山道帰一の風水コラム
第四話「陽宅と建築1」
風水探偵団団長ジャック・バウアー(Mr.リュウ)のメルマガ用のコラムに記事を送ることになりました風水少年探偵団ジャック・ダニエル(山道帰一)です。
五術の一つ「相」に属する風水には、歴史上実に様々な流派と言われる学術団体を生み出しました。今回、風水のコラムを書くに当っては、中国明朝より、現代まで十四代続く流派、明澄透派の風水からコラムをお届けいたします。
<明澄透派>
風水用語で使われる「陽宅」とは、生きている人が居住する場、ビジネスのオフィスとして活用する建物、飲食店など人が集る場所、全てを含みます。陽とは、移動を意味し、人の往来がある空間とその空間に構築された建造物全てを陽宅と言うのです。陽宅に対して、既に動きがなくなった死んだ人が眠る空間とその建造物を陰宅と言います。
そして、陰陽両宅(陽宅・陰宅)がどのような土地の上に立っているか。または、死体が埋められているかの良し悪しを見るのが「地相」を看る事です。
「見る」ではなく、「看る」と書くのは、「目によって認識する」行為というよりは、「見守ること」の意味を「看」にもたし、私はその様に書きます。本来、風水師とは『周礼(しゅらい)』にある墓大夫と呼ばれる官職の人達が原型でした。墓大夫(ぼたいふ)の仕事は、地図を引くことと、墓守をすることでした。
*『周礼』とは、儒家が重視する経書で、十三経の一つで、『儀礼』『礼記』と共に三礼の一つです。周王朝の理想的な制度について周公旦が書き残したものとされています(成立は春秋時代だと考えられている)。
つまり、「見る」と言う意味では、「見守る」という本来の風水の仕事について言及していないので、「看る」が最適だと私は考えています。実際、風水の古典籍も、「看」という字を用いて、風水師たちの意識に過ぎったシーンを描写しています。
さて、陽宅の作用を巒頭(形あるものらの影響)から考慮するのならば、その建物に住んでいる人、その建物で活動している人たちに影響します。
一般の住宅を生活の場として、生活の中で陽宅の影響を推し量れば次のような場所に対しての配慮が必要となるわけです。
門
玄関
書斎
寝室
居間
応接室
風呂場
トイレ
子供部屋
キッチン
車庫
などが主に上げられます。
陽宅は、いかに空間をコーディネートするかという縁起観を持って、構築されるべきで、古代からその研究は行われ、その成果は古代中国においては、建築学と一体化していました。
それは、時代がクリエイトした思想を含んでいたのは言うまでもありません。例えば、儒教が盛んであったお隣の韓国における古い四合院や三合院は、建物の「向」から右手(白虎位置)の建物には、窯があり炊事の仕事をする女性の職場であったわけです。
また、左手の建物(青龍位置)である東廂房(*写真)は、今で言う書斎や応接間であり、主人(男性)の職場や交流の場でした。そして、建物の「坐」にあたる部分に位置した廊下は、夜の営みのための男女の連絡通路で、通常、男性が右手の建物である西廂房(*写真)に通う秘密廊下でした。ちなみに、風水では、右位置は白虎で女性を象徴し、左位置は青龍で男性を象徴します。
*向・・・家の中心から見て、正面の方向(玄関のある方向・家が大通りに面している方向を「立向」と言います。
*坐・・・家の中心から見て、正面の方向とは正反対の建物の背後に当たる方向を「坐山」と言います。
この様に、時代ごとの思想や社会背景を踏まえて建築されるのが、建物の様式であり、建築と風水は、かつては一つの学問だったわけです。
さて、次回の第五話「陽宅と建築2」では、門・玄関・書斎・寝室・居間・応接室・風呂場・トイレ・子供部屋・キッチン・車庫などの空間構築術としての建築の概念と一体であった時代の風水の縁起観を説明していきます。縁起観は富貴の二文字を持って語られました。
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