11月1日より、日本では実に五回目となるレイモンド・ロー先生の風水講座が始まっています。
毎回参加していますが、いつもとても新鮮に感じてしまいます。
日本全国から顔見知りが集まってくるのも嬉しいことです。
日本で活躍される鎌崎拓洋先生もご参加され、十年前ぶりのロー先生との再会を果たし、お互い見詰め合って懐かしむ光景も目の当たりにしてしまいました。
鎌崎拓洋先生は、日本で真摯に五術全般の研究と実践に取り組む数少ない実践家です。
プロの第一線活躍する諸先生方から、これから風水師を専門職として目指そうとする志ある者まで、実に様々な人が集まってきて、一つの教室にぎゅっと詰め込まれているシーンを見ると色々と感慨深いものがあります。
そこには想いが集まっていて、それが明るく輝くこともあれば、暗く重くひしめくこともあるものです。
全ては、自分の運命を切り拓くために、風水を通じて「何かを変えるために!」という気持ちを前向きに感じます。
ぼくのブログを見て、「風水師になろう」と決めた人も少なからずいました。
そういう人たちには必ず的確なアドバイスをしています。
ダニエル「やめとけ!風水じゃ飯は食えんし、円にはならないぞ!」
と。
夢を壊すためにではなく、真剣にそういった人たちのことを想っています。これは本当のことだと思っています。
と言うのも、風水師はサラリーマンではありません。毎月、保障となる給料など無いですし、開運や風水効果を謳い文句にするだけならば、ただの詐欺師になってしまうでしょう。
社会において認知するに値する確固たる価値があるのかないのかが風水に求められているのであり、それは「風水」を名乗るもの一人一人の行動にかかっている。そう言った意味において社会において風水を通じて接するものは「任地」にいるという覚悟が必要になる。一人一人の肩に責任が重くのしかかる。
それは風水効果や開運効果を謳い文句にするだけで風水を終わらせ、「信じる信じないの信仰の問題」という宗教としての態度と風水は一線を画するべきだ。
この自然界で100%確実な効果及び予測可能な現象など無いと思っています。100%何かを変える力、予測可能な法則性や方法論があるのならば、それは全知全能の神なのではないでしょうか。
よくパワースポットについて質問されるのと同じです。
インタビューアー「山道さんの選ぶ、風水のパワースポットと神道や仏教が選ぶパワースポットはどう違うのでしょうか?」
ダニエル「神学と哲学の違いと一緒です。神学は神から人を見ようとしています。それに対して、哲学は人から神を見ようとしています。つまり視点が逆であるということに違いがあり、風水は哲学の立場にいます。そう、人が構築した知識・技術体系と経験則で、神(自然)の世界に迫ろうとするのが風水なのですから、風水は当然、神学であるところの宗教とは立場を異にします。もちろん、両者の間に掛かる橋とでも呼ぶべき因果関係が無いとは思いませんよ。」
そのため、風水は哲学としての立場に立ち、風水を「環境心理学」、「地球科学」、「地理学」、「風水史学」、「風水思想史」、「風水文化研究」など、各自が立つ立ち居地は、ある種の専門性と研究対象としてのスタンスを確立していないのならば、社会に還元できない「開運(改運)」を謳うだけのただの迷信を人に押し付けるだけの無法者をこの世の中に誕生させるだけなのですから。
それほど性質の悪いことは無いでしょう。風水が非科学的な要素を多分に含んではいますが、反科学的ではない要素も多分に含んでいます。
しかし、それらを善く理解して風水師が行動しなければ、「風水は反科学的なもの」として社会から駆逐されるだけでしょう。
ちなみに、私は何度も書いてきていますが、風水との係わり方として「環境心理学」や「風水思想」、「環境保護」など、自分なりの視点と研究方法を持って臨んでいます。そして、知識として知れば知るほど、実践として経験を積めば積むほど、更なる学習の必要性を感じ続けています。
ただ単に風水を技術として「術」として、風水と接し、風水効果や開運を謳い文句に風水師としての専業職につこうとするのは危険だと言わざるを得ません。
だからそういった理解の構築や思考構造を初めに確立できないならば、職業としての「風水師」を目指すべきではないというのが少し冷たいようですが、私の持論です。(小生の個人的見解なので反論は平にご容赦を)
もちろん、講座参加者の中には、既に様々なところで自宅を鑑定しもらったり、本を片手に自分で自宅を改善しようと試みたり、色々と試されたお話などを聞きますし、実際に風水を用いて何がどう変化したかと言う体験談を皆様お持ちの方が多いです。とても興味深い実例であり、素晴らしい風水を通じた実地体験です。
それは自分だけが関係したものと言うことで、問題となることもありませんし、それ自身は風水を通じて皆が何か新しい気づきや洞察を得る素晴らしいことだと思っています。
たいてい皆さんの持参する『完全定本 風水大全』がボロボロになっていたりして、見ていて「ああ、がんばってるな~」と汚くなったこの本を見れば見るほど監訳者として嬉しくなります。
そして、ロー先生より直接講義を受けてより深い理解に変わってくれれば幸いです。
ロー先生の技術だけではなくロー先生が探求した風水の原理における懇切丁寧な説明部分が、本と講義の最大の違いなのですから。
もちろん、同じ講義を受けても一人一人の理解の程度は異なるでしょうし、三元派の玄空飛星を基礎講座の三日間で終えて、風水講座の応用になりますと、三元派の水法(易卦を使うものを三元派として累計した場合)である乾坤国寶(龍門八局)や、三合水法など、ベースとなるロジカルな部分の理解が求められる技術面へと繋がります。
*ロー先生は乾坤国寶を天劫・地刑・八煞の原理から三元とし、三元派としては累計していない。
再受講者も多いロー先生の応用講座を一発で完全な理解に変えるのは、風水に造詣の無い初めての学習者には、なかなか至難の業なのかもしれません。ベースとなる原理を理解できなくても、法則と方法論だけで、様々な風水の技術を駆使していくことはできます。
しかし、それでは何の根拠も無しに風水をしているのと変わりがありません。
明日から始まる応用講座で、より多くの人が実り有る理解を持って講座を終えられるように私も参加して見守らさせていただきますね。
実り有る理解は、長い年月と共に生まれてくるものでもあり、人それぞれ一様ではない。
自然界が垣間見せたと感じる律も、自らがその法則性を支配しなければ、砂の城と成り果てる。それは、自らの認識によって成り立つものであり、「術」がもつ法則性の虜になることではない。高度な認識こそが求められているのだ。
風水師を目指すのならば、ジャリタレの様になってもらいたくない。風水を学び、その延長である風水師を目指すのならば本質を踏まえ、社会に還元でき、我々が生きているという営みの中で、多くの人々を支え、そして歴史に還元できる意味ある何かであって欲しいと切に願います。
目指す目標を高く掲げ!がんばれ!風水師を目指す初参加の方々!
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