「巫覡(かんなぎ/ふげき)」とは、神なぎの意味で、神に仕え、神楽を奏して神慮をなだめ、また、神意を伺い、神おろしを行いなどする人をいう。
男を「おかんなぎ(覡)」、女を「めかんなぎ(巫)」といい、二文字あわせて「巫覡(かんなぎ)」というのである。俗に言う「巫術」の世界である。
*巫術(ふじゅつ):神や精霊といった超自然的存在と交渉することにより、降神・予言・治療などを行う職能者である巫覡を中心とする宗教現象。
巫覡はある意味、道壇(法壇)と呼ばれる儀式のもっとも原型に近い様態である。シャーマニズム文化のフィールドワークで海外を放浪し、様々な「斎醮(さいしょう)」を実践を経て学んだが、全てこの原型である「巫覡」の発展形態であり、根本とする部分は同じであった。
*斎醮(さいしょう):斎は斎戒。醮は祭儀を意味する。
ちなみに、「科儀(かぎ)」は、斎醮よりももっと格式ばった言い回しであり、実際に宮廷などで催されていた儀礼は、「科儀」と区別して呼ばれる場合が多い。
斎醮の儀礼だけではなく道徳規範などを含む。
1999年の台湾で味わった大地震以前なので、もうかれこれ、ちょうど十年くらい巫覡には一切携わっていなかった。
巫覡の結果、人間を媒介とした神仏からの御託宣により導き出された内容の正確な未来への示唆や、洞察は十二分に知っている。当時から気功を指導していた生徒たちは、幾度となく目撃、遭遇し味わった現実なのだろう。
ただ自分の自由意志で生きるのがテーマの私にとっては一つの禁じ手としていた。禁じ手とするのには、幾つかの理由があるが、禁じ手とすることによって、その術が逆説的により深く自分の存在と繋がる場合があることを術者は知っている。とは言っても、状況がやもえなく幾つかの禁じ手である「斎醮」、「符咒(ふじゅ)」は解放してしまっている。
*符咒(ふじゅ):病気や災難となる原因の邪魅を退ける符を書くこと。また、願望達成にも用いられる。
掛川師兄:「あいつは金がなくなると符を書く。俺もだが。」
ということになでもなるのだろう。(笑)
そして、この、「科儀」・「斎醮」や「巫術」・「符咒」の根底にある原理は風水や奇門遁甲にも共通しているというのを研究し、見出している人は少ないだろう。
もともとこれらの儀礼に携わるときは、公のセレモニーの時だけと自分に課して禁じていたものだが、掛川師兄の弟子にして、張明澄先生の身近にずっと居た長田南華姐さんに、どうしても「巫術」を教えて欲しいと懇願されては断りようがなかった。
しかも、この女豪傑の長田南華姐さんは試すかの様に言う。
長田南華:「ちょっとアナタ!まず私が試してみて、本当に効果が有るか無いかを判断しますからね。さぁ、アタイで実験して御覧なさいなよ!」
強気である。女豪傑である。南華密教をしているが、正直、神も仏もどこまで信じているか、どこまでも疑わしい人物である。(笑)
*關落陰(關三姑):觀落陰(觀三姑)とも書く。かんらくいん(かんさんこ)と読む。死者と会う儀礼とされる。「斎醮」の儀礼に属するとされるが、民間で発達した民間色の強い儀式。
1999年の台湾大地震から、ちょうど10年目にして、10年間封じていた「巫術」を教えるために、大きな旅行カバンをパンパンにして、道壇道具一式を運ぶ。なんだか、台湾の茅山派の残党みたいで不気味でイヤだ。(笑)
荷物と共に一路、千葉の新浦安に向かった。到着したのは、間違えて浦安だったので、掛川師兄と稲場さんに迎えに来てもらう。
儀式を持って対峙する豪傑は、迷信は一切信じない!神も仏も裁いてやるという女豪傑である。(笑)
毎度のことだが、この日も儀式を伝授するということで何らかの覚悟はしていたが、儀式の最中に震源マグニチュード(M)6.9の地震*に巻き込まれるとは思っていなかった。
巫覡2に続く
8月9日午後7時56分ごろ、東北から関東の広範囲にわたって震度4の地震があった。気象庁によると、震源は東海道南方沖で深さ340キロ、地震の規模はマグニチュード(M)6.9と推定される。
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