員林から台北に戻った、我々一行は4月7日の朝に、十四代(黄文徳師兄)の父親にして、張明澄先生の義兄弟である黄耀徳先生のお墓参りに出かけた。
黄文徳師兄:「昨日の張明澄先生の霊骨堂の風水は残念でしたが、
今日は、素晴らしい陰宅を皆さんにご案内しますよ。」
掛川師兄&山道:「・・・楽しみですね。」
我々は、なんだか気分がすっきりしないまま十四代に案内されて、台北市の郊外、八里付近の観音山近くに到着する。巨大な阿弥陀仏を見て、「あれ、長田さんじゃない!? 髪型とか似てるよ。」と二人で盛り上がる(笑)。
台湾の一般的な霊骨堂の構造は、外に土地公(道教)がいて堂を守り、内側に地蔵菩薩(仏教)がいて霊を成仏させるという慣わしになっており、道教と仏教のハイブリッドした台湾文化が如実に表れている。
二階建ての構造になっており、ガラスケースのなかに遺骨が円柱の骨壷に入って納められている。
堂内の六角形の構造は、様々な用途の風水理気に対応できるようにするためであるという。一番下の段の大きい骨壷は一度土葬して、骨を取り出したもののため、一際大きい骨壷である。
我々一行は、その中にある黄耀徳先生のお写真の入った骨壷に手を合わせて、冥福を祈った。
お墓参りを終えて、二階からの景色を眺め外に出ようとすると、十四代を呼ぶ四十後半から五十歳くらいに見える女性が後ろに立っていた。
黄文徳師兄:「皆さん、この人は台湾でも有名な地理師なんですよ。」
我々は、この風水師に挨拶をし、十四代は、我々を日本から来た命理家、風水師として紹介していた。
この台湾の高名な地理(風水)師:「そうですか、日本からいらしたのですか。それでは、あなた達の横で、是非勉強させてください。どうか、色々とこの場所の風水を分析して、ご高説をお聞かせください(笑)。」
と、唐突に紹介されたこの風水師は、慇懃な態度とは裏腹にニヤニヤしながら日本から来た命理家、風水師と紹介された我々を小馬鹿にした態度を見せた。そして、実際にダニエルは「日本ってアレでしょ」と「日本には風水など知っている人間はいないでしょ。」と小声で十四代に話しているのを確かに聞いたのである。オレは地獄耳だぞ!(╬☉д⊙)
そう、日本から来たというだけで、「どうせ、風水なんてできやしねーだろ。何が風水師だ。笑わせんな。」という態度がニヤケた笑いと共に滲み出ただけでなく、実際にケンカまで売ってきやがった!(╬☉д⊙)
オレは思わず、「くぉんの~ババァー」と叫びそうになっていた。そして、掛川師兄は激情に駆られて行く、ぼくをニヤッと見つめていた。そう、それはアイコンタクトだった。
「殺(や)るぞ!このババァを。」
というアイコンタクトだったのだ。この台湾で高名な風水師のババァの優越感に満ちた笑みは消え。懲らしめられる(エイプ[猿]扱いされる)までの過程は鮮やかだった。(´^ิ∀^ิ`*)
まあ、そんな風に日本の風水を軽んじられるのは、日本に巣食うペテン師と詐欺師どものせいなんだろうがぁ。オレや掛川師兄からすれば、そんなクソどもみたい輩と一緒に思われるだけで不愉快だし迷惑である。そして、コイツらのせいで海外に出れば必ずといってよいほど、この様な因縁をつけられ、不毛な対決を迫られる。(╬☉д⊙)
日本における未成熟な風水文化のせいだけでなく、その様な近代まれに見る低俗なメディアが作り上げた商業と文化歪曲の日本風水のせいで、日本における風水文化は貶められ、我々はこの様に「日本から来た風水師」という理由だけで因縁をつけられてしまうのだ。(╬☉д⊙)
どいつらのせいだ!!!ヽ(`△´)/
そうやって、不毛な戦いは始まるのには、ワケがあるのである。それは、あたかもアメリカ人が日本文化にかぶれて、アニメでも見ながら自分で作った鎧でも被って日本にやって来れば、笑いものになり、コミュニケーションとして笑ってあげたくなるのと同じだ。実際、日本の風水の水準はその内容とレベルだ。
だが、我々は本場で学び、本場で認めらているという自負がある。だから、こんな一々つまらないケンカも買わねばいけなくなる。武士(もののふ)の魂を穢されて、黙っているわけには行かないのである。ヽ(`△´)/
くぉんのババァは、二階の景色を眺めなている我々に、図々しくも自分は何一つ語らず傲慢にも先制攻撃を仕掛けてきた。
婆風水師:「さて、ここの風水はどうでしょうか?どうか、お聞かせくださいませ。」
十四代が困った顔をして、ぼくを見つめる。
ダニエル:「案山は、良いですね。玉尺の形をし、学業に強い象徴を持つでしょう。太祖山は肉厚で力強く父母山まで過峽も活きて、水も有情ですし、関(水口)も隠れており、束気良し。穴は良い形で結ばれています。総合的な評価を言えば、富貴に恵まれ。問題なく良い場所と言えるでしょう。」
と良い点だけを言って砂の問題は敢えて言わなかった。全ては、礼のために。そして、相手の出方を待つことにした。ここにひょっこりと居たことと、十四代とのやりとりから、この近辺に住んでいる人というプロファイリングは既に終えていた。台湾では、風水師が大規模、霊骨堂を管理したり、所有していることは頻繁にあるということも知っていたからだ。
まあ、これだけの規模の霊骨堂、風水師として名を馳せ、お金を儲けているのにも間違いが無いだろう。しかし、金だけあれば幸せかというと、それは間違いに決まっている。
例えば、掛川師兄とぼくはいつもなけ無しのお金しか持っていない貧乏暮らしだが、二人とも金がなくなるほど、「なきゃ無い様に暮らすさぁ。」と、生き生きとして輝いていることを証明しあって愉しんでいる。
たった一つだけ、そう「人生を愉しんでる」!(o`Θ´)o!ホッ!ホッ!o(`Θ´o)!
いつも必要最低限の金はどこからともなく入ってくるし、いざとなれば、造作法や祈祷を使えばどうにでもなるから、金のことで自分を見失う事が無い。最近では、旅に出ればどっちがどれだけお金を持っていないかを競い合っているくらいだ。二人とも、旅先で金を使い果たし、財布が空で、胸ポケットに隠していたお金で、帰ってくることもできたくらいだ。(。≖ิ‿≖ิ) 命に従い分に過ぎた金は、持っていないのが我々の美徳だ。(;◔ิд◔ิ) !!!
さて、ここの風水の分析だが、この問題だらけの白虎砂は、このババアそのものを象徴しており、自ずと強気すぎるその性格と凝り固まったおかしな考えのせいで人を傷つけ自分を不幸にしているこのババアの図式を見破った。そこには、当然強すぎる女性が主人となり、被害者の男性が演出される。たとえ、自分を被害者だと思っていても。
幸不幸とは運の問題ではない。全ては、自分で作り出し「自分の問題」を演出しているに過ぎない。だが、それを言うとパーソナルアタックになるので黙ることにしていたのだ。どんな嫌な相手でも「一寸の虫にも五分の魂」なのである。(х^ิ_^ิх)
くぉんのババァ、お金はあるんだけれど不幸なの風水でわかるのね。( ´^ิ益^ิ`)ノ
私のジャブを浴びた婆風水師は、小声で「私の老師も、全くその様に言っておりました・・・」と、蒼ざめた顔をして、十四代にブツブツと色々と話しているのが聞こえる。その時、十四代は満面の笑みを浮かべていたが・・・
ダニエル心の声:「(オマエの老師程度と一緒にすんな!)」ヽ(`△´)/
もともと、お墓参りに来たわけだし、そこには恩師の兄弟子が眠っており、そこの風水の悪い部分を言うのは、信条に反するが・・・。
ダニエル:「ただし、龍穴の形状は白虎が大きく曲鉗しています。また、白虎砂が高く、女性の権力が強くなり、人を傷つける象徴を秘めています。水は、長く伸びた白虎砂を過ぎる割脚水となり、白虎砂の悪い影響が拡大します。問題は、水の回りが虎順関で、水口が去水の来る位置に近く、金銭の消費が激しいこと。また、問題としては點穴はズレている。そしてこの白虎砂は・・・」
と言いかけたが敢えて、この位で再び止めておいた。しかし、ここで止めとけば良いのにこの風水師は、更に恥の上塗りを繰り返すことになる。まあ、私としては礼節は通して加減していたのだが・・・。分に過ぎたことをすると「一寸先は真っ暗闇」なのである。本物のプロならば、その一寸を測り間違えてはいけない。そこから先は死合いの間合いであり、入ればバッサリいくしかなくなる。( `皿´)。/( ~◇)
婆風水師:「それでは、ここを陰宅ではなく陽宅に見立てた場合は如何に?」
ダニエル:「あなたは陰宅と陽宅の穴の取り方の違いをご存知ですか?」
婆風水師:「うっ・・・」
所詮このレベルかと思うと、ぼくの顔は思わず不謹慎な笑みを浮かべてしまった。おっと、失礼。(。☉౪ ⊙。) また、婆風水師は何か言おうとしていたが、妙な間が可哀相なので。
ダニエル:「陽は移動を意味します。人が移動する大きく開けたスペースを陽とし、大きい平地を山中で取れる場所が陽宅の龍穴となるのです。逆に陰宅として使用される穴は狭い山中の平地を意味します。つまり、この場所はかなり開けた平地なので、陽宅として使っても問題ないのです。」
すると、また小声で「良かったわ。」と十四代に言っているのが聞こえた。そこから、このババアはここに住んでいるらしいとプロファイリングできた。しかも、十四代が知らなかったような反応をしていることから、最近この近辺に陽宅を立て住んでいる事が推測される。
また、このババアは性懲りもなく、この際だから鑑定してもらっちゃおうとでも思ったのか。
婆風水師:「(指を指し)あの方向に陽宅を建てたらどうかしら?また、その理気は?」
と聞いて来た。
ダニエル心の声:「(それ、オマエんちだろうがぁ!)」ヽ(`△´)/
と思ったが、言うのを我慢した。こうなったら、トコトンやってやろうと思い掛川師兄を見ると。早速出番をうかがっているかのように目を輝かせていた。
すかさず、愛用のカシオのPROTREK PRW-1500搭載のデジタルコンパスでババアの指した方位の角度とこの場を基点として良いかババァに確認し、掛川師兄に告げる。このババァは知らない。守護仏の相性が最低のこの兄弟が手を取り合ったとき、無敵になることを。
生意気な老女風水師の態度に怒っていた掛川師兄、15度だから屋向が坎、門向が丑、八局だから艮宮の地盤が戊・・・「屈指一算」であっと言う間に奇門遁甲風水の理気によって陽宅盤を手の平に作盤し、
掛川師兄:「主格が飛宮だから、家の主人が帰ってこなくなる。死んで帰ってこないのか、女ができたのか、債権者に追われているのかは不明だが、とにかく帰ってこなくなるのは間違いない。さらに副格が青龍逃走だから、目上に見捨てられる。さらに太白入熒があるから、強引な手法が仇となって、もっと強引にやられてしまう。これが2004年から2023年までの間に、この家に起こる出来事である。」
ぼくは、途中で通訳していて、「ヤバイ!そこは触れちゃいけない。」と思い一応、掛川師兄に「それ、もう人相にあらわれてるし言わなくても・・・」と、一応話すのにストップはかけた。
だが、婆風水師は十四代に向かって「家の主人って誰のことかしら?オホホ!」と、体よくその内容を聞き逃そうとしていた。
ダニエル心の声:「(オマエのことだよ。オマエ。この横あたりにでも住んでるだろ。)」(╬◣д◢)
そこで、ぼくのオリジナルな訳を付け加えた。というのも、もう「それ」は起きていたという私の確信があったからだ。(。◕ฺˇε ˇ◕ฺ。)
ダニエル:「掛川師兄はあなたが旦那、もしくは恋人に逃げられたと申しておるのですよ。」
その後、長い沈黙が訪れ、十四代は黙って下を向いて俯いており、ばつが悪そうである。また、この婆風水師は何も言わないが、顔が真っ赤になっている。
事実は、小説よりも奇門風水なり。(・´з`・)
とっさに犯行現場をすぐ去らなくてはいけないという焦りにも似た気持ちが湧き上がり、ぼくらは挨拶もそこそこ、そそくさその場を離れた。
後日、Google Earthで地形を振り返って、風水分析が全て正しかったことを笑顔と共に噛み締めた。台湾からも、本当の風水の智慧は失われようとしている。
時代の進歩はめまぐるしく、いまどき衛星地図一つ扱えないようでは、ミサイルを打ち上げられない北朝鮮と同じである。風水も進歩する。
但し、本質を履き違えてはいけない。
*ここに出てくる表現が、激烈で酷すぎると誤解した読者は山道帰一を非道徳的な人間だと偽善な眼で見て読んで勘違いしてはいけない。ただ、思ったことを包み隠さず正直すぎる表現方法を用いて書いてしまうのである。また、このブログはタイトルどおり「風水山道」であり、サブタイトルの「山道帰一の風水世界」であり、山道の個人的世界観を詩的に綴ったものであるため、見に来てくれる読者も私的な詩でも読みに来る感覚で読んでくれるとありがたい。もちろん、詩という芸術のため表現の規制の箍(たが)が外れてしまっているかもしれないが、たかが、個人ブログなのである。
*このブログは「偽善禁止協会」加盟のものである。
合掌!
山道鬼一
「世界の中で自分を見つけよう!」
この広大な空の下 この広大な自然の中
ぼくらは 何を求め 何を見つめるのだろうか
世界の中から見つめられる自分 世界の中から見つけた自分
それはきっと素敵な巡りあい
自分を知る旅としての風水 ここに答えがあるから
<語彙注>
引用: 『完全定本【実践】地理風水大全』
●曲鉗(きょくかん)
片脚が湾曲し、牛の角のように曲がった砂手の形をした龍穴を曲鉗という。砂手が過堂し、穴を弓のように曲がり護っている。
●割脚水(かっきゃくすい)
穴の前の水が泊(と)まるため脚(あし)を割(さ)く。来水が砂手を削りとるため、砂手を脚に譬え、脚(あし)を扣(たた)く水とも言われる。余気(残る気)が無く、貧乏、素寒貧、孤独、苦しみを象徴し、この様な場所に住んではならない。子孫が絶えるとされる象徴があり、凶とされる。
●玉尺(ぎょくしゃく)
玉尺とは、定規のことであり、この様な背の低い木形の案山は非常に尊ばれ、子孫から学業において優秀な人間が現れるとされた。
●虎順関(こじゅんかん)
虎順関とは、明堂から見て、水が左回りであること。そして、白虎砂が延びて過堂し、青龍砂を包む形をしていることである。順関とは、関(水口)が去水の来る位置に近いことである。順関は即ち凶とされ、穴の水は尽きるとされる。金銭の消費が激しくお金が貯まらないとされる。
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