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2008年4月
2008/04/26 15:10:59
ある戦士との対話

 昨日、台湾より戻りました。ただいま。

 今年のテーマは、社会にある既存の豚どもの頭にネリチャギ(かかと落とし)を喰らわせることです。

 そのあたりを考慮して始まった『わが闘争』。

 賛同者・優秀なソルジャー募集中!

 「この腐った世界を変えよう!」

 4月22日「台湾で、優秀なソルジャー発掘!」

 隠遁して隠れてたのをダニエルが発掘!

 おまけにやる気ゼロだったので、ダニエルが、命の炎を吹き込むことにより、現場に復帰を決意。

 来月、急遽来日。ダニエルと二週間、巒頭の旅に出ること決定!その内容は、テキスト化、もしくは本として出版します。

 出版社募集!

 というのも、このソルジャー台湾で、10冊くらい本を書いとるんじゃけれど、「ダメじゃん! これ、台湾でしか使えないじゃん!日本の陽宅とか巒頭みにきんしゃい!」との呼びかけに応ずる。

 ちなみに、このソルジャー台湾でものすごく実力があることで有名だったが、「風水開運」という言葉を使わないのに加え、「風水開運とか言う奴は、皆ウソつきとペテン師です」と、テレビでも三年間に渡る討論したせいで、台湾中の風水師たちの生活を脅かすものとして扱われ、社会から抹殺された。

 小っこい電池が直列に繋がると恐ろしいことが起こるもだ。

 そう、この怪物は社会で善人ヅラするイカサマ風水師たちのありとあらゆる権謀術数を持って、「異端児」として闇に葬られた。

 この最高のソルジャーの噂は、かねがね前から聞いていたが、今回の旅では、思うところあって、会うことに決めていた。

Img_7909Img_7914  どうにか探し当てて、家に着くと、部屋は2畳一間で、半分は汚いベッドと本たち。服はわずかに数枚しか持っていない、それと洗濯機と炊飯器だけの生活。もちろん、独身で、ペットはノミ以外、飼っていない。

 この監獄に座って、全てを理解したダニエルは、目の前をピョンピョンはねるノミを見ながら、この廃人相手に静かに語りだしました。

 ダニエル: 「剣を取れ!この路地裏の片隅が、お前の歩んできた道の終点か!」

 あるソルジャー: 「俺は出家者だぞ。この生活に満足しているんだ。俺にかまわないでくれ!」

 ダニエル: 「この生活の中に、お前はいない!というより、お前を感じない。あの三年間の戦いはなんだったんだ!」

 あるソルジャー: 「全てだった。金儲け主義に陥った風水が許せなかった。だから、俺は全て公開した。師をも裁こうとした。」

 ダニエル: 「いいや、お前は後悔して、ここにいるだけだ。あんた負け犬だよ。」

 あるソルジャー: 「お前に何が分かると言うの?」

 ダニエル: 「全て、お見通しだよ。あんた背中がすすけているぜ。」

 あるソルジャー: 「・・・・・・」

 ダニエル: 「もう一度、立ち上がれ!心が負けを認めた時点が負けだ。お前の生活は、一見負けを認めた自暴自棄に陥っているが、俺には、わかる。あんた、まだ負けてないぜ。負けたフリを装っているだけなのを、俺は知ってるぜ。ほら、見なよ。あんたまだ、この狭い部屋を圧迫しつくしている、この膨大な本を捨ててないのは何故だ?俺に、わかるように答えろ!」           

Img_7906_2 ぼくは、この時、このソルジャーに自分を見出していた・・・。妙に自分と、この戦士がダブる。そう、「この人も、ぼくと同じく、全てを失ったんだ・・・」。もう一人の自分との対話が始まった。その時、私は、彼であった。彼は、私であった。そう、こうやって、ぼくらの心は繋がって行く、これが、五体の中が一つ「神(精神活動)」が、ほとばしり、情報が交錯し始める瞬間だ。ぼくの神は、研ぎ澄まされたナイフのように鋭く、相手の心を突き差しはじめた。これが、ぼくの武器だ。精神のカゲに吹き溜まった悪い血は、流さなければならない。その日、血は涙と共に流された。
 

 あるソルジャー: 「.。.。.。.。.。」

 ダニエル: 「俺は、俺の戦いに行くぜ。ただ、もし、もう一度剣を取るならば、俺に連絡をくれ。あんたが、10年前に後にした戦場に、今俺はいる。」

 その日、その場を後にした。

 ただ、振り返らなかったが、声にならない声を聞いた。嗚咽だった・・・。

 全てを失ったことから逃げるのではなく、それを受け入れることのほうが悲しいのだ。
 ぼくには、その苦しみが分かる。今は、静に「おやすみ」。

 次の日、私は、このソルジャーから連絡が来る確信を持っていた。戦場にいるものの研ぎ澄まされた特殊な嗅覚だ。戦士は、戦士を見分ける。そして、案の定、このソルジャーは、私に連絡をくれた。

 あるソルジャー: 「今すぐ、会いたい。」

 そして、このソルジャーは、ダニエルと風水漫談に耽け入り、きっと、昔、戦場を駆け巡った、若き自分を私に見出したに違いない。そして、戦場に再び戻ってくることを誓った。

 このソルジャーは生意気にも(と言っても私より、二回り年上だが・・・笑)。
 
 あるソルジャー:  「お前のような若造一人じゃ、危なっかしくて、見ちゃいられねぇ。それに、この戦局は、お前一人では、打開できまい。なんせ、わしが苦戦して、てこずった戦場じゃぞ!」

 ダニエル: 「そう、あんたの戦場だった。今もね。」

 そう、この戦場にあって、我々同志には、自他という区別がない。同じく勝ち得た、この認識の線上にいるのだ。

 このソルジャーになら、背中を任せてもいいと思った。

 振り絞ってまで、拡大化させた神(精神活動)を今一度、深呼吸のように自分に戻す。

 いつだって、この「精神」が最大の武器なのだ。

 世の風水師たちにとって、真実よりも、生活のほうが大事なのかもしれないが。我々は、真実のない生活など必要ない人間たちなのであって、それが故に戦士なのだ。

 そして、この戦士は、見事に「この最底辺の生活」を演じることにより、見事に証明して見せたのだ。真実のほうが生活よりも大事だと。そう、この戦士は、この狭い部屋で戦っていた。そして、ぼくと共に歩んで行こう!次の戦場へ!

 戦場とは、「己の信念を曲げず、真実を追究する」ことに他ならない。つまり、己の信念を曲げず、真実を追究する者達の生活は、即ち戦場なのだ。その戦場で勝ち得た武器が、剣であり、認識である五体で言う「識」なのだ。戦場に行き(真実を探求する生活を営む)、勝ち得た剣(識)を頼りに、新たな戦局(偽り)を切り開く。

 真実のない生活など、ただのやかましい日常に過ぎない。それならば、トラックにでも轢かれて、違う世界に行くのも、ドラックのやり過ぎで、違う世界に行くのも同じ事に他ならない。この退屈な日常に埋もれたくないならば、戦わなくてはならない。偽りと嘘で固められた世界は、もう、うんざりなんだ。

 ぼくらは、ある戦地に趣く前のひと時を語らいあった。

 別れ際、我々は吼えた。

 「必ず勝つぞ!」

 その時、ぼくはこの老兵の牙を確かに見た。

 そう、おのれの存在を完全に築きなおすためには、自分の経験を実際に用いるということにほかならぬ。

 ぼくも、あの震えて凍え、止まってしまった時から、もう一度自分を構築しなおしたように。

 4月22日、この戦士との出会いが、将来の戦局を左右することを理解した。



                     <関係ページ>

                    「ある戦士さんとオレ物語(日本篇2)」

                    「ある戦士さんとオレ物語(日本篇1) 」

                    「ある戦士さんとオレ物語(台湾篇1) 」

                    「戦士の涙」

                    「ある戦士との対話」



 

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2008/04/19 23:00:00
張明澄先生のお墓参りⅡ

Photo  この員林という大地に立ち気づいたことは、太陽を抱くような、まるで何かの懐に潜り込んだ温かみでした。それは、何かに守られているような感覚です。なるほど、上空から見ると台湾の中部で西の海に面した員林は確かに、一匹の龍が湾曲して懐に員林を抱いているようにも見えます。

 きっと、張家は、この龍と縁(ゆかり)が深いのでしょう。

 いつも、見知らぬ新しい町に来ると、想像したりします。それは、ぼくが「If シリーズ」と呼ぶ連想です。「もし、この町に自分が生まれたらどうなってただろう?」と、時間を遡って想像してみたりします。

 員林での「If シリーズ」では、2種類の選択肢が出てきました。

 ① 割りと早く結婚して、幸せな家庭を持ち、五術とか言われるものと全く関係ない生活をしている。

 ② ゆったりと流れる時間が、自分の志向性に消化され、強靭な自分の思想を練り上げ、この町に収まりきらなくなり、もっと広い世界へ羽ばたく。

 張明澄先生は、明らかに「②の選択をした人生だっただんなぁ」と、思いながら員林を眺めてみると、員林が自分を退屈させるだけの恐ろしいものに見えたりもする。また、①の選択で員林を眺めると、「ああ、穏やかだ。癒しだね。平和だよ」なんて、くつろいでしまう。

 この日、点と点を結びながら橋渡しでたどり着いた街角の小さな病院で出合えた張先生の弟さんである張春男さんは、明らかに①の選択をした御仁でした。

 員林で、医業を営む張春男さんは言います、「皆、父親の影響で、医術に対しての造詣は深いが、兄貴だけが、曾祖父にあたる王文澤からの家督を守り、五術全般に精通していた」。

 張春男さんは張先生に目元がよく似にています。お互いに、紹介を終え、開口一番に「どうやってここに来たの?」と、聞かれましたが、答えは簡単で、「導かれるままに」です。

 次は、ぼくが質問する番です。ぼくは恥ずべきことに、嘘をつきました。

 「張先生のお墓はどこにありますか?」

 そう、本来無いとされているはずのものですので、ぼくはこのように言うことしか思いつかなかったのです。というのも、隠されている可能性があるからです。

 一瞬怪訝そうな表情を見せた張春男さんは「ああ、兄貴の墓ね」と言い、「○○村にあるよ」と、言いました。

 「ああ、やっぱりあったんだ張先生のお墓!」と、ぼくは今回の旅の目的達成に安堵しました。
 一人の弟子として、「お墓参りしたいのですが・・・」と、切り出すと、「兄貴の許可が必要だから電話して聞くから待ってて」と言いました。

Img_7365  なんと、張先生のお兄様である長男の明彦さんは、まだご健在だったのです。しばらくすると、張明彦さんは病院にやって来て、「明日、もう一度来てください」と言いました。ついさっきまで、受付の人、二人に「張家?知りません。」といわれた病院が一瞬にして、張家の人のたまり場に・・・。「もう、黒いジャンバーを着るのをやめよう」と、自分に言い聞かせました。 
 その日の夜は、梅山に行き、一泊し、次の日の午前中にまた員林に来ることにしました。
 ちなみに、張先生のお兄様である明彦さんは、文学を研究なさっている方で、日本文学にも造詣が深く、日本語を日本人と全く変わらないレベルで話します。それ以上かも。
 その日は、色々な想いが頭を過ぎり、交錯しました。というのも、遺言に従って、散骨されなかったと言うことは、「明澄透派を十三代で閉めるのではなく、十四代目を決めなくてはいけないということを示唆しているのでは!?」と、もう、今はいない張先生が、何をどう思って、今の状況が作り出されている象意なのか読み解かなくてはいけないと、残された想いをたどった壮大な旅が逆にはじまってしまいました。現実に迷ってしまい、こころが震え始めました。

 「どうすればよいのか分からない。」
 「次の点は、どこに?」
 「次のドアは?」

 老師の死を受け入れ、現実の悲しみに浸ることを拒むかのように、現実に迷いながら、次のドアを模索しながら、いつしか疲れきっていたため、眠りに落ちていったのだと思います。

 もしくは、この現実の思考の中には、答えはなかったのかも。  
 
 「・・・次のドアは?」

 やっぱり、ぼくは夢を見る人。
 これは、ぼくの祖母からのギフト。

 さっきまで、自分が考えていた記憶が残ったまま、世界だけがゴロンと変わる。そう、そこは夢の世界。
 
 ぼくは、いつしか川原で寝転がっていて、目が覚める。

 すぐに、ここでこれから起こることを理解した。辺りは、一面石ころが転がる川原で、ぼくは深遠な緑色、翡翠の様に澄んだ色で、緩慢と流れるゆうに河幅100メートルはあるだろう、河の向こう岸に一人の人影を見つけた。

 「張先生!」

 すぐに拝師した。

 互いの声は聞き取れないほど、河幅は広い。白い服を着た張先生の声が聞こえない。
 おもいっきり叫んだ。

 「どうすればよいんですか?どうれば・・・」

 朝のアラームが、耳元に響き夢から醒める。だが、不思議と頭はすっきりしていて、昨日までの思考の複雑さが一切ない。

 ただ、頭が馬鹿になったように何も考えが湧かずに、「張先生のお墓参りに行かなくちゃ」と、自分の思いついた行動に従うかのように、慌ただしい朝を駆け巡る。正確には、お墓ではなく、納骨堂だ。そこには、代々張家の方々が眠っている。お父様の張木さんも。

Img_7662 張先生の納骨堂は、きれいな龍穴の上にあり、穴を守っている構造になっているので、安心しました。張先生を含む張家の八兄弟は、四人が日本に行き、張先生を含む日本に来た三人が、『中国人名事典』にも載るほどの研究者として大Img_7675_2成した。残りのお一人である張武彦さんも、日本で歯医者として立派に開業医を営んでいます。台湾でも、大学でお一人教鞭をとっています。また、お兄様の明彦さんも、日本の文芸思潮に日本語で書いた小説が掲載されたり、小説家としての活動にも、目を見張るものがあります。
 
Img_7940 弟さんの春男さんも、台湾の呂秀蓮副総統から「神医」と評され、感謝される看板まで送られるほど、評判のお医者さんです。6人が研究者として名を馳せ、2人がお医者さんになりました。

 ちなみに、こうやって張先生のご兄弟を分析すると、ぼくが員林に着いたときにやった「If シリーズ」で、見事に二つに分かれて、四人が日本に行き、四人が台湾に残ったと言うことになります。どちらの選択肢が良かったと、そういうのはなく、生き方だったのだと思います。

 この日、お兄様の明彦さんに案内され、納骨堂にたどり着くことが出来た。長い道のりだった。三年越しの。納骨堂の二階にあるロッカーの一番下に、「張明澄」と書かれていた小さなドアがあった。拝師したまま、頭がただ呆然とした。

 普通は、ここで自分の名前をいわなくてはならない。だが、後で振り返ってみると、名前を言うのも、忘れてただ呆然と立ち尽くした。起き上がると、横にいた明彦さんの目が潤んでいた。

 明彦さんは言う、「私と明澄は、二年半しか年が歳がかわらない。兄弟の中でも、一番近く、一番仲がよかった・・・」。

 そして、この「ドア」に向かう旅もここで終わるはずだったのかもしれない。あの夢さえなければ・・・。


 今回の旅で、巨人張明澄についての自分なりの見解と理解を得たのは、大きい成果でした。

 一言でこの成果を言うならば、「巨人張明澄は、やはりケタ外れの人間だった」という、事実を再認識したことです。

 張先生のお兄様は言います、「明澄は、膨大な古典研究をした。そして、現代の解釈を持って、その古典を甦らせた。明澄ほど、古代漢文を自在に読める人間は、中国大陸でもそうはいないだろう。仮に何人いたとしても、古典の中で展開される古代世界観をそのまま、現代の世界観に持って来れない。明澄は、現代の思考をもって、古代思想を読み解いた。つまり、明澄の最大の功績は、現代解釈で古典を復活させたことにある。そして、古典に入り込むだけではなく、現代の解釈に打ち直すという作業は並み大抵の作業ではない。明澄は、日本に現代解釈に読み解かれた五術の歴史と文化を伝播したのだ。」

 まさに、明澄先生は、タイムトラベラーだった!
 何という、識の高さだっのだろう!

 そして、家族に愛された太陽のような人間だったという事実が、ぼくの心を暖かくします。

 張先生のお兄様、明彦さんが言いました。

 「あいつは、40歳を過ぎて近視になった。普通は、若いときになるが、その年齢で近視というのは、あまりない。尋常じゃない読書量が明澄の視力を奪っていった。日本に行ったとき、あいつは言った「多分、日本で私以上に本を読んでいる人間はいない」と。自分の弟のことを言うのもなんですが、一代の突出した天才でした。また、あいつは就職もしないで、日本で自分の力で、二人の娘を立派に育てた。」

 こんな言葉を家族からおくられる張先生を素直に尊敬しております。

 張先生が生前、「兄弟って良いものだよ」と言っていたことに深く納得です。晴彦さんは、素晴らしい張先生のお兄さんです。語る言葉一つ一つに愛情が満ち溢れ、そして、明るく振舞う言葉とは別に物寂しそうな顔をたまに見せます。

 中国では、亡くなった人を弔問するに際して、亡くなった人の思い出話をみんなで明るく話すことが大事なのです。そうすることで、亡くなった人が喜ぶとするのが慣わしなのです。

 この日、明彦さんと、春男さんと三人で、語らい、笑って、張先生の思い出の回廊に入り込み、張先生とまた会うことが出来ました。

 ちなみに、ご家族の方にお墓のことで、ウソをついたことを正直に話しました。ただ、うなずくばかりでした。

 また、この日見た夢のお話をご家族の方たちにお話しし、「十三代続いた明澄透派を絶やすな、ということでは?」と、ご説明したところ。こんなあやしい夢の話に疑い一つ持つ様子なく、聞き入ってくださいました。これが、張先生より教わった心と心の偽りないコミュニケーションである「神功」です。言葉よりも多くの情報を「神」で伝えるのです。つまり、心が語り合う世界では言葉なんて要らないのです。

 そして、第十四代目を決めることに同意してくださいました。ただし、張先生の奥様からの許可が必要ですが。

 その後、家族の方も知っているということも手伝って、張明澄(耀文)先生の台湾時代の師兄(兄弟子)である黄耀徳先生に白羽の矢が立ち。黄耀徳先生と会うことに・・・。

 この後の偶然に次ぐ、偶然の展開は、ブログで公開できないことをご了承ください。

 ただ、一言いうならば、「大手印までいった張先生の残した掌(てのひら)の上を、もしくは、プログラムをトレースしているんだなぁ
」と、感じました。

 明日また、ご家族の方にご報告することがあるので、員林に行きます。

 今ぼくは、次のドアを見つめています。


                         <関連ページ>

                        張明澄先生のお墓参りⅤ
                        
                        張明澄先生のお墓参りⅣ

                        張明澄先生のお墓参りⅢ

                        張明澄先生のお墓参りⅠ

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2008/04/18 23:00:00
張明澄先生のお墓参りⅠ

台湾の員林に来ています。Img_7344  台湾にかれこれ四年くらいいたにもかかわらず、ここに来るのははじめです。雄大な水田に、色々な果物の産地として知られる場所ですね。

 今回、台湾に来る前、師兄(兄弟子)の東海金さんと、張明澄先生のメモリアル記念サイト作成の打ち合わせの中で、張先生のお墓の話になり、「遺言に従って散骨さ れてお墓ないんじゃない」という部分から意識が離れなくなImg_7264り、思い切って、調査することにしました。

 確かに、張先生自身が「火葬の場合は、散骨して骨を撒いたほうが風水的に良くも悪くもなく一番無難だ」と言っていたものでした。

 「お墓があれば、お墓参りをする」ことが目的で員林に来ましたが、手掛かりが、あまりにも漠然としていたので、張先生のお父様がかつて、開業していた張木医院の住所を阿藤大昇さんとお弟子の山内綾二さんに調べていただきました。ちょうど出発の時で、車に乗り込んだ瞬間に電話があり、お電話にてかつての住所を教えていただきました。先行きの良いスタートです。そして、それを皮切りに探しはじめたのですが、既に三十年前以上の住所のため、住所自体が存在していないため、調査はひどく難航しました。

 員林の区役所に行き、調べたり、戸籍課に行ったり、色々とチャレンジして、区役所から、まんまと個人情報を奪取し、いざ張木医院跡地を訪問。

Img_7336Img_7341 はじめから、楽にはたどり着けないとは、思っていたのですが、午前10時から出発して、夕方の5時ごろまで、区画整理によって失われた住所を何度も迷いながら、たどり着いた場所は・・・肉豆腐屋さんでした。

 なんだかお腹も減っちゃて、ここで肉豆腐でも買って食べて「良い思い出だったよ。張木医院の味がしたよ。」と、自分に言い聞かせようとしました。
 Img_7349_2  Img_7360
 「がんばった、ベストを尽くしたよ。さぁ帰ろう」とも、一瞬思いもしました。

 しかし、「張先生から受けた恩や教えは、こんなもんじゃないだろ!」 と、自分に言い聞かせると、なんだか活力が湧いてきて、聞き込みを再開しました。というのも、2004年11月3日に張先生が鬼籍に入られて以来、もう三年近く経ちました。儒教の慣わしに従って、遺族の方々が喪にくれた三年を譲ったとしても、我々弟子も、張先生を偲ぶために、もし遺骨が散骨されずに残っているならば、ご挨拶に行かしていただいても良い頃合ではないでしょうか。

 確かに、挨拶なんて来られたら、迷惑なだけな輩も沢山いるでしょう(破門された人たち)。

 だから、家族の人たちは、意図的に張先生に係わった人たちを死後に全てシャットアウトしているのでしょう。その意識されたバリアを超えてたどり着くために必要なものは、意識されたバリアを上回る情熱しかないのだと自分に言い聞かせました。

 また、張先生に破門されていない弟子たちは、ご挨拶に行く資格と権利くらいは持ち合わせているのではないでしょうか。むしろ、遺骨が散骨されずに残っていたら、我々はご挨拶に行かねばなりません。

 そのため、末弟の弟子が山道、「遺骨は必ず残っている」ことに賭け、必死になって、区役所、公安所に行き、個人情報の奪取から始まって、現地の人に聞き込みしたり、なんだか刑事みたいになって、調査を試みました。

 きっと、張先生だっておっしゃるはずです。

  「そんな弟子がいても良いじゃない」と。

 この日何度も、調査の壁にぶつかり、思考回路を振り返っての再スタートが幾度となく続きました。

 きっかけは、区役所で知り合った員林の県長さんに導かれて行った病院が原点となって、そこにまた戻ることにしました。困ったら、原点に帰る癖が抜けない。これは、きっと良いことなのでしょう。しかしながら、この病院の受付のお嬢さんに、「昔、この辺りにあった張木医院って知ってますか?」と聞いたら、即「知りません」といわれた場所に戻るのは、躊躇があった。

 しかし、肉豆腐屋の近くで聞き込みをしていたとき、拝拝用の線香屋さんのおじいちゃんが、その住所に、張木医院の息子さんの一人が病院を経営しているというものだから。また、戻るしかないだろう。

 だんだん、迷子の子犬のように自分が惨めになってきた。

 しかし、放逐された後の世界は限りなく広い。そして、これは自分が習ったもののルーツを探す旅でもあった。いつも、始まりと終わりはひょんな所に潜んでいるものだ。

 正直、一回目に来た時、三秒で「知らない」と言われたのだから、ここは違うんじゃないという先入観を拭い切れないが、二度も同じ場所を指し示すこのコンパスの先にある磁力を見極めなくてはならない。

 もういい加減ストーカー扱いされたらどうしようと思いながら、病院に入ると受付のお嬢さんが違う人に変わっていました。

 もちろん、今度も、張木医院や、張家という言葉に反応なし。

 さて、どうしたものかと、途方に暮れ、病院を出ようと後ろを振り向くと、張先生に似た男の人が立っているではありませんか!

                         <関連ページ>

                        張明澄先生のお墓参りⅤ
                        
                        張明澄先生のお墓参りⅣ

                        張明澄先生のお墓参りⅢ

                        張明澄先生のお墓参りⅡ

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