最終的に参加者500名ちかくに膨れ上がった第十六回 世界易經大會は参加者数、提出された論文数ともに過去最高記録であり、最もいい形で終了したのではないでしょうか。
早速、台湾新生報 にも載っており、よく見たら私の名前も書いてありました。
記事の最後は、次のように締めくくっていたのが印象的です。
尤其寶島臺灣是中華文化的保存最具完整,易經應用與實證最具經驗之處,其意義更為重大。
特に台湾は中華文化を最も完全に揃えて保存している宝島である。易経の応用とその実証に最も経験があり、このような大会の意義はとても重大である。
参加者の500名ほどの人員は大半が世界各国で老師(教師)として、五術文化の教えを伝え教鞭をとる人たちです。つまり、全員がプロの集まりと呼べ、その参加者たちの肩書も大半が何らかの団体・組織の代表、理事長たちでした。
私は団体からの選出というより個人として出場でしたので、名札に団体名はなく「五術名家」と書かれていました。なんだか照れますな。写真は今回の参加者たちの論文集。電話帳並みの厚さ2冊の本となっています。
大会は五術家同士の交流の場であり、世界各国の五術に関わる人達との交流が目的でもあります。
しかし、中国大陸からの参加者も多いこの大会で、とりわけ日本から一人だけ参加というのはものすごいアウェー感があります。
また、到着しますと鍾進添老師とともに、お偉方が座ります舞台に席がセットされており、恐縮しながら致し方なくその席に座り、開幕で自己紹介のスピーチまでしたので、私が日本から来たというのは会場中に伝わったことだと思います。
そして、休憩時間に入ると名刺交換の時間になるのですが、「あれ、おかしいな?」と、いうことがありました。中国語は発音の違いが顕著で、話せばすぐに大陸の人か台湾の人かはわかります。大陸の人に名刺を差し出しても、大陸の人たちからは「いま名刺を持っていない」とだけ言われ、一枚も名刺をいただけなかったのです。
単なるアウェー感だけではなく、政治に興味が無い私でも現在、中国国内の日本への反日感情の高まり、そして日本では中国人への人種差別主義的な意識が際立って加速している昨今であると感じています。
ナチズムやファシズム、黒人差別という数々の人種差別主義を超えてきた人類ですが、未だにこのナショナリズム(国家主義、国粋主義、民族主義、国民主義)による偏見は消えずに、日本と中国では特に近年は棚上げされていた問題も浮上し、排他的ナショナリズムが高まっているのは悲しいことです。
特にこのような日本と中国のナショナリズムによる対立の風潮は、日中戦争から端を発し、五術の世界にも影響は顕著で、葉問(イップ・マン(1893年-1972年)は戦時中、日中戦争からの遺恨で「日本人には詠春拳を教えるな」と公言したことで有名ですが、少なくとも戦後は極めて強い人種差別主義の風潮はあったと思います。
恩師の張明澄先生(1934年-2004年)が、かつて内藤文穏氏が台湾で曾子南(1907年-2006年)より風水を学んでいると聞き、「曾子南が日本人に風水を教えるわけがない」と、述べていたこともありました。
確かに内藤文穏氏が曾子南より三元派を授かっていたのならば、もっとこの流派の技法が多く公開され日本に根付いていてもおかしくはなかったことでしょう。残念ながらそうはならなかったのが現実だったと思います。
実に五術世界にもこのナショナリズムや人種差別主義が反映され閉鎖的な世界が形成されていたことは近年までは、否めない点ではありました。
それは日本国内で中国人に対して人種差別主義の発言をする人達がいるように、中国国内でも同じく反日感情があるように、世界はいつでも閉塞的な壁を作って大事なものを覆い隠し、文化交流が容易には成し遂げられないのが悲しい現実なのではないでしょうか。そして大事なものとは排他的なナショナリズムや人種差別を超えた私達、人間と人間の心の交流なのではないでしょうか。
だからこそ、私達が新しい世代がこのような差別的な現実を変えていかなくてはならないのだと痛感します。そして、それは民間からはじめる一歩だってあるのだと、同じ五術文化という言語によるコミュニケーションの行き着く先が見たかった!そんな私の希望がありました。
500人ちかい参加者から論文発表のチャンスを与えられた栄えある17人の一人として、私にできること、私がしなくてはいけないこと、それは最高のプレーで応えることであり、人種差別主義や排他的なナショナリズムに応えることではないと自分に言い聞かせました。
今回、私が用意した「宋易與三元派風水」の小論は、三元派と呼ばれる卦理分金派(玄空大卦)と、元運派(玄空飛星派)の二つの技術の母胎の分析、そしてそれらの技術が流派や主義主張を超えて、二つの術理に共通する易の思想を開示した論文校正となっています。
私が出会ってきた実例を通じて、二つの術理面からの解説で現象を読み解いていきます。
実例を出し、術理とともに解説するということは、その技術を私がどういう思想のもとに、どういう技法への理解で使用しているかを説明することでもあります。
大舞台で、そして全ての人々が老師と呼ばれる教師たちの前で、15分間熱演のプレゼンをさせていただきました。
試され続ける自分への試練と挑戦。眼に見えない壁を自分が一人の挑戦者として超えたいという想いと、きっと超えられるという信念を武器に臨んだ大舞台。
黒人初のメジャーリーガーと呼ばれる ジャッキー・ロビンソン(1919年-1972年)は次のように言います。
「不可能」の反対は、 「可能」ではない。
「挑戦」だ!!
易理に精通した鍾進添老師による、易と生活、そして人々の思念と易の関係に触れる奥深い名演説のすぐ後の発表ということもあり、緊張の場面でした。
鍾進添老師の講演は非常に白熱しておりました。
そんな老師のすぐ後を受けて、私の講演の番となりましたが意外と自然に喋れて、用意していたプレゼン資料と講演も連動でき、直前に仕上がったスクリーン用の講演資料をパラパラとめくり、要所要所を的確に解説できたのではと思います。一番気をつけたのは中国語の発音でした。
終わって席に戻ると、鍾進添老師からは「山道、君は私にとても面子をくれた」と言われたのが一番嬉しかったです。
正直、自分の研究発表がどこまで本場の五術界で通用するかを試しに来た自分への試練だと思って臨んだ今大会、この舞台でした。
ドイツの文学家であるミヒャエル・エンデ(1929年-1995年)の次の言葉に思わず五術のあり方を重ねてしまいます。
ファンタジーの舞台は存在する。しかしそれぞれの人にとって何が大事かは自分で見つけなくてはならない。それを見つけさせるのが文学や芸術だ。
そう、私にとって五術とは文学や芸術と何一つ変わらない。
五術が私の人生にとって何が大事かを教えてくれた。
そして、この講演の後に何が起きたかは次回に書きますね。
世界易經大會3に続く
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