のどかな苗栗縣三義郷の西湖渡假大飯店 で行われた第十六回世界易經大會。
この時期は毎年、東方美人茶の買い付けでこの地域に来ていますが今回は目的を異にしていました。
ロー先生のもとで風水を学んだ、言わば弟弟子にあたるアメリカ人のもとネイビー(海軍)の軍人Edward(エドワード)は、現在台湾で五術を極めるべく語学からの修行中。この大会の話をしたら喜んで参観者として参加したいとついて来ようとしましたが、ドレスコードで引っかかり前の日にギリギリのタイミングでスーツをこしらえました。アメリカ人の旅行者用のよくある出で立ちでは来場自体がNGでしたから。
そもそも、エドワードは胃腸に持病があり、ロー先生の講座で昨年日本に来てからは住む場所もなくアメリカにも帰らずフラフラしており、あまりにも哀れに思えてしょうがないから去年二ヶ月ほど我が家にホームステイさせてあげていました。その際に養生を指導してあげたら持病もすっかり完治して「五術を極めたい!」などと叫び出し、それならばまず「台湾に行って中国語からはじめてみては」と提案したらそのまま台湾に行ってしまったのです。ある意味、この元軍人のエドワードは超実践派です。
さて大会の参観者としてのエドワードは気楽なお祭り気分の傍観者だったかもしれないですが、一人の論文発表者として、異国の地、異国の言語で、五術という共通言語を頼りにコミュニケーションを試みる私は一人の孤独な挑戦者でした。
鍾進添老師が私を高徒として背中を推してくれた。これまで人種や文化の壁を超えて、私に教えを授け続けてくれた鍾進添老師に恩返しもしたかった。それは「嚴師出高徒」(厳格な師のもとでこそ優秀な学生が育つ)と証明できたら、きっとどんなに素晴らしいことだろうと密かに願っていました。
そのためには与えられた時間内で私は示さなければならなかった。自分の培ってきたものを。そう、これは自分との戦いでもあるのだ。
色々な想いを詰め込んだ15分間の研究発表は終わり、ぼくの中のこの大会は幕を閉じた。
区切り良く休憩が入り外に出ると、次々と大陸訛りの人たちが私に話しかけてきて、名刺交換を続々とお願いされた。
「あなたの講演とてもよかったですよ」と、実に多くの人たちに言ってもらえ、次々と名刺を渡してくれたのです!
一枚ももらえなかった中国大陸の人たちからの名刺が一気にドサッともらえて、名刺が束になりました。大陸の人たちからだけでこんなに名刺をもらえました。そして、次々に「一緒に写真を撮ってください」と沢山の人に申し込まれ、外に出ると休む時間もなかったほどです。
「中国語うまいですね」とか、皆が気さくに話しかけてきてくれるようにもなり、目の前に開かれた世界が変わった気がした。頭をよぎったのは、ジャッキー・ロビンソンの次の言葉でした。
もし、他人に何かのインパクトを与えるような、生き方が出来なかったとしたら、人生などそれほど重要なものではないと思う。
話しかけてくる人たちの中には、曾子南の直弟子たちもいました。私が今回の講演で示した「玄空大卦」は言わば曾子南が老舗であります。その老舗の曾子南の直弟子に「あなたの大卦の方法は私達のと全く同じ方法です。どうして知っているのですか?」と逆にたずねられたりもしました。
何を隠そう、私の師匠である鍾進添老師は曾子南とは交流があり、曾子南の率いる中國堪輿學會の名誉理事をしてほしいと、鍾進添老師は過去にお願いされたこともあったのです(断ったらしいですが)。
また更にうれししいことに私が著作を通じて密かに尊敬しており、台湾で初めて易学で博士号を取った徐芹庭博士から鍾進添老師を通じて、「山道の風水に対する考え方は私と全く同じだった」と言っていただけたことでした。
直接お話をする機会もあり、「君、これから毎年参加しなさい」と、この大会の運営者でもある徐芹庭博士から直々のご用命を頂き、大変名誉なことであります。ありがとうございました!
徐芹庭博士には現在私が翻訳を進めている某仙道書の翻訳権で、鍾進添老師を通じてご相談をしたこともあり、大変お世話になっており、この度初めてお会いできて論文発表も聞くことができ、とても実りある大会参加になりました。
ちなみに、私の風水に対する考え方の根本を示すものとして、私の論文発表は、中華民国(台湾)の学者・思想家にして外交官でもあった胡適(1891年-1962年)の名言とともに締めくくった。
「風水は科学ではない。神秘学である風水を科学的に証明しようと試みることが重要なのではなく、風水が歴史としての積み重ねをもち、蓄積された文化であるのならば、理論にはそれを示す根拠が必ず必要なのだ」と力説しました。これは現代の五術の間違った方向性を危惧する上でも重要な事です。
そして大会最終日の表彰式では、鍾進添老師と共に「最佳論文」と書かれた表彰状を頂き、とてもうしれかったです。
何よりうれしかったのは、文化、人種の壁を五術という共通言語によるコミュニケーションによって超え、一人の人間として見つめられことです。人々はきっとわかりあえるという信念と共通言語としての五術を信じ一人の挑戦者として自分の学んできたものを表現して貫き通すことで、ナショナリズムや人種差別という偏見に毒されること無くわかり合えたことが一番重要でした。
ナショナリズムや人種差別という偏見を超えて互いに人間として心技体を通じてわかりあえるという芽が、民間から芽生えてやがて大きな実をつけることを信じています。偏見で心の壁を築くのではなく、人々が互いを尊重しあえたら世界はきっと素晴らしいものになる!
一つ試練を超える度(旅)に、新しい世界が開かれる。そして、それはきっと人種や文化の壁を超え続けていく芽であると信じて、私の旅は終わらないのです。
この想いは今も旅のように続いていて、そして次々と新しい舞台は立ち現れては、新しい挑戦と自分との戦いが始まる。その繰り返しと試練にはきっと終わりはないのかもしれない。
余談
私が講演をしていると師母の後ろか席からヒソヒソ声が聞こえてきて、「鍾老師は本当に功夫を山道に授けたんだ」と言っていたらしく、師母はその人に「あの子はうちの高徒よ!」と言ったらしです。
後からその話を師母から聞いて私は思わず「恐縮です」と言ったら、師母は「ほら、あなた背が高いじゃない。だから背が高い生徒で"高徒"という意味よ」と、大笑いして喜んでいました。
私も思わずプッって笑ってしまいました。(笑)
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