以下、こんな記事を見つけたと生徒から報告を受けて、見てみれば。
このブログ主のいつもの病気ですね。
以下、いちいち質疑応答してあげちゃいました。
赤色の文字が引用された雑誌ムーで寄稿した記事から。
青色の文字がこの人がブログで書いていたことから。
緑色の文字が私の返信。紫色の文字が鍾進添老師がよく言うセリフ。
それでは以下が問題のブログから引用&返信。
2011-10-12 学研のムーって書いたもん勝ちなんかね
■ これはちょっと見逃せないな
私の知っている範囲内では、皇極経世書と同じくらい長いスパンで占うことができる術に太乙神数がある。最近、ムーに、太乙神数を使って東日本大震災を読んでみたという記事が出たという話を聞いたので、ちょっと調べてみた。
件の記事は今年の7月号にあった。『衝撃の「風水大予言」』というタイトルで40頁から始まっている。ライターは山道帰一氏だった。太乙神数と風水にどういう係わりがあるのかはしらないけれども、そういうタイトルだった。この記事は六壬の話が導入部に使われていたのだけど、この六壬にいくつかの見過ごせない問題点があったので指摘しておく。
まず東日本大震災は2011年03月11日14:46:18の東北地方太平洋沖地震によるものである。記事において山道氏は、
この課式は、筆者の住む東京を中心に作成されたもので、
と書いているが、東京は日本標準時に比べて19分程進んでいるので、東京における地震発生の時刻は、既に申刻に入っている。ところが件の課式や六壬天地盤は未刻で作成されている。ということで、六壬天地盤や課式は「東京を中心に作成され」たものではないということがわかる。
ただこの天地盤や課式を作成したのは、山道氏の四柱推命の師匠の1人である、鍾進添公なので、全部台湾の時刻に置き直したのかもしれない。ただ未刻としても、以下の記述はあまりに酷い。
また、日支の卯と時支の未は、相冲といわれる大凶の位置関係にあり、「破」となる。
まず、六壬の課式において鍾進添老師のやり方は四柱推命でもそうだが、日本標準時(GMT+9)からの「時差」を取らない。課式を立てる人のいる現地時間を用いるため、この場合、台湾でこの課式を立て、「3・11東北大地震」の象意を導き出そうとしているため、鍾進添老師の台湾現地時間(GMT+8)における東北大地震発生時の13時46分で「未」を採用している。「時」の基準とするものを太陽に定めているわけではない(これは『完全定本 四柱推命大全』でも説明されているので参考のこと)。
また、日支の卯と時支の未は、相冲といわれる大凶の位置関係にあり、「破」となる。
卯と未の関係は普通は会を取るだろう。卯と未が冲とは聞いたこともないし、十二支の相互関係の1つである「破」にもならない。
誤植に対する揚げ足取りされても困るが、日支の丑と時支の未が相沖しているのは言うまでもなく。 ×日支の卯→誤植で→○日支の丑というだけ。
本文では、そんなこと一言も書いていない。「初伝が酉、中伝が丑、末伝が巳である。この3つは「金局三合」といわれる組み合わせ」と書いた。もったいぶったイヤミたっぷりで、誤植一つ発見してそんなにイイ気分になれるか性格が屈折しているのだろう。
もう1点、41頁に課式と天地盤があげてあるのだが、この天地盤は正しくない。この天地盤における天将の配布は逆布になっている。しかし乙日の昼貴人は申であり、申の地盤は未刻で辰になる。地盤が亥から辰までは順布なので、鍾進添公の作成した課式において、中伝丑には青龍が乗じるのであって白虎は乗じない。従って以下の記述は端的に言って誤りである。
自分の知っている原理だけが確実に正しいと思う込む妄想がどこから生まれてくるのかはわからないが、日本の「六壬」と呼ばれるもので知られている「天将の配布は逆布になっている」のは、確かに逆佈になっており、張明澄先生の方法(貴人のいる天盤の地盤支が,北東方(亥・子・丑・寅・卯・辰)なら順行し、南西方(巳・午・未・申・酉・戌)なら逆行して、十二天將を配布)でも順行するので気になり、記事作成のときにこの部分は鍾進添老師に質問しているし、ゲラ原稿にも補足の説明を書いたが紙面の文字数の都合でカットされている。ここで何故、天将の配布が順佈にならないか、たずねた時、鍾進添老師は次のようにおっしゃった。
「六壬各派の原理解釈から生まれてくる佈局の方法、配列の仕方、などをとっても“標準”と呼べる回答はない。各派における各派の工夫があるのだ。この十二天將順・逆佈の配列も一様ではないのだ。」
と、解答を頂いており、私もこの批判している人も各家の功夫について全て通じているわけないし、そんなはずがないので、当然、わからなくてもしょうがないでしょう。
そのため、ムーのゲラには「天将の配布は、通常は順佈だが鍾進添老師は逆佈を採用している」と、補足説明を書いたが紙面の文字数オーバーでカットされているので、自分の知っているもの習ったものが絶対に正しいと宗教のように術数を妄信する人たちには誤解しやすいでしょうね。また自分の習ったものや、独学したものが全て正しいと妄信することほど怖いことは無いでしょう。それは危険な宗教に入信しているのと同じです。
鍾進添老師は次のように、よくおっしゃいます。
「“解易”の“觸類旁通”という言葉にあるように、『易経』の解釈一つとっても全て同じものとはならない。各派による各派の解釈判断があるのだ。それをどれが“正しい”と主張して、学無き者が他を否定することはできない。つまり、“解易”には標準の解答というものがないのである。」
また、その体系を学んでもいない部外者が他を否定するのは、無知なのに自分が無知だと認めず、さも「全能」とでもいうようなフリをしているようなものです。だって、否定する対象の術における技術体系から方法論までを知らないのに、どうやって否定できるのでしょうか? できるはずがありません。また各派、そんなに簡単に術の原理や技術体系を公開するはずもありません。授業料でも持ってくれば話は別。
子曰く、「束脩(そくしゅう)を行う自(よ)り以上は、吾未いまだ嘗つて誨(おし)うること無なくばあらず」。
孔子が言った。「入学金として一束の干し肉を持ってきた者に対して私は教えてやらなかったということはない(入門を拒まなかった)」。
しかし、こういう礼儀知らずに何か教えようと思う人はいないでしょう。干し肉どころか、皆さんから干された自身のブログで、誹謗中傷書いているだけの陰険な奴で、誰かを笑顔に、幸せにするための記事なんてまるで書けない人間のクズなのですから。こんな形でなければ何か教えてあげてもいいこともあったのでしょうが、当然、金輪際一切かかわりを持ちたくない人ですね。世間で言われている通りの人でした。(笑)
また中伝の「白虎」が発動すると、一~四課との組み合わせから、「重喪」「絶気」「財離」という不吉な象意が導き出される。
これだけでもウンザリするのだけれど、一課干上神が申、日干が乙であるところから、「日鬼臨干」としているのだけれども、乙の徳は庚であり庚が奇宮する申は日徳でしょうに。
こちらも、見ず知らずの人につまらない言いがかりつけられて、もうウンザリするのだけれど、これがこの人の趣味みたいだし、面白いから付き合ってあげると。
一課干上神が申、日干が乙であるところから、「日鬼臨干」とする方法が 日干の乙木を申金が剋する(金剋木)という意味で、擇日学でも我を剋する「官鬼」に臨むという意味で「日鬼臨干」と呼んだりもする中国語を知らないが故の問題。特に「神殺」は無数にあり、「紛紛」と果てしなくあるものに対して、よく古典研究もせずに、擇日も知らずに、どれが正しく、どれが間違っていると語るだけ泥沼にはまり込み、それはただのアホのすること。
たかだか1頁半くらいの中で、六壬についての記述にこれだけ酷い間違いがある文章は初めて見た。これが間違いでないなら記事をセンセーショナルにするために術理をネジ曲げたとしか考えられない、そういう記事だ。
ということで、鍾進添公と山道帰一氏の六壬には信をおくことができない。
*1:子平でも八字でも良いよ。
その間違いも、あなたが知っているものと比べて違うというだけで、どうやって、鍾進添老師の六壬神課の理論体系を知らないのに「間違い」と言い切れるのかが不思議でならない。お前は六壬詐欺の独り教祖か!
まあ、別に個人の思うことだしね。個人ブログなんで何書こうと個人の自由で、別にどうでもいいことなのですが。自分の知っている理解と異なり、その真意が知りたければ、知人の伝でも使ってメールして来ればいいでしょうに。
あなたが私に「信」を置く置かないは、会ったこともない人に言われたくないね。だいたい、余計なお世話だっちゅうの! また、太乙神数の私が書いた部分はスルーなの。まあ独学(毒楽:毒になるものを独りで楽しんで遊んでいる状態)じゃ誰も教えてくれないから突っ込みようが無いか。しかし、まあよくも師匠筋もよくわからない伝統社会の系譜にもいない中国占術に憧れるだけで本場の学を学んでもいない(もちろん中国語喋れないし古典もまともに読めない)独学(日本で昔の人が誤訳したり理論改造に捏造されたテキストで学んだだけ)の馬の骨が、齢八十台湾の五術界を牽引し続けててき鍾進添老師に言い掛かり(自分の知っているものと違うというだけで間違っていると難癖)をつけられたものだ。よっぽど自分が正しいと思い込んでいるだけの井の中の蛙のナルシストか、唯我独尊のカルト教祖か礼儀知らず。 鍾進添老師はよくおっしゃいます。 「聞く耳があり、学術交流する価値がある人とは時間を割いてするべきだが、世の中には学が浅く“學問不通曉、根本無法溝通”(学問に精通していない人はコミュニケーション不能)なので時間の無駄。」 と言います。その通りだと思います。
あっ、でも誤植の一箇所「×卯→○丑」を発見してくれたのは、サンキューな。 悪意でもあって背景にいる子平の喜忌をいつも逆に取るイカサマ四柱推命軍団にでも踊らされているのか?
無知なだけの自分が正しいと思い込み、人様の老師まで否定する内容は許せませんな。そんな風に非常識で礼儀知らずで、やり口とか手段が根暗で陰険だから、誰もがはじめにあなたを「信」じないのですよ。屈折した性格から治そうよ!時間かかるかもしれないけれど!
最後に「ムーの記事が早い者勝ち」ならば、貴殿もジャンジャン書いて載せてくださいな。何号に載るの?ちょっとは根暗なブログからはみ出して自分を世間に晒して見ろよ。例えば、3・11のお前の六壬の解釈でもムーに寄稿して見ろよ。早い者勝ちならば載るだろ?すごく愉しみです。
ちなみに、次の私のムーへ寄稿した記事は11月9日(水)発売に載るから。貴殿が切実な読者だということは、よくわかったから、ぜひ買って読んでくださいな。立ち読み禁止ね!あっ、でも俺に「信」が置かれていないから、もう読まなくていいよ。(笑)
おしまい。
追伸
この課式は震災後、鍾進添老師が私の身の上を案じてくださったのであり、「震災後の東京に住むこと自体の危機」を占的してくださったのです。六壬は人式であり、人と人の関係である「彼我」の関係しか見られません。「地震そのものを占的の対称」にすることなど六壬ではその術数の性質上絶対にできません。六壬の用途と目的を理解していないため、そのような占的で六壬を用いる人もいるようですが、それは間違いです。
一課が師匠(鍾進添老師)で三課が弟子(山道帰一)という関係から、演繹的に鍾進添老師は六壬で課式しているわけです。弟子が死んだら、師匠と弟子の関係に異変が生じたり成り立たなくなるため、この人間関係という因果から彼我を見ているわけです。つまり、この弟子に対する危害としての地震や、そこから派生する危機を見ようとし、末伝が結果をあらわすということ。
このまま、この弟子(山道帰一)が東京にいても大丈夫かという、師匠と弟子の彼我の関係を利用して占的し、私はそのアドバイスに従ってすぐに東京を出て引っ越したわけです。
結果はご覧の通り。歩道から高い放射線量検出 東京・世田谷区
何が言いたいかわけがわからない占断結果ではなく、その回答に導かれた行動があったということです。弟子(山道帰一)が東京に住んでいても大丈夫なのだろか?という具体的な問いかけと、それに対する具体的な答え。師匠と弟子の因果関係から彼我の関係が成立し、そこから占的を絞っている。言わば東京に住んでいる弟子がいるからこそ成り立つ課式なのです。それなのに「地震」が起きた時間で課式して、地震の象意、意味があるなどとはトンデモない愚の骨頂の辻褄合わせであり、そんなものは六壬の用法からして間違っていると言わざるを得ません。六壬の用法からして知らない人の言う「六壬」など当然「信」を置けません。
また、この課式は東京に住んでいる弟子がいるからこそ、この特定の一人との彼我の関係を通じて、都民全体を見ているということに連なるわけです。もしこの弟子一人だけの危機との関係を見るならば、断易で子孫を見るということになります。
【アドバイス】 毒学と抗うつ剤はものになりません。授業料払って勉強しましょう!(笑)
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