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世知辛い世の中です。
張先生が可愛がっていたお弟子さんの住職のお墓参りをしてきました。お盆ですしね。
そのお弟子の住職さんは、既に他界していないのですが、娘さんが跡を継いで、南華を名乗っているとのことで、娘さんにお会いし、張明澄記念館にことばを寄せていただこうかと思っていましたが、奥様にしか会えませんでした。
娘さんに会いたいといっても、「忙しいから」とのことでした。
残された弟子が集結し、力を合わせて団結しているのに、悲しい話ですが、門前払いです。
門前払いの寺小僧状態。(。♋ฺ‸♋ฺ。)
別になんら恨み言はありません。
もともと、鬼退治で、南華を名乗るのをやめてもらうか、南華の今後のあり方を相談する心積もりで行ったのですから。
とりあえず、自分は礼を尽くし、お墓参りをしてきましたので、礼節は通しましたぞ。
ちなみに、そのお弟子さんであった住職さんのお墓は、張先生が作ったのですが、何か設計に手違いがあったようで、明らかに失敗しています。
また、一番の問題は、このお寺の山に流れてきている竜が、「死竜」だと言うことです。正確には、ほとんど死竜化しています。
死竜というのは、もうほとんどエネルギーのない竜ということです。つまり、格局で設計されていても、エネルギー不足は補えないでしょう。
つい、こういう現場を見ると、原因を追究してしまいたくなるのが、ぼくの悪い癖です。>.<
大きく分けて、二つの風水上の要因ですね。
一つ、近年、父母山に当たる八面山を這うように、観光名所である青の洞門方面に抜けて行く裏道が山の中腹にでき、そこは、ショートカットコースとして、タクシー業者の間で人気です。狭い山道ですが、タクシー関連や地元の人たちが、頻繁に利用する使える裏道と化していました。そこは、竜の首の部分で、首が分断されている状態です。
*青の洞門は禅海が山国川のほとりの競秀峰のすそに掘ったトンネルで菊池寛の小説「恩讐の彼方に」でよく知られています。私は、この地にも「恩讐」を感じました。それは、後の部部にて書いてあるので、長いけれど、興味ある人は呼んでね。
二つ目として、植林が大地から急速にエネルギーを奪っています。とくに、白虎砂、青龍砂の植林は止めるべきでしょう。手から壊死し始めている状態です。
瞬時に、問題を見出し、瞬時に分析する。そのためには、地道な足を使った作業が重要になります。炎天下の中、タクシーもない山道を一人で永遠と歩く。おかげで日焼けしちゃったけれど、張先生の手がけた陰宅のオマケと言うことで、このお寺に助言を与えてあげたかったのです。
いや~、こんな素敵な対応をしてくれたのに、オレはどこまで、お人好しなんだろうか。もう、こんなオレを卒業しよう。(。◕ฺˇε ˇ◕ฺ。)
もともと、南華の復興のために、ご協力できることや、いくつか相談したいことがあり、お伺いしたのですが、どの道、この場所では、復興は無理そうです。
もちろん、腕の良い風水師がテコ入れすれば話は別ですが。
それが、門前払いの寺小僧だったりして。(^.^)
張先生が設計したお墓ならば、その陰宅の未来への警鐘として「薫徳賦」が残されているはずだから、今こそ開けて読むべし。
徳や功夫の高い僧たちは、自分達の住んでいる地域周辺の風水(気の世界)にも敏感で、おかしなところがあれば自分達で修繕する。また、そういった「山」の能力を持っているのが、当然、徳や功夫が高いことの実証なのだが・・・。ここを見る限り・・・功夫の高さ、おして知るべし。ヽ(`△´)/
もう、人に会いに行くとか、そんな馬鹿な真似するのは、金輪際やめよう・・・。なんだか、虚しくなっちゃたよ。
こうやって、「オレも大人になって行くんだなぁー」とも思いました。 ( ・ノз・)
まあ何よりも、場に本来、来ていたエネルギーが、波が引くように去るのも、人から徳がなくなるが如しで、人の問題でしょう。
そして、ここが今後大きく没落して行く要因は、目に見えない世界からの攻撃未だ止まずと言ったところでしょうか。
ちなみに、墓から発する後光が赤い球体が大きい粒のように広がっていたので、あまり、楽に死ねなかったのかなと思いました。
もしくは、死後も恨みを持たれているケースもありますが。また、白い糸が蜘蛛の巣のように、その墓を包み込んでいるのを見ました。その奥様に対してもその触手は及んでいました。その意味は、ちょっと、ここでは書けないですが、ある種の宗教抗争に巻き込まれ、「やられたな」と思いました。
糸は識を絡め封じます。もう何も知的なものを世に問う作業である宗教の布教などは難しいですね。また、痴呆症とかが一家の間で起きます。
悲しい話ですが、宗教の世界も、人間の社会生活と同じで、弱肉強食です。
そして、弱い部分から攻撃され、死に絶えて行くという恐ろしいルールがあります。この陰宅に触れて、「張先生もここから巻き込まれた」のかという、深いため息と共に、暗い気持ちになりました。
人間は、苦しんで死ぬとバカになってしまいます。これは、悪い意味のバカではなく、悲しい意味でのバカです。つまり、徹底して、識を鍛える南華と言えど、死に方一つで、バカ=悪い方向に識が解体してしまうのです。
そうすると、積み上げた功夫も生きている時、一代の巧功に過ぎなかったと言うことになります。
これだけ強烈な念を送り込んでくると言うことは、野球で言うと、背景にメジャーリーガー級がいるということになり、かなり厄介ですね。人は、隠された本当のに伝統宗教の裏側の顔を知らないのです。
そこは、命をかけた修行者、修練家たちの世界であり、究極のアスリートの世界、即ち五術の一つ「山」の世界なのです。
この寺と今までの南華に見られるような、ぬるま湯につかった南華では、それらの厳しい鍛錬を自分に課し、一分一秒たゆまず、走り抜けてくる「己が功夫のみが信仰」という狼の世界から自分の身一つ守ることが出来なかったのです。
大きな夢が小さな夢をバクバク食べる恐ろしい世界です。狙われたら意識することなく、気づくことすらなく、作り上げた悪夢に誘導されて行く。そして、それは現実の社会そのものでもあるのです。
それは、ニーチェやグルジェフが言う人間と「超人」の間に架かっている橋を通ってくる恐るべきものたちなのです。
それを高齢に差し掛かって、アスリートであることを既にやめて等しい張先生をこの亡くなった住職が生前、自分で処理できなくなって、巻き込んだのは悲しい話ですが、それに関してはここでは何も言いますまい。
南華密教の精髄である六法を己を高めるために修養せず、檀家の遺族から、大金を荒稼ぎするために南華を利用する「ぬるま湯」の南華の方々に何をお話したところで、「燕雀安知鴻鵠之志哉」とでも言いましょうか、ぼくが見たもの感じたもの、考えたこと、全て、素直に話しても理解するのは不可能でしょう。
そこで近年、三回も掘って、必死につくった湯布院にあやかるプラン「金色温泉」から出る湯と同じで、「ぬるま湯」なのです。「ぬるま湯」の温泉を利用するために、温泉は、もう一度沸かして利用するように、「ぬるま湯」では使い物にならないのです。
湯布院は、風水的に価値のあるエネルギーポイントなのですが、その模倣をしても、大地が持つエネルギーは、模倣できないのです。その温泉と同じで。
つまり、南華が如何に素晴らしいものであっても、修練するものが、ぬるま湯に浸かっていたら、結果は、いわずと知れたことなのです。
この問題は、立ち入ること自体が、生命の危険性を持つので、お人好しのぼくがここで踵を返すことができたのは、ある意味ラッキーでした。風水の二つの大きな問題と、メジャーリーガーの放る球威のある弾、この部分は風水では逃れられないですね。
風水も、万能ではないですよ。だから、五術は、術が五つに分かれているのです。
総合的鑑定としまして、この三つの問題から、この寺と住職一家が自力で抜け出すのは、無理だと判断させていただきました。
大山倍達が言うように、「正義なき力は無能なり。力なき正義も無能なり。 」と言いますが、功夫というたゆまぬ努力と正しい想いが無い修練家は、無能なのです。
つまり、何一つ守れないという惨事に見舞われてしまうのです。もし、これを関係者が読むことがあったら、理解して欲しいのは、修練家としての正しい道を歩めないのにも係わらず、伝統宗教の名前を語るのは、如何に危険かを噛み締めてください。覚悟の問題なのです。
覚悟無くば、そういった世界に踏み入ろとせず、大人しく、デリケートで、爽やかで、後味が何も残らない今人気の着せ替え人形講座であるスピチュアルとかいわれる子供の遊びの世界までにして、それ以上、踏み込むのを止めたほうが良いでしょう。
そこで、「オーラ」「チャクラ」「来世」「前世」とか、子供が好きそうな単語を使って、ワクワク知的好奇心を満たしているのが、きっと、一般の人の言う意味での「幸せ」なのですから。
それらの意味を見出すことなく、「ただなんとなく幸せになれる気がしたから」程度の動機や、スーパーマンにあこがれる幼稚な世界観である「ぬるま湯」と、生命をとした「悟道」のみを追求するアスリート世界である「山」とは、明らかに一線を画します。
ただ、一言言わさせていただければ、「幸」「不幸」の「幸」とは、「行く先」という意味です。自分の「行く先」をスピチュアルといわれる講座に通い、人にゆだね、見出そうとしている人々を見て入ると気の毒になります。
自分の行く先をそれらの講座でインプットされた情報によって、頭を支配され、洗脳されてしまうだけで、「何故、自分で自分の行く先(幸せ)を求めないのだろうか?」といつも、考えてしまいます。
「はじめから、自分の「行く先(幸せ)」を見出せない人に、「幸せ(行く先)」なんて必要なのかな?」と、考えてしまいます。
人間に与えられた尊厳とは、「自由意志」なのではないでしょうか。そして、自由意志を用いて、自分の「行く先(幸せ)」を決めることが、本当の「幸せ」なのではないでしょうか。
話がそれましたが、それらのスピチュアルといわれる世界よりも、もっと高尚な、「山」の世界に入ったはいいが、中途半端な覚悟で、行く先(幸せ)を得ようと望み、その結果も、たどり着いた先も、中途半端で終わってしまったケースと夢の跡を見て、そんなことを漠然と考えてしまいました。
こんな結果になるのならば、そんな本格的な世界に係わらないほうが、この人たちは幸せだったんじゃないだろうかと考えてしまいました。
しかし、今回のケースでは、門前払いの寺小僧で良かったよ、オレ。(。◕ฺˇε ˇ◕ฺ。)
メジャーリーガーと念のキャッチボールとかしたくないもん。(❝ฺ_❝ฺ)
この目に見えない戦争、宗教抗争が起きた一見平和に見える戦場を後にしながら、心を鬼にして、この戦場と、自分は関係ないと言い聞かせました。
そして、消え行く、「恩讐」の砂城を後にしながら、もう、何ものにも遠慮することなく、正しい南華密教を独自の展開で、世に広めて行くことを誓いました。
それに、残酷なようですが、門前払いの寺小僧としましては、こことは、もう金輪際関係が無いのだから。(❝ฺ_❝ฺ)
はじめにあった捉われが、起こした宗教抗争で、もともと、ぼくたちとは、関係ない問題と割り切らせていただきます。
たとえ、その仏の面にチャイナ服を来た貴婦人が張先生の娘で、この寺の後ろ盾だったとしても、我々は、何一つ遠慮することなく、自分達の正当性を前向きに出し、「南華の掟は俺たちが守る!」というところでしょうか。
そして、余計なトラブルは背負い込みたくありません。それが、目に見えないものならば、尚更です。どうか、張先生の娘さんは、連絡はとっても、後ろ盾に利用しようとしたり、こういった目に見えない世界の問題に巻き込まないでください。張先生の娘さんは、張先生の遺言で、「決して、五術に係わるな」ときつく言われているのですから。
もう、これ以上、あなた方のような、呪われ人を作り出さないでください。
もし、張先生の娘を巻き込んだら、その時は、こちらも東靈さんなどのメジャーリーガーが動くことになります。
くれぐれも、お頼み申し上げます。
まあ、結論的にお墓参りもできましたし、早めに結論が出せて良かったです。
結局、人に南華をゆだねるという発想が、全ての間違いだと痛感しました。
倒すべき鬼はいつでも心のなかに。
というか、鬼退治しに行って、鬼を見出し、心を鬼にして帰ってきた寺小僧ダニエルです。ヽ(`△´)/
本当は、オレも、狼なんだけどね。( ・ノз・)
ダニエル |
[URL] | 2008/08/14 22:00:50
おもしれぇ~
大喜利か!
新しいサイト拝見しました。おめでとうございます。
でも、DVDは高価な感じです。
外野 |
[URL] | 2008/08/17 12:08:22
大喜利(→ܫ←)
なかなか、東京の人が耳慣れない単語ですが、芸人の間では、大事な舞台ですよね。関西の方ですか?
ブロクの更新とコメントの反映が遅れて、申し訳ないです。
この「大喜利」という単語、気に入ってしまいました。コンサートなどのアンコールの意味もありますよね。(❝ฺ_❝ฺ)
大喜利という名は能・浄瑠璃・歌舞伎といった古典芸能の舞台で、最後の演目を意味する言葉として使われる「大切り」に由来します。
ある意味、特殊な「山」の世界観や能力を持つ人たちは、古典芸能の世界と言い換えても、全く同じ意味だと思います。
芸能とは、まさしく、「芸術と技能」のことなのですから。
明澄記念館のDVDは、高額ですが、そこには、張先生から講義を受けることが出来るということに対する価格単価となり、それらの珠玉の内容は、バーゲンセールするものではないという発想に基づきます。
実際に、この世の中で生活を成り立たせる最も基本となるお金を稼ぐということは楽な作業ではありません。
そのため、お金の価値とは、少なくとも、この世の中で価値があるものと誰もが知っているものです。ところが、それらの張明澄先生の講義録DVDの価値に関しては、一部の層の人々しか認めないでしょう。
その一部の層とは、講義の値段と等しい額を用意し、購入する人々が、はじめてその価値を認めている人と呼べるのではないでしょうか。
それらの張明澄先生講義録高価なDVDは、そのための通過儀礼でもあり、収益は、全て、張明澄記念館設営のために当てられます。
私達は、張明澄先生の残した人類への知的財産としてのこれらの珠玉の講義内容に価値を認めて、それに見合う額を用意し、それを手に入れるまでが一つのプロセスだと考えています。
つまり、高価と言われる張明澄先生の講義録ですが、その価値を正しく認め、それに見合った努力としての金額を用意し購入するくらいの運、縁、実力を持っていなければ、それらの張明澄先生の講義DVDを見るのに相応しくない人と考えさせていただいております。
それが故に、「秘伝」と銘が打たれており、内容も、秘伝と違うことがない、世間で全く公開されていない特殊な知恵の体系となっております。
伝統社会の多くの決まりごとに、「一人でパンを食べたら、お腹がいっぱいになるが、多くの人が一つのパンを食べても誰も腹がいっぱいにならない」という、伝統社会のルールが秘伝には適用されます。
それを非常な現実だと思う方もいらっしゃるでしょうが、寧ろ逆です。
例えば、地球上に五人の人間が残され、飢え死にしかけていると仮定しましょう。そして、パンを五人で分けたら、誰一人として、明日まで生き残らない栄養状態にあったと仮定して、明日、誰かが生き残ることで、人類が存在し続ける可能性を少しでも残すことが出来るのならば、状況から考えて、一番少ない営養で長く生きられそうな若くて体躯の小さい一人に未来を託して、残りの四人の博愛とも呼べる人類存続のめたの自己犠牲の行動が、人類の未来を明日に繋げる。
自分が不適応だということで、状況を判断して、パンに手をつけたなかった四人もまた、この状況下での考えられる限りの人類の未来を切望し、人類を平等に愛することが出来た博愛主義者と呼ぶのに相応しい人々なのではないでしょうか。
人類のいない未来などに意味がないから。意味のために死ねる。
そして、しばし、聖書からも、パンは知恵を象徴するものとして、説諭されてきました。
そして、それは、人類のいない世界に「人類が生き残って行くための学」の総体系である五術の秘伝も必要がないのです。
そのために、この秘伝が継承されて行く伝統世界をパンの喩えを用いて説明しましたが、秘伝といわれる人類に知恵が継承されてゆく姿の原義は、あくまでも、「人類存続の夢と希望」が託された世界観だと言うことをご理解ください。
秘伝の継承は、博愛に則り行われてきた、人類への愛そのものなのです。
これらの講義録DVDは、明澄記念館のために、お金が欲しいから高いのではなく、買う人の道徳律と「これらの張明澄先生DVD講義録が真に価値あるものと認めることが出来る」かどうかをはじめに問うています。
そのため、こちらで用意できることは、まず内容の一端に触れてもらうために、サンプル・ムービーを配信しています。
かつて、G.I.グルジェフという思想家・神秘家の講座に来ている人が、「講座の値段が高い」と文句を言ったことがありますが、グルジェフは、
「この講座が高くてお金を用意できない人たちは、生活能力のない人だから、まず生活する力を身につけ、生活していける人間になければならない。生活する力もあり、人間以上の能力を探求したい人間は、講座に来てください。しかし、残念ながら講座に行くだけのお金を集めることが出来ない生活する力にも事欠く人は、生きてゆく力が足りないので、この講座の目指す内容に、はじめから合致しないため、講座に来る必要はありません。」
と、言い切りましたが、それは、先のパンの話と同様で、人類の繁栄と存続を願う、グルジェフらしい表現でした。引き寄せの法則も同じで、それだけの思いで目的するもの、必要とするものを寄せ付けることが出来ない人は、パワー不足、もしくは、想いが足りていないのです。
秘伝の継承は、博愛に則り行われる。人類への愛なのです。
また、やっちゃった。大喜利。>.<
参考になるか、分からないですが、これらの秘伝は、師兄たちや私にも血肉の様に根付き、我々を通して、コンバートされ、姿かたちを変えて行くのでしょうけれども、その全ての原点がここにあったといっても過言ではないのが、この五術と呼ばれる「人間が生き残ってゆくための知恵」の総体系である「張明澄先生講義録DVD」です。
風水のブログということで、風水に関する説明を入れさせてもらえれば、張明澄先生が講義したDVDに収められている風水は、今まで、学んだ風水の最高峰でした。こころから、そう思います。
「山」の部分である人体開発や意識開発に係る「東派仙道」「南華密教」は、表に出せませんが(師兄たちと談義して決めました)、縁ある人には「ぬるま湯」にならないように伝えて行きたいと考えております。
追伸
張明澄先生の残された弟子を整理します。
掛川掌瑛師兄と私、山道帰一のみに関しましては、国内で唯一、明澄透派第十四代掌門、黄文徳師兄と本当の兄弟弟子繋がりです。
<明澄透派>
明澄透派第十四代掌門 黄文徳
それ以外の張先生の残したお弟子さんですと、東派の東華真人と東霊真人の二人です。私も、東派だったので、道号、清松道人として係わっております。
<東派>
東派 伝人 東華真人
合計、この四人以外は関係者としての内弟子のなかに登録されていなければ、「拝師帖」も残っておりません。
それ以外ですと、生徒として阿藤大昇さんと、お弟子さんの御子神さん、また、掛川師兄のお弟子さんである長田さんがいます。三人がいます。
合計、この七人が関係者ということになります。
ダニエル |
[URL] | 2008/08/23 12:55:19