久々のブログ更新で読者の皆様に申し訳ないです。今年前半は本当に色々有りました。311の悲劇は、我々の心に永遠に刻まれるように。
しかし、私たちは前に進まなくてはなりません。振り出しから始めるために私たちは何らかの希望を見出さなくてはなら無いでしょう。
そんな希望の一つにでもなればと、実にここ数ヶ月は時間単位でのお仕事をしていた気がします。原稿も色々と書きました。次の危機に備えるために、太乙神数から見出しえる警告も書き綴りました。
詳しくはムー 2011年 07月号に私の書いた記事が出ていますので、ご覧ください。ノンカット版は通信講座受講生には配布いたしました。
また、今回の311被害に見られる様に、風水が理気しか見ないのならば、当然、あのような大災害から逃れる術は有りません。押し流された何万戸の家の中には、最高の理気の家もたくさんあったでしょう。確立統計から言っても。
岩手県大槌町では、瓦礫の中から昭和三陸地震の津波の教訓を伝える教訓の石碑が見つかっている。「地震があったら津波の用心せよ」「津波が来たら高い所へ逃げよ」「危険地帯に住居をするな」といった教訓が彫られていた。
「危険地帯に住居をするな」とは、正しく風水の巒頭(地理風水)そのものである。そして、それは経験則の集大成から導き出されたものであるのは言うまでもない。
理気にすがるだけでは助からなかった現実を前に、風水を名乗るものは、先ず常識を考えるべきである。常識としての巒頭と理気の違いをスターピープルVol.37にて説明しましたので、こちらもご覧ください。
ちなみに、スターピープルVol.37を台湾の鍾進添老師のところに持って行きましたら、表紙のお姉ちゃんを見たヨガの達人の姉弟子が「正中線がズレとる~。こんなんでヨガしとると言うとるのかね?」と、憤慨していましたが。(-∀-;)
私は写真からわかる姿だけではなく、内容が大事だと思っています。例え肉体鍛練法としての「命功」に問題があってもいいじゃないですか。心の修養としての「性功」が出来ていれば。この方の書いた記事を読まずに「命功」だけ看て、「性功」を推し量らなければ、全体は見えません。それはきっと記事に表れていることでしょう。
風水の巒頭と理気の関係も同じですね。
そう考えると、正中線ずれているのは、やっぱりまずいか。(; ゚ ロ゚)
しかし、人が世の中に何かを還元しようとすること、そしてそれが純粋な想いならば、なおさら重要であると思う。高まった知識も、技術も、自分にしか用いられないのならば、それは単なる自己満足で何も世の役に立ちはしない。
さて、余暇が全く無く、同時並行では終わらない作業に苛まされ、5月末から今日に到るまで、徹底して全ての時間を鐵筆子老師・鍾進添老師の『四柱推命學』の翻訳に割り当て特化して、突貫作業を進めてきました。
六月いっぱい約一ヶ月にわたって、台湾にて鍾進添老師と共に翻訳原稿の完成に向けた作業を進めました。この一ヶ月、正確にはここ二ヶ月ほどの時間が何年、何十年にも感じられる気の遠くなる作業でした。私は自分の中身をすべて捨てて、一から四柱推命を学びなおしました。
昨日、7月11日に全30章の訳出及び註釈作業を完了いたしました!
大作です! まずは、ご報告まで。
このテーマは出版まで時間があるのでシリーズとしてドンドンブログで伝えて行きたいです。
物理的世界は、その時空間な構造のある抽象的な特徴と関わってのみ知られうる
~バートランド・ラッセル 『Mind and Matter』(1956年)
民國53年(1964年)9月に初版が創譯出版初版から出て以来、四十版以上版を重ねた四柱推命學 の伝統と重みをまざまざと知った体験でも有りました。この一ヶ月の間に山道帰一に何が起きたかを表象(意識)と共に語って行きたいです。私が追い求め続けた「真」の欠片を保持し続ける人たちがいて、その人たちから智恵の欠片が散りばめられて、それを拾い集めていく探訪記になっております。
そして、この一ヶ月の体験が無ければ、私の翻訳は今の日本に溢れた四柱推命を語る本たちのように希薄な望文生義に陥った物に成り下がっていたことでしょう。
*望文生義: 文字の字面を見ただけで意味を深く考えず、前後の文章から見当をつけて、文章や語句の意味を勝手に解釈すること。
それでは、パート2を請うご期待あれ。
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