『完全定本 風水大全』の監訳者あとがきでも書いたが、
「私は、「風水は、人の命に係わるもの」だということを強調し、風水をおどろおどろしいものにし、脅しや脅迫の手段にしようとして、言っているのではないのです。 風水は、人間生活に根付き、環境に調和させ、自分を取り巻く全てのものから、良いエネルギーを導き出し、人間生命を実りあるものにすることがきるという点と同じなのです。裏を返せば、風水は、人間にとって、致命的な生命の危険を起こしかねない状況をも引き起こす可能性があるという事実なのです。」
例えば、『完全定本 実践地理風水大全』では「尋龍点穴」に大分触れたが、しかし、『陰陽地理 風水講義』に示されている「二十四凶穴圖解」のように陽宅(住居)、陰宅(お墓)にも適していないどころか、住んだら非常に危険な目に遭う忌むべき場所である「凶穴」については指摘できずにいた。
自分で書いた本に自分で突っ込みを入れるのも変な話だが、それぞれの文化圏に、それぞれの風潮があり、このような風水を学ぶものにとって重大事なことが、日本の一般読者にとって「風水をおどろおどろしいものにし、脅しや脅迫の手段にしようとしている。」と、思われがちであり、書きたくとも書けないことも多々あった。
ヒルトン:「まず、そういった危険な場所について学習し、避けることが大事なのでは?そういった危険な場所を認識し、多くの人にその様な危険な場所を避けるよう伝えるために学習したい。」
こうやって、志あるお仲間や、生徒たちとの話し合いの中で、通信講座のテキストは補足されてゆく。
ちなみに、この『陰陽地理 風水講義』は、鍾進添老師のお勧めの地理風水の本です。風水山道・通信講座 での基礎コースでは、この本からの翻訳と自分の実地でのデータをあわせて、通信講座テキストを作成して行く予定である。
通信講座のテキストいうことで、初めて自分のリミッターをはずして、想いを吐き出そうと思う。何の制限や制約もないから。
また、風水師として一つの考えに固執し、他が何も見えなくなってしまうことが一番怖いことだ。そのために、中級やそれ以上を目指す人は、多くの風水技術に精通しなくてはならない。それを知って、始めてその技術の誤りを正しく指摘できる。つまり、流派という区切りで分かれた学習内容を出来るだけ多く学ぶ必要がある。それは、遠回りで気が遠くなる作業かもしれないが、プロと呼ばれる専門家になるうえでは必須だと思う。
決して固執しないでほしい。自分に。偏狭な考えの中に閉じ込められたままでは、行動が鈍る。「その時、その瞬間」の判断が出来なくなる。そして、取り返しのつかないことが起こる。
例えば、再三にわたって、「擇日」という言葉の定義をめぐって、ブログでも述べてきたが、文化としての定義で「擇日」と述べることが出来ない技術もある。
特に近現代の風水史を辿るのならば、多くの伝統的風水技術とされるものが、歴史という時間の経過によって集められた人の命に係わるデータを欠くまま、古代の風水にあてつけられ、偽造された技術があまりにも多すぎる。その偽造に関しては、古代の有名人の名前をあつらえるという中華文化一つの伝承であり、それに関して良し悪しを述べるわけではないが、それでもやはり危惧してしまう。
*左記『中國堪輿名人小傳記』鐘義明著より抜粋。
とくに、曾子南(1907-2006)、とその弟子の殷儒童の練り上げた体系の一つである「玄空大卦」に関して、私は懐疑的になってしまう。これは、個人的な私論なので、あくまで「山道帰一の個人的に思ふ」ことと解釈していただきたい。
「一体どれほどの裏づけ、経験則となり得て、過去のデータが取れているのだろうか?」
同じく、台湾の風水師である孔日昌の一言が頭によぎってしまう。
孔日昌:「現代の風水は、易卦の遊びをただ繰り返しているだけである。 後天卦を先天数に配合し、 先天卦を後天数に配合しているだけの遊びを。」
あまねく自然界の変化を理気によって、単純にマニュアル化できるとは思わない。理気がいくら合局であろうと、巒頭(らんとう)と呼ばれる大地の良し悪しで人の命が簡単に弾け飛ぶ瞬間をたくさん見てきた。だからこそ、このようなことを言いたい。
近年の三元派と呼ばれる技術の大部分を曾子南は独自の古典の読解とその家伝とされる解釈によって、構成しなおしたのは、有名な話である。
曾子南は楊筠松(834年-900年)の弟子・曾文辿(854-916年)の第51代末裔であると言うが、本当にそんな長く続く家譜などあるのだろうか?
アメリカ風水研究所のラリーサング(曾希)氏も、会った時、「曾文辿の子孫」を自称していたが、どこにもそんな証拠は示されてはいない・・・。だから、否定も肯定も別にする必要はないが、「本当かな?」と、思ってしまう本音は隠せない。
喩えそれらが本当だとしても、そこにどんな価値があるのだろうか。それらの家伝は現代知識、現代社会に適応できるものとして、裏打ちされ活かされているのだろうか?
51代も続いているのに何故、社会に対して有益な仕事をした人が、初代曾文辿しかいないのだろうか?
少なくとも、楊筠松は「救貧」と後世呼ばれるほど、民衆の間にあって、風水を社会に還元するために尽力した人なのでは?そして、その系列だったらなおさらでは?
風水によって求められたフォームが何故、何十代にもわたって一つも示されなかったのだろう?
そもそも、この人たちにとって、ホームとは何だったんだろう?
それはルーツとも違うような気がする。
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