思えば、風水対決は張明澄先生のお墓参りのときから始まっていたのかもしれない。
4月6日、十四代(黄文徳師兄)の車に揺られて掛川師兄と三人で、彰化縣員林鎮まで、お墓参りへと旅立った。張明澄先生のお兄様である張明彦さんと久々の対面である。約束の十一時に到着して、二時半のお墓参りまで、時間があるので、四人で員林で唯一お金を払っても良いと言われるホテルで雑談に深ける。
張明彦さんと話すのは、いつも楽しい。その知識も豊富なこともさることながら、文学に精通し、とりわけ純文学に対する造詣はとても深い。
張明彦氏:「日本の純文学の衰退と性感の減退は関係している」
と、力説する。言わば、若い女性の肌の露出が増えるとともにチラリズムは衰退傾向にあり、性に対してオープンになったことより、純文学の持つ芸術性は輝きを放たなくなったという。
純文学とは、大衆小説、あるいは小説一般に対して、商業性よりも「芸術性」・「形式」に重きを置いていると見られる小説の総称とされ、「学問のための文章でなく美的形成に重点を置いた文学作品」である。
ちなみに、張明彦氏は「大江健三郎のあとから、日本の純文学はおかしなことになり始めている。現代の日本の直木賞や芥川賞受賞作は、どうにも、理解できないカフカみたいな作品が多い」と語る。
我々は、文学から出発して、他流試合でほとんど勝った公式記録が無い中国武術の話や、呪術とテーマは多岐にわたり、軍記、戦記、剣豪小説と語り始めたら切がないくらい、五術から文学まで、お墓参りを終えても、再びこのホテルに戻ってきて、夜の十時過ぎまで語り続けた。
張明彦さんのお話は、何よりも面白い!とりわけ、張明澄先生の若かりし頃から青春時代にかけての話で盛り上がる。全部録音してくればよかった。
世界的な『紅楼夢』研究家でもある張明彦さんは、独自に読みやすくて理解しやすい日本人が正しく読める『よくわかる紅楼夢』を執筆中。また、中国の剣豪物の小説を日本語で書いていらっしゃる。
日本では知られていないが、古代中国においては実際に120斤(72kg)の槍や剣が、武官に仕官する際のテストとして用いられていた。
それだけの重さの剣や槍を振り回し、背中で回転させたりするのが、実際の試験の項目に入っていたのだ。そして、試験のときに使われていた槍などは実際に台湾にまだ残っている。
*張明彦さん提供の写真。武官登用試験のときに使われていた現存する72kgの槍。
戦記ものの構想も、古代の戦争をよく分析し「裏・崩れが全ての勝敗を決めていた」と熱く語り、中国武術や気功において重んじられる馬歩と呼ばれる姿勢については、「あんな姿勢に意味は無い。ただ、単に馬に乗った姿勢で、剣や槍を振るための古代の馬術におけるバランスの練習である。現代の戦争においては騎馬は使用されないため練習に意味が無い」と視線も鋭い。
この日、我々は張明彦さんに連れられ、再び張明澄先生の眠る霊骨堂に行った。その場を始めて訪れる十四代、黄文徳師兄は、余念無く霊骨堂の風水分析をしていた。
しかし、この霊骨堂に納められた張先生の遺骨の管理は、お兄様である張明彦さんが自らお金を出して、「親父の横で安らかに眠ってもらいたい」という想いから、ここに納められており、ここの風水の良し悪しについてとやかく言う権利を我々が持っていないことを忘れてはならない。また、風水が最高に良い場に入るのは理想だが、それはTPOにあわせて初めて可能なのは、言うまでもない。とりわけ、経済的な問題を無視できない。
もちろん、風水に自ら精通していれば、自分でまだ未開の場所を點穴してTPOに縛られること無く、吉となる場所を選べるだろう。しかし、張明彦さんは風水師ではない。
TPO(ティーピーオー):Time(時間)、Place(場所)、Occasion(場合)(注:Opportunityと使われることもある)の頭文字をとって、「時と場所、場合にあった方法」を意味する和製英語。
風水に心得があるからといって、善意でお骨を管理するお金を出してくれている心優しいお兄様の前で、風水の良し悪しなど言うものではない。まして、厳しく風水を見れば、どこにでも穴はあるものだし、どの水準で良しとするかは風水師ごとに異なるものである。
この辺りにいつも思うことがある。風水の実力がいくらあろうと、「人の心(霊)を想う」ことができなければ何も意味がない。
だから、私は風水師や五術家をいつも五つのポイントで判断する。
<山道帰一の五つの視点:「世界の中心で自分を叫ぶ」>
1.風水や五術の実力(専門):知識・技術・経験・伝統(歴史)。
2.社会性(公共):その人の持つ社交性や社会常識。また、現代の先端知識への精通。
3.人間力(背景):その人の持つ人間関係やコミュニケーション能力。人と人との繋がり。友情や愛情、家庭、家族や先祖との絆、家系。また、知力、権力、武力、経済力などなど。
4.人格(個性):その人の持つ個性であり、礼儀や道徳性。また、心の豊かさ。貧しくとも、心は豊かになれる。
5.表現力(思想):文章力や表現能力。とりわけ、個の持つ思想性。社会に対して有意義なものを持っているか否か。また、未来に対して何を表現しようとしているかなどの目的を含む。
あくまで、山道帰一の個人的な視点である。私は、五つそれぞれに五点ずつ割り振り、総合的(25点満点)に五術家たちを分析してきた。
その結果をここに書いてといわれても、「書けません!」が、これは五術家や風水師だけではなく、1番を専門分野と置き換えて、多くの人にも同じことです。
「人をポイントで計るなんて良くない!」
と、人は言うでしょう。その通りです。だから、こんな基準に該当されない総合力のある人間になることが理想だと、自分にも言い聞かせて日々過ごしております。しかし、客観的に自分を振り返る上での個人的な試算であると了承願えれば幸いです。
この試算の大事な部分は、1番の専門分野の実力がいかにあろうとも、世界の中から還元して個を見つめなおせば、五分の一の領域に過ぎないということを強調しているのです。専門分野がいくら強くても、残り四つが強くなければ社会から駆逐されるだけです。
例外として、生きている時に社会に駆逐されても芸術家のように突出した一つで、歴史に名を残すことはあるでしょうが。
まぁ、私の場合は3番と5番に問題があるかと。(х^ิ_^ิх) すぐ過激な表現をしてしまう烈火みたいな人なのに加えて人間関係が非常に少ないのね。(*´∀`*)
おっと、話が脱線してしまいました。長くなったので、続きは「風水対決 後編」ということで。さっさと書きますので、ご安心を。
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