであり、初めに出ていたものは張明澄先生の講義そのものであり、それを “否定”するということは貴社から出版している出版物全てに対する自己否定ということになりませんか?どうかそんな愚考は踏みとどまって、ここで双方ひき帰していただきたい所存であります。」
ダニエル |
[URL] | 2010/11/16 21:13:28
こんばんは。
はじめて書き込みします。
光が強くなれば陰も濃くなるように、名前が表に出ればその分陰口もたたかれますよね。
私のようなものでも、知人のブログになりすましでの嫌がらせ書き込み等が入るくらいですから(相手も分かっています)、山道さん程になれば色々あるのでしょう。
視点を変えれば、自分をかまってほしいのに相手にされなかった腹いせというか、要するに歪んだ愛情なのでしょうけれども、迷惑であっても決して嬉しい物ではないですね。
そんな暇があったら、己を磨いて前に進んでほしいものだと思います。
また、同じレベルに下がらないよう、自分自身も律していかなければと、改めて思いました。
では、今後のご活躍も期待していますね。
ゆみ |
[URL] | 2010/11/17 20:33:12
ゆみさん
コメント頂き、嬉しいです。
特に通称「オトコ達の挽歌」もしくは、「オトコ達の桃花」と囁かれる(笑)こんな戦場にコメントと言う実弾を投下して下るのは嬉しいことです。
村上春樹の『1Q84』のテーマにもなっているように、光と闇、善と悪、どちらかに「善悪」があるのではなく、その両者のバランスがとれていることが「善」なのではないかという問いかけと一緒で、秩序やバランスこそ我々が必要としているものなのかもしれません。
それは太極というバランスの構造のモトに無極があるように。
そして、ご指摘いただいたように、
>自分をかまってほしいのに相手にされなかった
>腹いせというか、要するに歪んだ愛情
から全ては起因している。これは事実だと思います。双方において。
色々な思慮と思惑が交錯して、そして、光と闇、善と悪、白と黒、勝つか負けるか。
そこには、沢山の色が入り混じって、難しく考えると、全てが面倒になって逃げ出したくなるけれど、こんなことを書かなくてはならなくなったのも、全ては「戦場に仲間を残して去れない」からでした。
自分は幸運なことに、もっと高みを求めていた矢先に張先生の縁故から、鍾進添老師に拾ってもらうことができ、まだ勉強を続けていける幸運と巡り合う事が出来ました。
そして、日本国内での事情や、占術業界など正直私にとってどうでも良いことでしたが、同じく張先生を師と仰ぎ、生涯をその教えに賭けた人たち、言わば同門であり、年齢こそ違えど兄弟である人々が骨肉の争いにまで発展したのは、正直に言いますと私も関係していたのでしょう。ちなみに、一切無視を決め込むことも出来たでしょうし、構って欲しいからこんなこと言っているわけではありませんが。(笑)
ひとえに、それは私の「善悪」に対する視野が狭かったこともあり、今では先に述べたようにこのバランスこそが大事であり「調和」こそが双方に必要であり、正直今回の争いで私自身は、相手サイドが私に気を使っているのか、相手にしていないのか分からないですが、攻撃の対象にはなっていないようです。
しかし、同門であり兄弟子である人、かたやかつては同じ師のもとで学んでいた先輩を「自分たちで始めた戦場」に置いて一人で去れないという気持ちが強いです。
どんなことがあろうと仲間を置き去りには出来ないし、それはしてはいけないんだとぼくのモラルがぼくを強く動かします。
今回の「七回忌」が、一つの仲裁になって欲しいと願っています。
そして、読者に誤解しないでもらいたいのは、私は決して自分が「光」だなんて自惚れは無いですし、相手を「闇」だなどとも認知していません。
「時」と言う裁判官がどのような時間軸でジャッジするかは分からないですし、どのような視野でこの世界の現象を捉えているかでも、「善悪」「光と闇」など容易に逆転するものだと考えています。
そして、どちらに転ぼうと「自分を自分らしく受け入れる」用意がある覚悟が、ぼくがここにいる理由です。
寧ろ、こんなことを匿名では無く、実名で書いているぼくは「闇なんじゃない?」と自問するくらいです。(笑)
時は全てを洗い流してくれるかも知れませんが、今を生きる私たちにとって、今は二度と取り戻せないものなのではないでしょうか。
生きているという「今」をもっと大事にしたい!
願うことならば、「善悪」「光と闇」を超えた領域で調和したい。
五術を学んだものならば、それが出来るはずだと信じています。
互いに恵まれない愛情。そう、師が突然いなくなれば、人はそんな風になるものなのではないでしょうか。
歪みあっていたと思い込んでいたものも、案外その歪みを正しく繋ぎ合わせてみたら、解けなかったジクゾーパズルがピタリとあてはまって、「ピース」となる。
その歪んだ部分で互いを擦りあい、傷つけあうのではなく、変な形でコミュニケーションをするのではなく、正しい形でコミュニケーションができるはずだと信じています。
それが今のぼくの願いです。
呼ばれて必要ならば、一人で渋谷まで行きますよ。正しいコミュニケーションのために。
そして、それがぼくらが歪みに固執していない証明になるのならば。
今回ブログではきついことを書かして頂きましたが、それは張先生に攻撃の矛先を当てる「構ってもらえなかった愛情の歪み」に対する私の憤怒であり、失礼があったのならばお詫びしたいです。そして、その怒りも受け止めて理解して欲しいものです。
おっと、ゆみさんへのコメントで話しが大分、逸れてしまい申し訳ないです。
温かい応援のお言葉痛み入ります。
ありがとうございました。
山道帰一拝
ダニエル |
[URL] | 2010/11/18 2:45:23