堪輿とは風水学のことであるが、鍾進添老師はもっと明確に「堪」と「輿」を分けて定義する。
「堪」とは“天文擇日(Time)”を意味し、「輿」は“地理(Space)”であるとする。堪輿とは「天文・地理」のことである。また、天地人の三才を「天」は“時”、「地」は“利”、「人」は“和”と区分し、「天星法」を「堪」「天」、そしてそれはTimeなのだとわかりやすく区分する。
また、風水とは何かを語るに当たって鍾進添老師は「環境心理学(Environmental Psychology)」と定義し、とても腑に落ちる。それは、ぼくの考え方と全く一致していて思わず嬉しくなる。
三日目の講義の朝には、風水の鑑定にぼくを連れて行ってくれた。それは、通常新参者に許可されるようなことではない。現場を通じてその風水の腕を見ることは非常に価値がある。
クライアントにわかりやすく理解できるように説明する鍾進添老師は、決して自分の世界観だけで風水を見つめようとしない「人」即ち“和”であるという辛辣な態度を感じた。
鍾進添老師と師母に七人目の内弟子として拜師を許可された夜は眠れなかった。
また、次の日からは老師は惜しみなく、手書きの秘伝原稿を使って「天星法」の学習を進めてくれた。
様々なトラブル超えて、傷つき傷つけあう日々の中で見た安らぎだったのかもしれない。
ダニエル:「代筆ではなく自分の筆で拜師帖を心を込めて書きたい!」
拜師典禮の前の晩、必死に書きました。心を込めて書きました!
そして、晴れて吉日吉時を選んで行われた拜師典禮。
鍾進添老師:「我々は江湖派ではないので、簡易に執り行います。」
と、おっしゃり、拜師帖を神位(神棚)に置き、一緒に拜拜をし、師に礼をする。
鍾進添老師:「・・・この子に加護がありますように。」
と、ぼくのために一生懸命祈ってくれている姿に心を打たれる。
その夜は、内弟子や関係者を呼んでレストランで盛大に拜師典禮は行われた。様々な縁あり知り合った人々及び鍾進添老師の高弟達が駆けつけてくれた。ありがとうございました!
拜師典禮の席で、授業を一週間しか受けていない私が三万人いる中の七番目の内弟子になることに対して懐疑的になる高弟に鍾進添老師は一言だけおっしゃいました。
鍾進添老師:「山道帰一は明澄の弟子だった。明澄の弟子を受け入れるのは当然のことであり、これが縁なのだ。」
そこに張明澄先生はいないのに、先生が居た気がした。
「果てしない旅路の果てに『選ばれる者』とは誰?」
「たとえ僕じゃくたって それでもまた走っていく」 ぼくはまた走ってゆくよ。
長い間渡したかったものを皆に届けるのが、ぼくの仕事だから。
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