「血は水より濃い・・・」。
確かに、そうかもしれない。
しかし、「伝灯(伝統)は、血よりも濃い」・・・。
そう、実感している。
人知れず、辛い道を歩んできた。それは、涙なくして語れない。
ぼくらは、複雑に紡がれた糸が解けるように、出会ったんだ。張先生の兄弟子・黄耀徳先生の息子である黄顕釣さんに。
ぼくと、兄弟子の東海金さんは、いつの間にか涙ぐんでいた。
黄顕釣師兄(兄弟子)は静かに、重く語り始めた。その口調には、真心が込められ、ぼくらは、ただ、悲しくなった。「私は、4回も張先生を探しに、日本に行きました。張耀文先生に、知らせなくてはならなかったので。父、黄耀徳が亡くなったことを。張先生が日本に行ってから、何度か帰ってきました。でも、長らく音沙汰がなくなり、ずっと、張先生の心配をしていました。電話も通じず、教えていただいた日本の住所も探しました。でも、そこに張先生は住んでいませんでした。それ以来、ずっと心配していたんです。私は、住所を変えることなく、この靈星閣で、ずっと連絡を待ち続けたんです。いつか、連絡があると思ったから。」
その連絡が、今日やって来た・・・。正確には、最後に言えなかった一言、言霊が、すがたを変えて、連絡手段を変えて、遅れて二人のものからもたらされる。黄顕釣さんの「ずっと心配していた」・・・この一言に、我々は胸を打たれる。我々は、、また砕け散ったピースを合わせ始める。そして、明るみに出て灯されて行く。一歩、一歩と近づく、光を求めて。
黄顕釣さんの父上である黄耀徳先生は、張耀文先生とは、兄弟の契りを交わした義理の兄である。そして、黄耀徳先生は、張先生に自分の名前の一部である「耀」をおくった。
黄耀徳先生は、1992年に亡くなっていた。
我々三人は、血よりも濃い絆によって、ここで再び出会い。ここに互いに亡くなった老師たちが、時を越えて邂逅する。二人の老師が、また出会っているような不思議な空間が演出され、この時間のなかに、ぼくらは、ただ揺られていた。それは、神秘的だった。
そして、張先生の一番初めの弟子が、黄顕釣さんだった。ここに一番最後までが繋がり、 ここまでの辛い道のりを 語り合う。
残酷な現実が、我々を引き裂き、 我々はより一層強く導かれた。そして、いくらでも、がんばれる気がした。嵐の日も晴れの日も共に歩もう。ぼくらは、ここで互いを兄弟と呼びあった。そう、時を超え、またこの靈星閣からはじまるんだ!
黄顕釣さんは言う。「当時、靈星閣に集まった中では、私が一番若かったです。靈星閣の顧問を務めていた父の友人にして、義理の兄弟でもあった張耀文先生から、子平をはじめとする五術を教わりました。張先生は、当時から天才と騒がれ、私の自慢の先生でした。」。
張明澄(耀文)先生は、私達の自慢の先生でした。
拝師帖
弟子・黄顕釣
弟子・東海金
弟子・清松
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